短編小説 最期の晩餐
「父さん。僕ら、外国に行くことにしたんだ」
「ずっと前から相談してたの。今の店は閉めるわ」
「今日は閉店日だから、最後のお客として来てほしいんだ」
「今日の午後六時、貸切にして待ってるからね」


 前菜として運ばれてきたスモークサーモンと京野菜のサラダにフォークをつきさすと、父は渋い顔で口を開けた。
「あいつも、なかなかいい店を開いたもんだよな」
 母はかなり速いペースで前菜を口に運びながら、うなずいて同調した。
「わたしのセンスが良いんですよ。あの子たちがあなたから授かったのは知識だけね」
 前菜の皿が妹によって片付けられると、今度はコーンスープが運ばれてきた。二人は同時にスプーンを握った。
「これだけ味がいいのに、店を閉めるだなんて。後先を考えないところもあなたに似てしまったわ」
 スープをすくうカチカチという音だけが店内に響き、父の顔をさらに渋くさせた。
「それがあいつらの決めたことなら、否定するつもりはない」
「わたしだって……」
 母は反論をしようとしたが、妹によって運ばれてきた白身魚のムニエルをみるなり、黙り込んだ。父は負けじと先に口を開いた。
「この味なら、外国で十分に通用する。文句は言わん」
「そりゃ、才能があるのは喜ばしいことよ。でも生活が大変よね。あの子たちには毎月、生活費を送ってやるつもりだから」
 その生活費の大半を自分が働いてかせぐことは、父も十分承知だった。まもなく白身魚は彼らの胃袋の中におさまった。
 次に運ばれてきたのは鶏肉のグリル野菜添えだった。
「相変わらず、食べるのが速いわね。やっぱり、シェフだからかな」
 鶏肉をテーブルに置きながら妹は笑った。
 父と母は顔をみあわせ、ちょっと口元をほころばせてから鶏肉をほおばった。これが自分の息子が作った料理であることに、誇りを感じているようにも見える。
「閉店だなんて惜しいな……」
 父は改めてため息をついた。母も今回ばかりは何も言わなかった。
「大丈夫。終わったらすぐに帰ってきて、また店を始めるわよ」
 彼らのテーブルには、皿に置かれた柔らかなパンがひと欠片ずつ残っていた。
「食後のデザートは、苺のアイスクリームか甘栗のモンブランのどちらをお持ちしましょうか」
 妹は丁寧にたずねてきた。
「苺のアイスクリームをいただくわ」母はすばやく言った。
「モンブランを」と父も続いた。
「かしこまりました」
 やがて、パンもなくなった二人のテーブルに、デザートが運ばれてきた。二人は去っていく妹の後ろ姿を見送りながら、感慨深そうにスプーンを手に取った。
「これが、最後の料理だな」
 父は栗の甘さにほおをゆるませた。向かいの母も満足そうだ。これからの生活に、いくらかの安心を持てたのは確かであると父は思った。
 やがて店の奥から兄が出てきた。その横には妹も立っていた。
 二人は食事の手をとめて二人をみつめた。兄は一礼してから、口を開いた。
「僕らは店をやめて、料理のことは忘れることにした。この先、二人で別々に過ごしていこうって決めたから、しばらく旅でもしてまた新しい人生の計画を練るんだ」
 都合のいいように勘違いしていたと気付かされ、呆気にとられる二人を戒めるように、兄は重々しく言った。
「最期の晩餐は、お楽しみいただけたでしょうか」
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