▼第6号06.11.01 
Mitz
『静かな静かな 里の秋 お背戸に木の実の 落ちる夜は 
                             ああ 母さんとただ二人  栗の実煮てます いろりばた』
 私達の活動している里山の程近くに童謡の里があります。
ここに歌碑もある訳ですが、この曲を聴くと勝手に秋も深い時期を想像します。
情景も勝手に想像すると落ち葉のカサカサという音が聞こえてきそうです。
 里山の駐車場奥の杉林の伐採が予定され、その後には植樹も行われます。私の我儘かも知れませんが、是非広葉落葉樹を植えてみたいのです。
 木陰が欲しい夏には葉を繁らせ、暖かな日差しが欲しい冬には葉を落してくれます。何となく落ち葉がこの曲に似合うかなぁと思っています。


川 口 和 也
里山の楽しみは脇道にあります。春はノビルやカンゾウ。ちょっと原野みたいな所ではフキノトウ・・・無料で頂いております。
 九月末になると屋敷の栗も大きく枝が張り出した分が道路に落ちています。落ちた物を頂くのは違法ではありません。
 十一月になると、あちらこちらにクコの赤い実がたわわに実っています。地元ではありふれたものですから見向きもされませんが、私にはルビーの宝石のように思えます。
 赤いルビーを沢山積んで梅酒と同じように焼酎に漬け込むとクコ酒になります。滋養強壮、肝機能強化、血糖降下、解熱、たん切りにと万能です。アハハッ、何て素晴らしいんだろう。

榎 本 兼 久
 稲の茎五〜六本を左手で握る。鎌で、握った稲の根元をじょぎじょぎと切る。刈った稲は干せるように束ねる。農薬を使わず手入れの不十分な田は草ぼうぼうである。稲を刈っているつもりが雑草も刈っている。雑草が混ざっても脱穀には差し支えないという。
素人集団の里山の会の有志一0人が三00坪程の田を二時間がりで刈り上げる。刈った稲は竹で組んだ干し場に吊るす。我々の作業はここ迄で、後は精米所に運び米粒にして貰う。
私にとっては、生れて初めての稲刈り作業であった。稲を刈るという素朴で単純な仕事であったが、参加してみると不思議な事に、あたかも自分が農家であるような気分になった。また人類が太古から稲をこのように収穫してきた事が実感として伝わってきた。
一粒の米が何百粒の米となる自然の恵みに感謝するという気持ちにもなった。数日後この米を食した。今迄にこんなに米が旨いと思った事はなかった。たった一日稲刈りに参加しただけなのに。

田 中 雅 子
 日本の原風景ともいえる里山と稲田。この岬町に住むことが出来てとても幸せです。でも、当初は里山は近づく事は出来てもそれ以上は決して受け入れてはくれず、只遠くから眺めるだけの存在で、何か物足りなさを感じていました。
 「桑田・里山の会」に入会する事が出来てからは里山の懐深く入り込み、四季の里山の自然を満喫できる様になり、本当にラッキーだったと思っています。       
 老いというものにぶつかって少々身心が弱っていましたので、最初の頃は里山のエネルギーに耐えられず、目は廻るわ、息苦しいわと情けない有様でしたが、今はすっかり自然に順応し、健康になりました。
 主人もまた糖尿というやっかいな病を患いすっかり衰えて、とても里山の活動は出来ませんでした。会の農園をお借りする事が出来るようになり、マイペースで畑仕事を楽しんでいるうちに、土と植物に癒されて、主人もいつの間にか健康を取り戻す事が出来ました。
 と云う訳で、私達夫婦は会員の皆さんに紛れ込んでいるだけで、実はたいした労働はしておりません。
 “枯木も山の賑わい”と云うことで、もう暫く(?)は皆さんと一緒に遊ばせて下さい。
 感謝の気持ちを伝えたくて、ペンを執らせて頂きました。

長 谷 部 健 二
 桑田里山に入会三年目、毎回参加する毎に里山での活動?(遊び)が楽しみです。幼少の頃?(小生にも幼少の時があり)田舎の野山を駆け回った事、戦後東京の焼跡で遊んだ事が身体のどこかに染み着いていたのでしょう。
 また、長年東京サバクの中での生活してきた反動が自然への回帰を求めたのでしょう。先般も某市内の公園に出かけた折、子供達が施設の中で、風車の芝生の広場、周囲数キロの池、丸太の遊戯施設等で、黄色い声を上げて楽しそうにはしゃいで遊んでいました。
 しかし、その公園は二メートル程の緑の金網のフェンスに囲まれ、自然を活かして作られたとはいえ、芝生の丘、ボートの池も、花壇の木々も、風車、建物も、全てが造成された立派な施設の中での安全が守られた中での事です。
 いや人間は、特に子供の時代はもっと自然の中での遊びが必要ではないでしょうか?そう考えると桑田の里山は、未だ整備途上ですが自然がいっぱい残る貴重な里山です。そんな中で親子が本来の自然に触れ合う絶好の場所だと思います。       
 今後の活動で、ログハウス他、楽しめる遊びの道具を整備して、多くの子供達を呼んで楽しく集える里山にしたいものです。
《こどもたちよ、若者よ、桑田の里山にきて自然に触れ合いましょう・・・待ってまーす》

鮫 島 貴 子
 自然が好きだけど東京も捨て難く〜週末(場合により月一)田舎暮らしを始めてもう六年が過ぎました。三年位前に南房総、COMというサイトで「桑田里山の会」を知り、以来皆様にはお世話になっております。
里山の会では、毎回新しい発見があり、とても楽しいです。先月は、初めて蓮の実を見ました。今、蓮の実をモチーフに創作中です。
東京にいると自分の中の動物的感受性が鈍くなる気がします。時々自然の中でのリハビリが必要なので、私にとって里山はなくてはならないものになっています。とはいえ、忙しいとなかなか行けないのですが・・・。
そんな不定期参加の人間なのでたいした意見は言えないのですが、都市生活者にもっと里山の会の活動を知って貰うPRもしたらいかがでしょうか?
単発的にイベントなど。企画など、お力になれると思います。これからもどうぞ宜しくお願い致します。

北 村 紘
 今、里山で炭を焼く。炭木と天木を窯に詰める。窯の入口を太い生木で上部二0センチを残してふさぐ。ここまでが準備。
炭焼きの朝を迎える。
朝四時、窯の入口の下に杉などの燃えやすい木を集め、点火。長い炎が入口の下から上に流れ、窯の中に吸い込まれていく。そのうち白い煙がもくもくと出る。一時間に一五度窯の温度が上がる。これから二0時間は忍耐と丹念にという二語に尽きる。
 真夜中十二時、三00度まで窯の温度は上がる。ここからは早い。二時、四00度。四時、五00度を突破する。窯の中の炭は暗赤色だったものが、すべて黄金色に輝く。炎はゆらゆらと短くゆらめいている。
 朝五時窯を閉める準備をする。小さなレンガ片三つの上に大谷石三つを重ねて入口をふさぐ。
 泥マンジュウを作り窯の入口と大谷石の間をマンジュウを投げつけて埋める。
この作業は非常に熱い中で、二五時間徹夜で窯焼きをした後で、疲れてはいても一番緊張する時だ。入口をふさぐ作業の後、煙を見ると紫色の薄い煙が朝もやに溶ける様に立っている。
 この度十一月の岬祭りを前にして、一0月初めに竹炭が焼かれる。いい炭が焼けるといいなあと思う。

センター長 佐 藤 務
 二00四年七月、江澤さんの紹介で離農した農家をお借りしました。以降、手を加えながら研修センターとして活用しております。
 センターの概要は@敷地約四00坪A建坪約三0坪B畑約二00坪で、特筆すべき事は周囲が孟宗竹林である事です。春の筍は言うに及ばず、夏の竹林を通る風、冬の月光、早春の葉音等、それはそれは心落ち着かせる現象で、都会では決して体験出来ない事でした。
 私自身は東京生れの東京育ちですが、何か日本人としての、あるいは農耕民族としての原点回帰のような気がしております。
 さて、現在は@宿泊施設A農園の休憩所・水場B会議会場C作業場などに活用しております。因みに本年上期の宿泊者は述べ四一泊(センター長と縄文人で三一泊)でした。
最後に利用手続きですが、宿泊希望者は電話・メールなどセンター長へご連絡下さい。布団は十組ございます。利用料は一泊千円で食事代・アルコール類は実費となります。
 次回は、具体的活動内容などをご紹介致しましょう。