短編小説 ママとセールスマンたちの過激なる戦争
 ピンポーン……  ピンポーン……



 インターホンが鳴る音がする。築1年の家の壁に取り付けられた新品のインターホンは、モニターに気弱そうなスーツ姿の男性を映し出していた。キッチンでそうめんをゆでていたママは、インターホンのモニターをちらりと見ると、フゥッと鋭く息を吐いた。これは、戦闘態勢に入る準備をしているのだ、とわたしは経験から知っていた。
 そうめんをゆでている鍋の火を消すと、ママはスリッパをパタパタと鳴らしながらインターホンへ向かった。そして、通話ボタンをきれいな人差し指で押すと、
「はぁい、どちらさまでしょう?」
と、猫なで声を出した。明日が提出期限の漢字プリントを仕上げるために集中していたわたしも、思わず身を引くほどのかわりぶりだった。
「忙しいお時間に失礼いたします。わたくし、アキハマ教育も者ですが」
 ママが素早く舌打ちしたのが分かった。顔をしかめているのも見える。教育関係のセールスマンが来ると、とりわけ対応が厳しくなるのがうちのママ流だ。ママの持論は「教材を選ぶのはこっちなんだから、わざわざ売りつけてくる必要なんてない」というものだ。それは、わたしが知っている限り、今まで一度も考えがかわったことはないはずである。
「今すごく忙しいんで、あとにしてもらえません?」
 ママは気弱そうな30代くらいのセールスマンの男性にキツい一言を浴びせる。先攻は今回もママの方だな、とわたしはひそかに考える。もっとも、セールスマンが先攻を勝ち取ったことなんて今までなかったけれど。
 けれど、気弱そうに見えてセールスマンはたじろかなかった。
「今回は参考までにしてもらえたらと思いまして。今アキハマ教育の方で小中学生のお子さんに国・数のサマーワークをご用意しているんですが、もし良ければそちらのパンフレットに目を通してもらうことはできますでしょうか?」
 ママは、相手に見えないのをいいことにセールスマンをじろりと睨んだ。
「結構です。今、うちの子塾に行ってるので」
 もちろん嘘だ。
「復習や弱点補強に重点をおいているので、塾に行っているお子さんでも十分にお使いいただいていますよ。パンフレットだけでも、見ていただけませんか?」
「塾の教材で十分ですから」
 こういうとき、うちのママは断じて強制的に通話終了したり居留守をしたりしない。なんだかんだ言って、口論をした末に折れて帰ってもらうのが一番スッキリするのだという。
「もしサマーワークの内容について疑問がおありでしたら、お試し期間と言うことで一週間で終わるワークをご用意しておりますが……」
 ママは、渋い顔をしていた。そして、沈黙を破る。
「あのー、セールスとかはあまり信用しないので。お引取り願えません?塾に行かせなきゃならないんで、時間がないんですよ」
 セールスマンはカバンに手をやりながら答えた。
「でしたら、簡単なパンフレットをご用意しておりますので、ポストに入れさせていただいてもよろしいですかね?」
「それを置いたら帰ってもらえますね?」
 ママはあくまで口論による決着をつけたいらしい。不服そうな顔だった。
「出来れば説明させていただく方がいいと思うんですが、お忙しいならばまた後日お伺いいたします」
 セールスマンは口を一文字に結んでいた。結構、曲者らしい。
 また来るかもしれない――ママはそう思っているかもしれない。
「結構ですよ、パンフレットなんてどうせ見ませんから」
「……そう、ですか……」
 ハハハッとセールスマンは苦笑した。思いをストレートに言われると、厳しい業種らしい。
「今後の参考にしていただければ幸いですので。とりあえず入れさせていただくだけで結構ですよ。興味があればご一読ください」
「二度と来ないでくださいね。どうせ、読みませんから」
 セールスマンはもう一度笑うと、胸ポケットからボールペンを抜く。
「まあ、こちらとしても全ての方に読んでもらえるなんて甘いことは考えていませんよ。そうでなきゃ、こんな仕事できませんから」
 セールスマンはポストを開けて何かを投げ込み、「失礼します」と言ってから次の家へと向かった。


「なんか、不完全燃焼って感じだったわ」
 不服な様子で、そうめんをすするママ。塾なんて無縁なわたしは、のんきに錦糸卵とそうめんを一緒に流し込む。
「ああいうのは絶対に長続きしないもんなの。受け取ったところで、次は定期的な教材を勧めてくるんだから、きりがないのよね」
 わたしはちょっと興味をひかれたので、そのパンフレットをポストから抜き出して、勝手に自室で読んでみた。
 すると、裏表紙の白い部分にボールペンでこう書かれていた。
『完敗です!』
 なかなかお茶目なセールスマンもいるのだな、と思った。知らない内に彼に親近感が湧いてきて、思わずにやけていた。
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