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アムロが来るというから、久し振りに私が夕食の支度をかって出た。
アルテイシアも快く賛成してくれて、『器用な人は何をさせても上手いわね』と笑っていた。
そう。
最近の私は料理に嵌っていたので、事ある毎に腕前を披露したくて、機会を伺っていたのだから。
元々理系の私には、料理は化学や物理の実験と計算のように思われて、実に楽しいものだった。
食材と正確な分量の調味料。それらの化学反応が、火加減やタイミングで微妙に変わっていく様はとても興味深い。
『そこに愛情というスパイスが加わって、初めて”料理”に変化するのよ、兄さん?』
アルテイシアの言葉を胸に噛締めつつ、二人がどんな顔をするのか想像に耽りながら、私は頭の中でメニューを考える。
アムロは放っておくとジャンクフードしか摂らないから、せめてここに来た時くらいは、と私もアルテイシアも気合が入る。
アルテイシアはフレンチが得意なので、私はイタリアンにしてみるか。
アムロもパスタは好きだと言っていたし丁度いいだろう。
パスタとサラダとスープ、ドルチェは何がいいだろう…万年欠食児童には肉料理も必要だろうか。
食べさせたい、食べて貰いたいと思う相手に作る料理は、メニューを考えるのも実に楽しいものだが、これが家庭の主婦ならばうんざりする作業なのだろう。
毎日家族の為に三度の食事を作るというのは、栄養面や嗜好を考慮するとメニューを考えるのが面倒そうだ。
…一度試してみるのも面白いかもしれんが…いや、アルテイシアに怒られそうだから止めよう。
戦争を得て、優しかったアルテイシアは凛々しく逞しくなった。その変化には、間接的に私が手を貸したようなものだから文句も言えんが…
子供の頃は泣いて縋ってきたのに、今では真っ向から私を見据えて、堂々と叱り付けてくる。
その迫力といったら…我が妹乍ら恐ろしいものがある。
尤もそれは、私が再び道を踏み外さないようにとの、肉親ならではの責任感からくるものだ。
愚かな兄を持ったが故の妹の苦しみは、父と母を失い私が復讐を誓った時から始まったのだろうな。
アルテイシアの怒った顔を見たアムロが、『セイラさん昔も怒ると怖かったけど…貴方にそっくりな表情で、同じ怒り方をするんだね』と笑っていたのが…どうにも腑に落ちない。
いつ私が怒ったかと尋ねれば、『ロンデニオンで』と一言。
…いやな事を思い出した。あの時アムロは、私を投げ飛ばしてくれたのだった。
体格は私のほうが上なのに…何度も何度も私の手を振り払ってくれて……っと止めよう。
もう過ぎた事だ。
過ぎ去った時刻よりも今のほうが大切だと思えるのは、他ならぬアムロが教えてくれた事。
今回ばかりはアムロから手を差し伸べてくれたのだから、もう何も言うまい。

街へ出掛け、必要な食材を揃えて帰宅すると、アルテイシアは先に帰って来ていた。
暖かいリビングを覘くと、ソファで紅茶を飲みながら分厚い論文を読んでいるようだった。
「アルテイシア、早かったな」
「あ、お帰りなさい。買物?」
論文から顔を上げて私を見ると、アルテイシアは幾分表情を和らげた。
患者の症例に関するものなのか、ガラスのローテーブルには様々な資料が散らばっている。
ほんの少しだけ、目元に疲れが浮かんでいた。
「ああ。明日の準備をと思ってね。明日は日勤だったか?」
もしかすれば患者の容態の悪化で呼び出されるかもしれないが、一応確認はしておく。
ここ何度か、アムロが来る日に限ってアルテイシアは留守で、『偶にはセイラさんの顔が見たいなー』と気落ちしていたのだ。
『私では不服のようだな』と尋ねれば、『いつもいつも、三十路の野郎二人じゃ潤いがないだろう』と返された。…ご尤もだ。
当のアルテイシアは『私はお邪魔ではなくて?』と笑うのだが、昔から憧れていた(らしい)アルテイシアに会えないのは寂しいようだった。
そして『憧れの人と貴方が同じ顔なんて…』と、私を横目で見ながらこれみよがしに溜息をつくのだ、奴は。
全く、こんなに遠慮のない男だっただろうか?少年兵だった頃のアムロは可愛らしかったのに残念なことだ。
「どうかしたの、兄さん?ふふ、私もお相伴に預かれそうだわ、何を作るの?」
いっそのこと砂糖と塩を間違えたドルチェでも作ってやろうか、と根暗な考えに浸りそうになった時、アルテイシアが現実に引き戻してくれた。
「あ、ああ。イタリアンにしようと思うがいいかな、アムロも好きだし」
「勿論よ。手伝いましょうか?」
「いや、大丈夫だ。良ければ今日も私が作ろうか?忙しいならお前はそれを読んでいるといい」
「いいの?」
「構わない。偶にはゆっくりしたまえ」
「…じゃあお言葉に甘えるわ。ありがとう、兄さん」
アルテイシアの笑顔でアムロの言葉を思い出す。
『流石兄妹だね、怒った顔も笑った顔もそっくりだ。』
そう言うとはにかんで、『だからかな、貴方の自然な表情って凄く好きなんだよね』と続いたのだ。
本当に。
貶(けな)すかと思えば褒めたり思わせぶりな事を言ったり、君は気紛れな猫のような男だよ、アムロ。
その猫の為に、好きそうなメニューを考える私は…一体何なのだろう。
いやそれよりも、今日の夕食が先だ。
………ああ。
家庭の主婦の気持ちが何となく解った気がする。
何にしようか、今ある材料で何が作れるか。
予め考えていたのとは違って、急に作るとなると予想以上に頭を悩ますものだ。
冷蔵庫の中身を確認した結果、今晩の食事は…あのアムロでも『それくらい作れる!』と豪語するシチューになった。
まあいいか。
決して手抜きなどではないのだから、アルテイシアも許してくれるだろう。
…多分。
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