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    ▼2020/8/31(月):工房事情・・・「水曜日の子」
    引っ越しのお知らせ

    この度、下記住所に 引っ越しすることになりました。

    現在工事中ですが、宜しくお願いいたします。

    https://kuroobi.web.wox.cc/


    工房ではいくつかの当面する課題があります。その間隙を縫って昔のことを思い出しています。要は、実現のほど解らないコンサートのプログラムづくりです。演奏曲目の候補に「Wednesday’s child(水曜日の子)」を考えているところです。これは、映画「さらばベルリンの灯」の主題歌です。

    この曲を知るきっかけは、テレビの映画を偶然に、そして何気なく観ただけのことです。50年ほど前だったようです。ストーリーはよく解りませんでしたが反戦映画だったようです。劇中で、西ベルリンのイギリス軍事務所のラジヲから流れた曲です。歌が終わると、「歌はマット・モンローでした。」の解説が入りました。

    即、その歌を覚えようとします。実は、T君が、マット・モンローのレコードを持っていたのです。直径30cmのLPレコードです。歌詞は簡単な単語です。さらにマット・モンローのクリアな発音です。5〜6回繰り返すだけで暗唱してしまいます。若さがあったのでしょう。

    ところが、同時に大きい課題が生まれます。「Wednesday’s child is full of woe」の意味が解らないのです。何故、「水曜日の子は悲しい」のかが解らなかったのです。

    以来、40年間もその課題に挑み続けます。英語の先生は勿論、アメリカ人、カナダ人、イギリス人等の、英語に堪能と思われる人に片っ端から訊き続けました。しかし、答えることは誰もできませんでした。
    あるとき、Y女史にそのことを訴えます。すると、「そんなことも解らないのですか。マザーグースです。」と教えてくれます。当時はまたPCもWEBも存在しない時代です。早速、D書店に相談します。昔、寺山修司が寄った書店です。

    社長のSさんが、「イギリスから取り寄せましょう」と便宜をはかってくれます。書籍は、国際間での交流があるのだそうです。や゛て、1ヶ月ほどで、4冊ほどの絵本が手元に届きます。その中にまさしく「Wednesday’s child」が載っています。今、WEBで検索すると、簡単にヒットします。和訳は谷川俊太郎です。イギリスの「数え歌」だったのです。

    Monday’s child is fair of face,(美しいのは 月曜日の子ども)
    Tuesday’s child is full of grace,(品のいいのは 火曜日の子ども)
    Wednesday’s child is full of woe, (べそをかくのは 水曜日の子ども)
    Thursday’s child has far to go, (旅に出るのは 木曜日の子ども)
    Friday’s child is loving and giving, (惚れっぽいのは 金曜日の子ども)
    Saturday’s child works hard for its living, (苦労するのは 土曜日の子ども)
    But the child that is born on the Sabbath day, (可愛く 明るく 気立ての良いのは)
    Is bonny and blithe, and good and gay.(お休みの日に 生まれた子ども)

    Posted 13:54
    ▼2020/8/22(土):工房事情・・・木工教室A

    5歳児対象の木工教室を行いました。大人と違って、子ども対象の場合にはいくつかの配慮が伴います。

    作業時間は30分〜40分程度が良さそう。また、作業の難易度にも気を使います。そして、何よりも怪我を誘発させない配慮です。簡単そうな条件です。

    作業時間は、集中可能な時間のことです。しかし、この時間は、課題に対する興味付け、目的意識等で変化します。要するに、指導する側と、受講する側の力量で異なるのです。

    結局、つくるものを箱にしました。それも、キット(kit)段階からの組み立てです。まず、製材所からいただいた板へのカンナがけからです。

    板へのカンナがけは、「小口カット」から始まります。それは、「小口(切り口)」が加えてかもしれない小石等の削除のためです。これは、先輩のS氏から教わった、表面には見えない陰の世界です。

    その後、プレナー(自動カンナ)を通します。通す回数は、最初の1面は2回、裏面には1回かけることにします。カンナがけは、高さを一定にした刃で行います。しかし、実際は、製材された板の厚さには若干の差異があります。最初の片面の2回は、その厚さを一定に揃えるためのものです。

    プレナーに通す1回目は、木の目の方向を確認する必要があります。刃の回転方向と木の目の関係は2通りあります。順目と逆目です。逆目にカンナをかけるとささくれ立つ傾向があるのです。

    大鋸で挽かれた段階の板はザラザラしています。それをプレナーに通すと美しく一変するのです。木工作業の工程で感激する瞬間のひとつです。

    この段階での材の長さは1メートル弱です。実は、製材は3尺(約90センチ)を目途にするようですが、実際は1メートルほどにカットされています。おそらく、「小口伐り」への配慮のようです。

    Posted 08:59
    ▼2020/8/20(木):工房事情・・・木工教室@

    先般、木工教室を開きます。対象は5歳児10名です。これまで何回か開催した木工教室ですが、幼児対象は初めてです。指導案をつくるには結構、難しいものがありました。

    事前準備に少し気合を入れることになります。まず、時間的な配慮です。せいぜい30分〜40分が妥当と考え、導入・展開・まとめ・評価の時間配分をしてみます。


    しかし、対象は幼児です。30分は長そうです。その中には、ドラマチック性や満足度等の演出の工夫もあります。「何をつくるか」は、その後です。そして、「ねらい」も教育的なものにしたいところです。

    結局、課題は「箱づくり」になります。材料は、世界の秀材青森ヒバです。まず、山に入って、青森ヒバを撮影してきます。次は、製材所に行き、乾燥中の材を撮影します。そして、製材の様子も撮影します。木工所では、板のカンナ掛け、パーツへの加工の様子を記録します。

    実は、幼児の作業は、パーツの組み立てだけなのですが、組み立てに至る経過も紹介する必要があったのです。

    実際の組み立て作業の前に説明をします。それは、事前にリハーサルしたものを動画に納め、それをプロジェクターで投影する方法です。子どもたちの作業開始はそれから始まります。

    わずか30分ほどの木工教室ですが、事前の準備時間は意外に多いものです。昔やったことのある高校の授業の事前準備と同じなのです。

    Posted 12:02
    ▼2020/8/17(月):工房事情・・・御下賜品
    先般、コロナ対策用としてマスクが職場に送られてきます。3月中半(なかば)だったでしょうか。以来、洗濯を繰り返しながら感謝と敬意を払いながら使い続けてきました。

    しかし、あるとき、知人から『あのマスクをまだ使っているのですか。』と指摘されます。訊くと『今は、大きいマスクの時代です。小さいマスクは誰も使っていませんよ。』でした。

    いただいたマスクは、税金が作用している正義を背景とし御下賜品(ごかしひん)です。それが早晩、「無用の長物」どころか「役に立たないもの」扱いされているのです。少し立腹します。

    1年前、『コロナの蔓延(まんえん)、人命危機を脅かしてもオリンピックは予定通り開催する。』と豪語した関係者が、ほんの数日後に『1年延期します。』と訂正します。極めて貞操観に欠ける実態を露呈しました。


    つい最近、国の代表者が、『補助金をやるから、コロナ菌を全国にまき散らせ。』と、全国に旅行を啓発しました。その結果、菌なんぞの存在しなかった南国の島までが汚染されます。

    仕掛け人のリーダーはじめ斡旋した旅行業者の責任は闇から闇に消えていきます。健康よりもオリンピックを優先としたリーダー同様です。

    高齢ながらもお勤めの身です。盆中の13日、14日、15日は出勤です。今年の墓参は見送りします。首都圏にお住まいのT氏が、『Essential Worker(エッセンシャルワーカー)であれば仕方がない。』と諭してくれます。

    エッセンシャルワーカー、というのは「一般国民が生活を維持するために欠かすことのできない業務に携わっている労働者」のことだそうです。盆も正月も無い、勿論、夏休みも冬休みも無い職業についている人のことです。

    それでも、昨日16日の日曜日は外出の断行です。目的地はH市の「朝市」です。年に数度お邪魔しています。朝市を覗きたがるのは、非日常性との出会いもさることながら、季節を知ることが出来るからで。それは、市場の様子からもそうですが、車窓からの景色もあります。H市近くなると東雲(しののめ)もまた美しいのです。

    久しぶりの朝市です。やはり、でした。前回と状況が変わっています。漁がお休みなのか、生魚は殆ど無く、干物が多いです。春に終わったと思っていたパセリの苗があります。驚きます。季節を問わずある瓶(びん)詰めの塩ウニは健在です。

    帰宅後は駐車場の整理です。収穫されることを待っているゴーヤー、きゅうり、トマト等に、やや、醜さを露呈があります。きゅうりの「台木」からカボチャらしきものが生っています。ご近所の達人が、『本来は、鋏で摘んでやらなければならないものです。』と苦笑します。

    Posted 17:35
    ▼2020/7/28(火):工房事情・・・字余り

     4連休でした。得体の知れない、前後関係のよく理解できない、そして、やや腹の立つ突然の4連休でした。
     その内容は、不要不急の外出に沿った4日間です。結局、自宅に籠(こも)るだけのものでした。教科書どおりです。

     しかし、折角のお休みです。その間、楽譜づくりと、コンサートのプログラムづくりに専念できます。尤も、そのコンサートは、実現性の極めて低い、空想の世界に近い、机上だけのプログラムです。いわば、お遊びの次元を越えるものではありません。

     準備しようとする曲目と曲数は、ジャンルを問わずの20曲ほどです。その中に、「ダンシングオールナイト」を入れる案が浮上します。

     音楽には、クラシック、民謡、ジャズ等、1,000以上のジャンルがあるそうです。しかも、いつも新しいジャンルが生まれてもいるのだそうです。その中に「ロック」もあります。「ダンシングオールナイト」はロックであり、ノスタルジアの分野です。尤も、流石(さすが)の1000種以上のジャンルであってもノスタルジアは存在しません。

     ロックは、「rock a billy(ロカビリー)」の短縮語のようです。これは、黒人のリズム&ブルース(rhythm & blues)と白人のカントリー・アンド・ウェスタン(country & western)を融合させたポピュラーソングのことです。

     よく思い出せませんが、「ダンシングオールナイト」が一世を風靡(ふうび)したのは40年ほど前です。その頃、奥州最北端の小さいスナックでも、気の利いた若い連中が歌っていました。

     当時、筆者もまた若いふりをして覚えようとしました。しかし、いつも「字余り」になります。1拍内に3語、4語、5語が割り当てられるなどしているのです。更に、1.5泊休止もあったようです。そして、リズムにもついて行けないほどの若さがありました。

     しかし、80歳を前にした今、何となく、何かを忘れているような思いに駆られていました。そして、この4連休に、40年ほど前にギブアップした歌に再挑戦することを思いつきます。

    あまいときはずむこころ ひとよのきらめきにゆれる
    キャンドルがうるむめのなかで むじゃきにおどってみせる

    ひとりごとといきひとつ それだけでくずれてしまう
    あぶなげなこいとしらず ぬくもりをてさぐりしてた


    このみせでさいごのよるを どちらからともなくそうきめて
    おもいでをなぞるようにおどる はじめてあったよるのように

    ※Dancing all nightことばにすれば Dancing all night うそにとまる
    Dancing all nightこのままずっと Dancing all night ひとみをとじて

     とはいうものの、コンサートです。伴奏はクラシックバージョンを考えています。
    Posted 14:24
    ▼2020/7/6(月):「工房」事情・・・ナツハゼ

    今日は日曜日です。お仕事はお休みです。早朝、朝市に行きます。早朝とはいうものの夜中の3時です。会場は太平洋岸のH市です。行程1時間40分ほどです。現地着4時30分でした。

    これまでは、現地着時刻は6時頃でした。それを1時間半も早くしました。それは、人出の程度が解らなかったからです。コロナ対策や何やらで、昨年末以来の、半年ぶりの開催だったのです。やはり、早い時刻にもかかわらず、人出は相変わらずごった返しています。

    廻るコースはいつも決まっています。最初に立ち寄るのは魚店です。若大将から、「お久しぶりです。」と元気の良い挨拶をいただきます。刺身用のイカ(烏賊)を求めます。しかし、「箱入りはすべて売り切れました。」です。朝の4時30分で既に売り切れです。不思議な世界でした。

    目的のイカの入手は叶わなかったものの数種類の魚は求めます。殆どは、囲炉裏(いろり)での焼き魚用です。

    他に、今日の目的に梅がありました。「カリカリ梅」の材料です。滑り込みセーフで買い求めることができました。既に7月です。柔らかくなる時季なのです。

    「カリカリ梅」は、ここ数年チャレンジしています。しかし、どうしても「カリカリ」には仕上がらないのです。調べると、「卵のカラ」や「冷蔵庫で漬ける」など、さまざまな技がありそうなのです。今年は何とかなりそうです。

    駐車場のナツハゼ(夏櫨)とスグリ(酸塊)が実をつけています。どちらも同じ「 berry」なのだそうです。ブラックベリー、ラズベリー、ブルーベリー、クランベリー等と同じなのだそうです。

    しかし、我が家のナツハゼもスグリも鉢植えです。ジャムをつくるほどの収穫は無理です。毎朝、出勤前に1粒つまむだけです。

    久しぶりに庭に入ります。忙しさに感(かま)けた庭は荒れ放題です。しかし、「サツキ」は昔通り(例年通り)鮮やかに咲いています。「ツツジ」に遅れること1ヶ月です。

    庭全体に、手をかけなければならない時期のようです。ツツジ、サツキは自分でできますが、マツ、イトヒバ、イチイはプロの手を借りることになります。お盆までは何とかしたいところです。少し億劫です。

    予て準備の「木工教室」が今週末に迫りました。先日、説明用のビデヲを収録しました。あとは、雰囲気づくりと、自身の体調管理です。


    Posted 11:09
    ▼2020/6/24(水):「工房事情」・・・つーいつい

    数日前、「めだかの学校」が聞こえていました。子どもの頃から知っている歌です。しかし、その詩の意味、となると、よく解らないものがありました。大人になってからメダカを飼う機会がありました。何となく解った気になりました。

    1. めだかの学校は川のなか そっとのぞいて見てごらん
    そっとのぞいて見てごらん みんなでおゆうぎしているよ
    2. めだかの学校のめだかたち だれが生徒か先生か
    だれが生徒か先生か みんなで元気に遊んでる
    3. めだかの学校はれしそう 水にながれて つーいつい
    水にながれて つーいつい みんながそろって つーいつい

    まず、「めだかの学校」の「学校」の意味が解りませんでした。作詞者の茶木としては、当初、この「学校」は「school」のつもりで使ったようです。実は、「school」には、「学校」の他に、「(魚・クジラ・イルカ)等の群れ」の意味があるのだそうです。
    茶木が題名に「学校」を織り込んだのは、「メダカが群れ」のつもりで使ったことが考えられるのです。やがて、その「school」が、逆に、一般的な「学校」としての意味も持たせたという推理です。それは、歌詞に、「生徒」も「先生」も登場することから想像できます。

    次に、1番の「そっとのぞいて」が解りません。血気盛んな若い頃、何故「そっと」でなければならないのか、と理屈をこねたことがありました。「そっと」でなく、普通に覗くとどうなるのかがわからなかったのです。

    やがて、実際にめだかを飼ってみて何となく解った気になります。
    「そっと」覗くと、無警戒なメダカは同じ動きではなく、リーダー不在の、個々がそれぞれの動きをしています。茶木は、その状況を、「誰が生徒か先生か」、「みんなでおゆうぎしているよ」と表現したようです。

    この場合、「そっと」ではなく乱暴に近づくと、全部のメダカが同じ方向を向き等間隔に整列します。警戒態勢のようです。その状態で、水槽の前で手を振れと、全メダカは一斉に180°方向を反転します。その様子が、あたかも、誰かが指示を出しているように見えるのです。

    或いは、茶木は、その指示をしているのが先生だ、と言ったのかも知れません。しかし、仮に先頭が先生であったとしても、反転した後は、その先生は最後尾になり、集団の中の一匹の生徒になるという考え方です。そのことを「誰が生徒か先生か」と表現しているのかも知れません。

    見事なのは、3番の「つーいつい」です。メダカの動きを「スーイスイ」ではなく「つーいつい」と表現しているのです。よく解りませんが、「スーイスイ」と「つーいつい」にはかすかな違いが感じられます。「スーイスイ」には、よどみなく泳ぐ、のニュアンスがありますが、「止まる(停止)」の様子は然程には感じられません。

    他方、「つーいつい」には「スッと動いてピタっと止まる」の連続した動きが感じられます。デリケートな違いであるものの、「つーいつい」は見事な表現と思われます。茶木の工夫を窺わせる表現に思えます。

    現在、5つほど水槽に40匹ほど飼っています。1月ほど前からお腹が大きくなっています。そろそろ、孵化しそうです。生まれたてのメダカは、親とは別の水槽に移してやります。手がかかるところが可愛いところでもあります。

    並行して畑仕事と木工教室の準備です。畑仕事には欠かせない毎日の作業があります。近くを通るご年配のご婦人が「脇芽を欠いたほうがいいのでは。」、や「きゅうりやピーマンは、最初に生ったもの採るようですよ。」等と、遠慮しながらコーチしてくれます。木工教室の準備は、説明用DVDの収録です。

    Posted 14:44
    ▼2020/6/20(土):「工房事情」・・・ひつじが

    最近変更のメールアドレスパスワードを忘れてしまいました。使った語句は身の回りのものです。数百回トライしたものの、解決に至っていないところです。変更したときは絶対に忘れない、と思っていましたが、老化進捗には勝てないのかも知れません。

    これまでのメールアドレスを捨ててもいいのですが、数十年間の情報が蓄積されています。勿体ない気持ちにもなるのです。

    この状況下でいくつかの疑問が湧いてきます。このまま、ログインできなければ、これまでの情報はどうなるのか、です。数十年か数百年後に突然出現するのかも知れません。

    他方、ログインできた後の情報の取り扱いも心配にもなります。あれこれの思いの中、いつしか眠りにつきます。丁度、「ひつじが1匹、ひつじが2匹・・・」に似ています。

    先般、優秀なプリンターを入手しました。パソコンからプリンターへの情報伝達は、無線で送る無線ラン(wirelessLAN)です。庭のPCから座敷のプリンターに、コードレスで命令ができます。不思議な世の中になってしまいました。時々、羽根のついた情報が空中を飛んでいる夢をみます。

    老い先の心細い中のプリンター調達は、コンサートのプログラムづくりのためです。実は、これまでは、原稿は自分のPCでつくり、印刷製本だけ外注していました。それでも結構な支払い金額だったのです。100部で数万円も要したのです。それを、自宅でやろうとする企てです。

    直近の「木工教室」が3週間後に迫りました。教材の準備は概ね終えました。現在、説明用のビデヲ収録を考えているところです。考えがまとまれば数分で終える作業です。悩む時間をもう少し楽しむつもりです。

    Posted 14:34
    ▼2020/6/18(木):「工房事情」・・BGM

    余暇をみつけてあれこれやっています。その一つが演奏会のプログラムづくりです。尤も、このコロナの中です。実際には、ほぼ実現性の無い演奏会の準備です。いわば、机上のプログラムづくりです。

    実は、音楽番組は毎日、各局が放送しています。しかし、その選曲が不満足なのです。番組づくりの担当者が世の中の趨勢をもとに選曲しているのでしょうが、老いた身にはもっと聞きたい曲がたくさんあります。それらはテレビでは取り上げられることはありません。

    結果的に、今回編集している曲の多くは、普段、テレビに取り上げられることの少ないものばかりです。事実、身近な若い方に「ジャニギター」を知っていますか。と訊くと、何のことですか。と不思議がられました。
    1. 名前のないロマンス(Romance Anónimo)
    2. アストーリアス(伝説)
    3. 夜が来る
    4. 白鳥の歌
    5. 夜霧のしのび逢い
    6. トロイカ
    7. 黒い瞳(DARK EYES)
    8. ともしび
    9. 北上夜曲
    10. 月の沙漠
    11. 百万本のバラ
    12. さすらい
    13. ジャニギター(Johnny Guitar)
    それぞれに解説をつけます。因みに、ジャニギターの曲目紹介は次のように考えているところです。
    ジャニギター(Johnny Guitar)。映画「大砂塵」(昭和29年・1954年)の主題歌。作詞・唄:Peggy Lee(ペギー・リー)。作曲:Victor Young(ビクター・ヤング)。日本語訳:不詳。多くの西部劇主題歌の中で最も美しく詩情豊かな曲です。
    はじめてこの映画を観たのは小学校低学年の頃です。ストーリーの意味がよく理解できなかった記憶があります。やがてテレビにも2度ほど放映されます。大人になってからです。その時も、何となく不快な想いをした記憶があります。魔女裁判のように、数と力だけが正義の理不尽さが強調されていたのです。
    しかし、ペギー・リー自身による詩と歌、そしてビクター・ヤング(Victor Young)の曲による主題歌は、その不愉快さを詩情豊かな作品に変えて余りあるものがありました。音楽の持つ不思議な力を見せつける映画でした。作曲者のVictor Young(ビクター・ヤング)は、他にも多くの映画音楽を手がけました。その中には「シェーン」の「遙かなる山の呼び声」もあります。
    ストーリー上、ジャニギター(Johnny Guitar)は、凄腕ガンマンの流れ者です。そしてギター弾きです。ジャニギターは、西部のレジェンド(伝説の人)として、人々の恐れと憧れによって名付けられた呼び名です。本名はジョニーローガンです。当初、ジャニギターとジョニーローガンは同一視されていませんでした。やがて、映画がすすむにつれて、あの伝説のジャニギターが実はジョニーローガンであることが解ってきます。
    映画の設定は、アリゾナの敷設(ふせつ)工事を時代背景に、酒場の女主人ビエンナと大地主の娘エマの相克(そうこく)、それに用心棒のジョニーを絡(から)ませたものです。
    主題歌「ジャニギター」は、ジョニーを想う酒場の女主人ビエンナの歌です。ビエンナとエマの決戦の前、この曲をピアノで演奏するシーンがあります。普段は男装束のビエンナが白いドレスに盛装して演奏します。事実、ビエンナは縛り首になる直前にジャニギターに助けられます。それほど切迫した中での演奏だったのです。圧巻でした。
    高校の頃、この歌を同級生が歌っていました。簡単?な歌詞ですが、当時は、今のようなWEBは無く、正確な歌詞の入手の困難な時代でした。あれから60年近くを経て、この度、ようやくまとめようとしています。何となく、人生の卒業論文のようでもあります。
    歌詞を、「原文」、「原文のカタカナ読み」、「原文の直訳?」そして、訳者不詳による「訳詞」の4バージョンにしてみました。
    尤も、直訳は極めて自信の無いところです。特に「What if you go, what if you stay・・・」は習ったことのないフレーズです。困っています。
    因みに、「Johnny」は「ジョニー」と発音するのが一般的なようです。しかし、「ネイティブ・native(その地に住む人々の発音)」では「ジャニー」なのだそうです。(少しくどい、かな?)

    Johnny Guitar

    Play the guitar, play it again, my Johnny Maybe you're cold but you're so warm inside
    I was always a fool for my Johnny For the one they call Johnny Guitar
    Play it again, Johnny Guitar

    What if you go, what if you stay, I love you But if you're cruel, you can be kind, I know
    There was never a man like my Johnny Like the one they call Johnny Guitar
    Play it again, Johnny Guitar

    来月、木工教室があります。今回は、幼児対象です。作業の説明にビデオを使うことを考えています。BGMも考えているところです。
    Posted 12:52
    ▼2020/6/15(月):「狼と少年」
    高校同期のF君が逝去しました。先般、お通夜に参加します。30〜40瓶の供花(くげ)があがっていました。会葬者の多い、大きい葬儀でした。

    半年ぶりのお通夜です。その半年間で、事情が変わっていることに気づきます。まず、自身の衰えです。いつも通っている同じ市内ですが、式場に辿りつくことが極めて厄介になっているのです。

    目的地周辺で10分以上もウロチョロします。同じ道路を何回も往復します。第4駐車場は発見しましたが、肝心の目的地の式場が解らない有様です。最後は、人を呼び止めて訊くことになります。

    結果的には、お訊ねした場所から100メートルほどのところでした。しかも、そこは数度も行ったことがあるところでした。

    式場に入ってからの香典返しの処理も厄介でした。これまでの常は、椅子の下に置くことでした。しかし、最近のお通夜では、受付で引換券だけが渡され、本物の香典返しは帰る際に引換券と交換に渡されました。

    尤も、数人は、引換券の仕舞いどころを忘れることもありますが、全体的には、非常にスマートなプログラムなのです。その記憶が残っていただけに、今回のお通夜で厄介さを感じたのでしょう。

    会葬者には年配者が目立ちました。年配者であることは、姿勢と歩き方で判断できます。また、白髪でも判断できます。マスクをしていても、老いは隠せないのです。

    筆者の腕前はゴミのようなレベルでしたが、F君は柔道部のレギュラーでした。彼の背負い投げは今でも目に焼き付いています。卒業後、「警視総監賞をもらったぞ。」と教えてもくれました。

    しかし、お通夜ではそのようなことには一切ふれられていませんでした。何となく、自身のお通夜を客観的に見る思いでした。何となく不愉快になります。

    他方には、感染症対策として、国をあげてマスク使用を唱えている中、マスクは逆効果だ、を主張するお医者さんが登場します。また、コロナの時流に乗じて大量のマスクを仕入れた業者が、売れない。と困っているようです。


    そして、テレビでは専門家と称する方が訳の分からない理屈を展開させています。新型コロナウィルスは「空気感染」しない。しかし、飛沫の水分が蒸発した小さな粒子が空気内に止まり、それを吸いこむと感染する。というものです。これまで、椅子1つの間隔をとってください。がいつの間にか2mの距離に変わっています。

    コロナ感染による危険を無視して2020オリンピックを主張した知事さんが、その直後、オリンピックを延期させ、コロナ感染対策路線に乗り換えます。見事な体(たいさば)きです。しかし、そこからは、微塵の貞操観念すらも窺えないのです。以来、彼女がテレビに出る即、チャンネルを変える習慣が身についてしまいます。

     リーダーが発する号令に従うことの社会性は持っているつもりですが、ここまで平然と黒白を反転することには、イソップの「狼と少年」を思い出してしまいそうです。困ったものです。

    駐車場のキュウリが順調です。実は、昨年も植えました。しかし、その剪定を忘れてしまっています。WEBの力が有難いです。他に、ラデッシュが収穫頃です。朝、数人が収穫に来ていました。

    酸塊が大きくなっています。想像するだけで唾液の湧き出る、あのスグリです。毎年、6月中旬が採り頃です。季節は、ハンコ(判こ)で押したように巡ってきます。

    工房では、来月予定の「木工教室」の準備です。たくさんの皆様のお力添えで、順調に進んでいます。



    Posted 12:37