田舎Dream 沢子 の章
 小銭が数枚しか入っていない小さな財布の中をみて、あたしはため息をついた。これでまた二週間ほどはカラオケへいけなくなるだろう。
 そりゃあ、あたしの住んでいるのはハッキリいって田舎。カラオケだって歩いていける距離にないし、あるのは田んぼとか畑とか木造の民家とかばっかし。けどあたしはお金があるとき、こっそりバスにのって中心街まで行って、一人でカラオケで歌いまくる。理由は簡単、歌いたいから。
 あたしの声が魅力的で、きれいで、何かを伝えることが出来るほどの力を持つことが出来たら、どっかの事務所だって入ってマネージャーもつけてやるの。歌手としてデビューして、注目を浴びるのがあたしの夢だ。
「歌手ぅ?沢子(さわこ)ってそんなハイカラな人だったの?」
 同じ小学校で同じクラスのあおいは、あたしが歌手になりたいというとそう言った。
 でも自由だと思う。人のため世のために生きなきゃってあがかなくても、って。好きなことをして生きているのが一番楽しいってあたしは思う。好きなことに打ち込むことって、大切だって校長先生も言ってたもん。
「あおいはどうして弁護士になりたいの?」
と以前きいたことがある。あおいはちょっとためらいながら、言った。
「だって……都会で働きたいし、人のためにもなるし……」
 あおいがそう思うんだったら、あたしは何も言おうなんて思わない。それは人ぞれぞれ自由だもん。


 予定より早くおこづかいが前借出来た。有無も言わず、学校から帰るなりすぐ支度をすると駅前行きバスへ乗り込んだ。
 いつものカラオケで一人で歌った。本当は、もっとちゃんとしたレッスンを受けておきたいのにな。いつもそう思いながら、歌っているとやめられない。お気に入りの曲を数曲、歌った。
 その後は商店街にあるCDショップ。店頭には新作のCDがずらりと並べてあって、どれもあたしの好きなアーティストだから、あたしは思わず手にとって曲のラインナップを眺めた。
 歌手になった人の話をよくテレビで聞くけれど、モデルや女優のかたわら、歌手デビューを果たしたケースもあるようだった。小さい頃のあたしはてっきり、モデルにならないと歌手になれないと思い込み、それを母さんに言って大笑いされた。
 歌手なんてずっと売れ続ける職業ではないし、むしろ芸能界なんてはるか遠い世界にも思えている。歌えなくなったら、太ってしまったら、それが歌手としての華やかなひとときの終幕を告げることになる。
 でも、人生の内でほんのちょっとでもいいから歌手になって、注目されたらこのカラオケでの日々の努力も報われる。それが一番いいと思う。太く短く楽しむのも、細く長く楽しむのも自由。
 財布の中身は半分ほどになっていた。帰りのバス代をひいても、その残額で目の前のCDアルバムは買えそうになかった。あたしは気を取り直して、書店へ向かった。
 結局バスに乗っている途中でお金ががわずかに10円足りないことに気が付いて、一歩手前のバス停で降りるはめになった。


「あれー、本なんか買ったの?」
 こっそり帰ったつもりだったが、母さんに見つかってしまった。手に抱えている本の袋を見たのだろう。
 実は、書店で「音楽で生きてみたい君に」という題名の本があったので思わず買ってしまったのだ。文庫本にしてはちょっと薄いし、値段もギリギリ買えそうだったので手が出てしまった。これであと一ヶ月はカラオケに行けないだろう。
「わっ、悪くないでしょ!」
 あたしは体で素早く本を隠すと、自室へと閉じこもった。
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