短編小説 透明なもの
スケルトントイレ、と私は理科の授業中に考えた。中学校の3時間目っていうのは、どうも面白い授業じゃないし、ちょっとお腹も空いてくるから、どうしても頭の中でいろいろなことを考えてしまう。今も、ちょうどそんな3時間目。いつもの私の3時間目。女子の個室のトイレっていうのは、仕切りもあるし扉もあるけど、あれが透明だったら……と、ホントの女子らしからぬものすごいことを考えていた。
―― 絶対ありえないって!
私は真面目な顔をしながら、自分に自分でつっこみを入れる。だって、こんなこと理科の授業中に考えているなんて、だれが想像する?きっと、先生だって気付いていないはず。私が一心不乱に授業をきいているとしか思っていないだろう。
あまりに自分にいろいろと言い訳していると、ちょっと滑稽だった。だから私は筆箱をガサゴソして、ごまかした。
授業が終わる頃、私のノートには下手で気持ち悪い細胞の絵ができあがっていた。細胞分裂の授業だった。染色体がコピーされて、分かれて、細胞がくびれて……。そんなの知ってても、役に立たないのに何になるんだろう?
勉強っていうのは、どうも意味がないものに思えてしまう。
そういえば、理科の先生はものすごく髪の毛が少ない。というか、無いに等しい。もっとハッキリいうと皆無だ。だって、毛の一本も見つからないから。おでこがだんだん広くなっていって、毛根まで侵食しちゃったんだね、きっと。
ちなみに私たちの担任でもある社会の先生は、ものすごく髪の毛がふさふさ。半分くらいをかつらにするために剃っても、まだまだふさふさ。あの髪の毛を理科の先生がねたんでいるというのが、私たちの間ではもっぱらの噂だ。
私はちょっぴりも笑わずに、そんなことまで考える。スケルトントイレから、先生の毛根のことまで。
ありえないことを考えるのが、私は大好きだ。
だから、勉強みたいにすぐに役立ったり、生活のどこでも使えるようなものはあんまり興味がない。早く大学生になったら、ありえないことばかりを考えて暮らせるような学科に進みたいと思う。
そんな学科あるのかどうか、全然知らない。でも、何となくなんとかなりそうな気がするから、今はとりあえず細胞分裂の授業でも受けてる、という感じ。
その後トイレに行ったら、他のクラスの女子が10人くらいでたむろしていた。
携帯電話を持って、彼氏と電話してる女子を筆頭に、アイラインをくどいほどつけた奴と、スケ番みたいにスカートが長い奴と、わざわざ太い赤縁の伊達メガネをかけてる奴が取り囲んで、おしあいへしあいしていた。
逃げるように個室に入ったら、スケルトンという言葉をまた思い出した。で、スケルトンじゃなくて良かったと心底ほっとした。こんなのスケルトンじゃたまらない、と目の前にある青い囲いをにらんだ。
個室を出ると、女子はまだたむろしていた。水場が使えないほど集まっていたから、私はその中を縫うように進んでいった。
「ちょっとさぁ」
後ろから気だるい声がきこえた。体半分だけ振り返ると、口を半開きにした携帯女子が、こちらを上目遣いににらんでいた。細胞よりクレーターより気持ち悪い、と思った。
「今の話、きいてたぁ?」
ぷぅんと香水のにおいがした。何も聞いてない。でも、どうなるんだろう。
そこで気付いた。私の未来こそスケルトンじゃないか!
―― その後、どうなったか。どうもしていない。うまく逃げた。
ただ、ありえないような、予想していないような人生になった、とだけ伝えます。