▼歪曲にまわる真実
 冷たい風が顔を切っていく。マフラーはひらひらと風に逆らうことなく漂っていた。今朝出したばかりのコートが少しゴワゴワしているのはきっと、泉の体がまだ硬くて長いその生地に慣れていない所為だろう。

 自転車のハンドルを持つ手が芯まで冷えきっている。手袋でもしてくれば良かった。いまさらなことを思いながら自転車をこぐ。それでもと、最後の足掻きでコートの袖を伸ばして、気休め程度に手を守る。

 もうすぐ家が見えるというところまで着いた。ふと見ると街灯が照らす公園の中に人がいる。遠目に見てもすぐに誰だか分かってしまった。脱色された髪をゆるいヘアバンドで結んだその男は泉が近付くと、人懐っこく手を振った。

 「何でお前がいるんだよ」

 泉が出した声は自分でも驚くほどに冷たく、そして容赦がなかった。相手は浮かべていた笑みをほんの一瞬だけ歪めた。へらへらと締まりなく笑うその様に泉は言いようのない怒りを感じたが、それを口に出すことは最大の禁忌のように思えた。

 ああ、自分はまだこの人を尊敬し、愛しているんだ。泉はぼんやりと心の中で自嘲する。馬鹿みたいだ、ほんとに馬鹿みたいだ。お前の言葉に動かされてるなんて誰が言うかよ。あんたなんて最悪で、最低の裏切り者だ。俺にすら何も言わずに秘密を隠して、隠し通して、露見した挙句がこれだ。ほんと、最悪だよお前。

 最悪の元先輩は、それでも情けない笑いをやめなかった。それどころか泉の言葉を無視してずっと泉を見ている。

 「何で、笑ってんだよ・・・!」

 悔しかった、一緒に野球をしていた頃の浜田はこんな表情ではなく、もっと心から笑っていた。一度も言ったことはなかったが、いつもその笑顔が好きだと思っていた。それなのに、もうあの笑顔はないのだ。

 「・・・泉」

 浜田がやっと話しかけてきた。どうやらここに泉が居るとは思ってなかったようだ。かなり驚いた顔で泉を見ている。

 「何でここに居るんだ?」
「・・・それは、こっちのセリフだ」

 さっきまで泉が話しかけていたことも理解してないらしい。泉は一段と冷え込んできた夜にぶるっと震えた。

 「ああ何だ。夢じゃなかったのか。どおりでリアルだと思った」

 くすくすと笑い出す浜田を泉はあっけに取られて見ていた。ひとしきり笑い終わると浜田は泉を真面目な表情で見つめた。へらへらした笑いの影などどこにも見当たらない。泉はなぜだか怖くなった。ずっと見知ってきたこの男が何か違うものになってきている気がする。

 いずみ、浜田が呼んだ。その声は弾んでいたけれど、響きはとても悲しいものだった。

 「泉、ありがとう。俺を認めてくれてありがとう」

 何かこの男は勘違いしているのだ。俺は今の浜田のことなんてまだ認めていない。ただ、余りにも苦しそうな表情だったから、酷く悲しげな顔だったからつい頷いてしまっただけなのだ。
 結局なにも言えずじまいで浜田は去っていったけれど、泉の心にはまだしこりが残っている。罪悪感ではない、後悔でもない。ただ歯痒さだけが泉にこの男の存在を忘れさせないのだ。忘れようとするたびに過去が深く刻まれていく。そんなことで潰れるほどやわに出来てはいないが、それでも気分のいいものではない。

 「別に、お前のためじゃないから」

 そうだ、頷いたのは自分のためで、この歯痒さも自分のためだけに生み出された感情だ。汚いものだと蔑んでも、自分は自分を庇うことをやめようとはしない。

 馬鹿だ。

 不意に温かな体温が泉に伝わった。泉は浜田に抱きしめられていた、優しくまるで壊れこもを扱うかのように。

 「分かってるよ。分かってるから」

 ・・・何だよ。これじゃ立場が反対だ。いまさっきまで浜田を俺が認めていたのに、今度は俺が浜田に甘やかされている。
 
 「ばか浜田」

 もう抵抗する気などなかったが、それでも悔しかったから少しだけ嘘を吐いてみた。それもすぐにばれてしまったようだけれど。

 「ねえ泉、追っかけてきてよ」

 俺が逃げれないくらいに、浜田がそう戯れる。浜田はやはり変わった。半年前はそんなことは言わなかった。ただ戻ってくるとだけしか、伝えなかったのだ。きっとひとつの場所に留まれるようになったのだ。こんな戯言を言えるくらいには。

 「誰がお前なんか」

 浜田の体温はありえないほど温かかったし、泉の体温もそれと同じくらい熱いものだったに違いない。

 

 それはきっと急速のための熱。

 すぐに追いついてやるから、覚悟しとけ。





 なんか微妙に続いちゃってる感があるような、ないような。どっちだよ!泉目線は書きやすくて好きだ。浜田も楽っちゃ楽やけど。とりあえず中学から高校にいくまでの切ない期間が大好きです。

2006.12.03
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