投稿集T
1990年前後「介護」という言葉が俄かに世間で取り上げられるようになった。
そんな中で、介護雑誌「優しい手」に介護体験記を投稿。
二席に入選した。介護13年目のことだった。
嬉しい嬉しい入選だった。

講評:::::::樋口 恵子氏の一文を載せてみましょ。

【社会とつながった家庭介護を】

●北から南まで、本当に日本は女性にとって「老人介護列島」だと思いながら読みました。
さまざまな調査を見ても、要介護者のそばで主たるみとり手となっているのは、九割がた女性。みとる相手は親であったり、舅姑であったり、夫であったりさまざまです。

長い介護期間、女性たちは鬼なったり、仏になったり、神になったり、自らの心の葛藤ともたたかいながら老いをみとっています。物理的体力的な疲ればかりでなく、世間の目や自分自身とたたかわねばなりません。
今年の新語賞を獲得した「二十四時間タタカエマスカ」というのがありました。
文字通り二十四時間さまざまな相手とタタカッテいる人、それは老人介護者です。現代の隠れた勇者です。

この優しき勇者を「戦死」この社会の恥です。介護者もお年寄りもともども私たちの社会に参加しながら、命を輝かせつつ共に生きられるような社会が、豊かな社会ではないでしょうか。人間は孤独に耐えられても、孤立には耐えられません。
お年寄りを抱えた家族が孤立しないよう、社会とつなぐ福祉サービスををもっと拡充してほしいと思います。今回の体験記の中で、そうした社会福祉サービスを上手に利用している例も見られたッ事に、ほんの少しほっとしながら読ませていただきました●

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審査に当たってくださった方々の講評/寸評を読ませていただいて胸熱くしたものです。孤独・孤立ということについて〜〜随分考えました。
現実の社会資源と向き合うとき「孤立」という言葉が見え隠れしていた時期もありました。
2007/12/15 09:27
過ぎ去りし日々の記憶
昭和51年4月7日早朝、3女の高校の入学式を明日に控えた春の日・・・
母は倒れた。
晴天の霹靂だった。
この日から、31年間・・・母と共に歩いてきた私の道程。
娘に生まれ、永遠の別れまでの記憶を辿ってみよう。
心からの感謝を込めて。

当時・・・
父と、
妹・・・15歳
弟・・・13歳
妹・・・11歳が暮らしていた。
私は、他市で独立していた。

ほかに…私が逢ったことのない姉(昭和20年死去)と、すでに自立していた兄・姉・弟・弟と父と母は9人の子をもうけている。
2007/12/15 09:24
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