2010/4/20(Tue):今日は真面目に語ってます
司馬大先生の吉田松陰と高杉晋作を描いた長編、<世に棲む日日・全四巻>をやっと読み終わりました。初めての長州本、頑張りました。 高杉は今迄毛嫌いしていた人物ですが、読んでみると誤解や新しい発見があり、2人に興味を向けてくれた銀魂に、改めて感謝したい気持ちです。 薩長軍に蹂躙された側から言えば、高杉率いる奇兵隊は悪の権化のような存在。 けれど、日本史の教科書や参考書、史実を元にした小説の類をいくら読んでも、高杉晋作が奥州入りし奥羽越列藩同盟を打ち破った、とは書かれていませんでした。 そして、彼が明治政府の重鎮として活躍したとも記されておらず、どんな晩年を送ったのかも謎のままでした。 常々それを疑問に思いはすれども、長州側の本を読む気にはならず、猫は長いこと高杉に対してあらぬ誤解をしていました。 高杉晋作は確かに奇兵隊の創始者、司馬先生の言葉を借りれば<開闢総督>(かいびゃくそうとく)です。が、高杉は作るだけ作って後の権力を他人に譲り渡してしまったのです。 先ず、ここが第一の誤解。道理で鳥羽伏見以降の奇兵隊総督の名に、高杉が出てこないわけですね。 そして第二の誤解、それは、高杉が戦争と革命に命をかけたのは、鳥羽伏見以前だということ。 事実を知った時は、高杉に対して土下座したい気持ちになりました(苦笑)。 寄らば大樹の陰だった藩政府を相手取り、攘夷か開国かをかけ中心人物として走り抜けた高杉は、長州藩が自分の思う道を歩き出したことを悟ると、潔く表舞台から引いてしまうのです。 その背景には、自身の労咳の悪化がありました。 高杉が総司と同じ労咳で亡くなったことを知ったのは、つい2,3年前のことでしたから、目から鱗が落ちた思いがしましたね。 道理で彼の名前が明治政府の長州閥にないわけで、彼の晩年が描かれない筈だ、と。 これらのことを理解したら、これまで抱いていた高杉晋作像が崩れ落ちてしまい、彼に対する気持ちも変化しました。 漫画のキャラとはいえ、高杉晋助への思いの裏には、どこか後ろめたいものがありましたからね…。 別に漫画なんだから誰を好きになってもいいじゃね?という気持ちもありつつ、銀ちゃんを筆頭にどんどん辰馬や晋助、ヅラといった攘夷組に惹かれる自分は、なんと節操のない人間なんだ、とね。 でも<世に棲む日日>を読んだお陰で、晋助好きでもいいんだーー!!と、吹っ切れてしまいましたよ(苦笑)。 確かに奇兵隊を作ったのは高杉ですが、彼自身が指揮して戊辰の役を戦ったのではありません。彼はその前年に鬼籍に入ってしまっているのですから。 晋作さん、ご免なさい。私は長い時間貴方を誤解してました。申し訳ない。けれど誤解が解けたお陰で、長州嫌いが少し改善されたように思います。 端から見れば志半ばで病に倒れた志士の一人でしょうが、彼自身はどう思って逝ったのでしょう。辞世の句、 『おもしろき こともなき世を おもしろく』 この下の句は別人によって添えられており、高杉が言いたかったことを本当に顕しているとはいえないそうですが、猫はこんなかな、と思います。 (くそ面白いこともない世の中を、どう面白くしようかとやってきたが…まあ幾らかは面白かったんじゃねえかな、俺の人生は) 動けば雷電の如しと言われた長州の風雲児は、悔いなくこの世を去ったような気がしてなりません。 本当に、歴史は知れば知るほど奥深く、その都度新たな発見があるものですね。 |
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