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引っ越しのお知らせ この度、下記住所に 引っ越しすることになりました。 現在工事中ですが、宜しくお願いいたします。 https://kuroobi.web.wox.cc/ 工房ではいくつかの当面する課題があります。その間隙を縫って昔のことを思い出しています。要は、実現のほど解らないコンサートのプログラムづくりです。演奏曲目の候補に「Wednesday’s child(水曜日の子)」を考えているところです。これは、映画「さらばベルリンの灯」の主題歌です。 この曲を知るきっかけは、テレビの映画を偶然に、そして何気なく観ただけのことです。50年ほど前だったようです。ストーリーはよく解りませんでしたが反戦映画だったようです。劇中で、西ベルリンのイギリス軍事務所のラジヲから流れた曲です。歌が終わると、「歌はマット・モンローでした。」の解説が入りました。 即、その歌を覚えようとします。実は、T君が、マット・モンローのレコードを持っていたのです。直径30cmのLPレコードです。歌詞は簡単な単語です。さらにマット・モンローのクリアな発音です。5〜6回繰り返すだけで暗唱してしまいます。若さがあったのでしょう。 ところが、同時に大きい課題が生まれます。「Wednesday’s child is full of woe」の意味が解らないのです。何故、「水曜日の子は悲しい」のかが解らなかったのです。 以来、40年間もその課題に挑み続けます。英語の先生は勿論、アメリカ人、カナダ人、イギリス人等の、英語に堪能と思われる人に片っ端から訊き続けました。しかし、答えることは誰もできませんでした。 あるとき、Y女史にそのことを訴えます。すると、「そんなことも解らないのですか。マザーグースです。」と教えてくれます。当時はまたPCもWEBも存在しない時代です。早速、D書店に相談します。昔、寺山修司が寄った書店です。 社長のSさんが、「イギリスから取り寄せましょう」と便宜をはかってくれます。書籍は、国際間での交流があるのだそうです。や゛て、1ヶ月ほどで、4冊ほどの絵本が手元に届きます。その中にまさしく「Wednesday’s child」が載っています。今、WEBで検索すると、簡単にヒットします。和訳は谷川俊太郎です。イギリスの「数え歌」だったのです。 Monday’s child is fair of face,(美しいのは 月曜日の子ども) Tuesday’s child is full of grace,(品のいいのは 火曜日の子ども) Wednesday’s child is full of woe, (べそをかくのは 水曜日の子ども) Thursday’s child has far to go, (旅に出るのは 木曜日の子ども) Friday’s child is loving and giving, (惚れっぽいのは 金曜日の子ども) Saturday’s child works hard for its living, (苦労するのは 土曜日の子ども) But the child that is born on the Sabbath day, (可愛く 明るく 気立ての良いのは) Is bonny and blithe, and good and gay.(お休みの日に 生まれた子ども) |
4連休でした。得体の知れない、前後関係のよく理解できない、そして、やや腹の立つ突然の4連休でした。 その内容は、不要不急の外出に沿った4日間です。結局、自宅に籠(こも)るだけのものでした。教科書どおりです。 しかし、折角のお休みです。その間、楽譜づくりと、コンサートのプログラムづくりに専念できます。尤も、そのコンサートは、実現性の極めて低い、空想の世界に近い、机上だけのプログラムです。いわば、お遊びの次元を越えるものではありません。 準備しようとする曲目と曲数は、ジャンルを問わずの20曲ほどです。その中に、「ダンシングオールナイト」を入れる案が浮上します。 音楽には、クラシック、民謡、ジャズ等、1,000以上のジャンルがあるそうです。しかも、いつも新しいジャンルが生まれてもいるのだそうです。その中に「ロック」もあります。「ダンシングオールナイト」はロックであり、ノスタルジアの分野です。尤も、流石(さすが)の1000種以上のジャンルであってもノスタルジアは存在しません。 ロックは、「rock a billy(ロカビリー)」の短縮語のようです。これは、黒人のリズム&ブルース(rhythm & blues)と白人のカントリー・アンド・ウェスタン(country & western)を融合させたポピュラーソングのことです。 よく思い出せませんが、「ダンシングオールナイト」が一世を風靡(ふうび)したのは40年ほど前です。その頃、奥州最北端の小さいスナックでも、気の利いた若い連中が歌っていました。 当時、筆者もまた若いふりをして覚えようとしました。しかし、いつも「字余り」になります。1拍内に3語、4語、5語が割り当てられるなどしているのです。更に、1.5泊休止もあったようです。そして、リズムにもついて行けないほどの若さがありました。 しかし、80歳を前にした今、何となく、何かを忘れているような思いに駆られていました。そして、この4連休に、40年ほど前にギブアップした歌に再挑戦することを思いつきます。 あまいときはずむこころ ひとよのきらめきにゆれる キャンドルがうるむめのなかで むじゃきにおどってみせる ひとりごとといきひとつ それだけでくずれてしまう あぶなげなこいとしらず ぬくもりをてさぐりしてた このみせでさいごのよるを どちらからともなくそうきめて おもいでをなぞるようにおどる はじめてあったよるのように ※Dancing all nightことばにすれば Dancing all night うそにとまる Dancing all nightこのままずっと Dancing all night ひとみをとじて とはいうものの、コンサートです。伴奏はクラシックバージョンを考えています。 |
数日前、「めだかの学校」が聞こえていました。子どもの頃から知っている歌です。しかし、その詩の意味、となると、よく解らないものがありました。大人になってからメダカを飼う機会がありました。何となく解った気になりました。 1. めだかの学校は川のなか そっとのぞいて見てごらん そっとのぞいて見てごらん みんなでおゆうぎしているよ 2. めだかの学校のめだかたち だれが生徒か先生か だれが生徒か先生か みんなで元気に遊んでる 3. めだかの学校はれしそう 水にながれて つーいつい 水にながれて つーいつい みんながそろって つーいつい まず、「めだかの学校」の「学校」の意味が解りませんでした。作詞者の茶木としては、当初、この「学校」は「school」のつもりで使ったようです。実は、「school」には、「学校」の他に、「(魚・クジラ・イルカ)等の群れ」の意味があるのだそうです。 茶木が題名に「学校」を織り込んだのは、「メダカが群れ」のつもりで使ったことが考えられるのです。やがて、その「school」が、逆に、一般的な「学校」としての意味も持たせたという推理です。それは、歌詞に、「生徒」も「先生」も登場することから想像できます。 次に、1番の「そっとのぞいて」が解りません。血気盛んな若い頃、何故「そっと」でなければならないのか、と理屈をこねたことがありました。「そっと」でなく、普通に覗くとどうなるのかがわからなかったのです。 やがて、実際にめだかを飼ってみて何となく解った気になります。 「そっと」覗くと、無警戒なメダカは同じ動きではなく、リーダー不在の、個々がそれぞれの動きをしています。茶木は、その状況を、「誰が生徒か先生か」、「みんなでおゆうぎしているよ」と表現したようです。 この場合、「そっと」ではなく乱暴に近づくと、全部のメダカが同じ方向を向き等間隔に整列します。警戒態勢のようです。その状態で、水槽の前で手を振れと、全メダカは一斉に180°方向を反転します。その様子が、あたかも、誰かが指示を出しているように見えるのです。 或いは、茶木は、その指示をしているのが先生だ、と言ったのかも知れません。しかし、仮に先頭が先生であったとしても、反転した後は、その先生は最後尾になり、集団の中の一匹の生徒になるという考え方です。そのことを「誰が生徒か先生か」と表現しているのかも知れません。 見事なのは、3番の「つーいつい」です。メダカの動きを「スーイスイ」ではなく「つーいつい」と表現しているのです。よく解りませんが、「スーイスイ」と「つーいつい」にはかすかな違いが感じられます。「スーイスイ」には、よどみなく泳ぐ、のニュアンスがありますが、「止まる(停止)」の様子は然程には感じられません。 他方、「つーいつい」には「スッと動いてピタっと止まる」の連続した動きが感じられます。デリケートな違いであるものの、「つーいつい」は見事な表現と思われます。茶木の工夫を窺わせる表現に思えます。 現在、5つほど水槽に40匹ほど飼っています。1月ほど前からお腹が大きくなっています。そろそろ、孵化しそうです。生まれたてのメダカは、親とは別の水槽に移してやります。手がかかるところが可愛いところでもあります。 並行して畑仕事と木工教室の準備です。畑仕事には欠かせない毎日の作業があります。近くを通るご年配のご婦人が「脇芽を欠いたほうがいいのでは。」、や「きゅうりやピーマンは、最初に生ったもの採るようですよ。」等と、遠慮しながらコーチしてくれます。木工教室の準備は、説明用DVDの収録です。 |
最近変更のメールアドレスパスワードを忘れてしまいました。使った語句は身の回りのものです。数百回トライしたものの、解決に至っていないところです。変更したときは絶対に忘れない、と思っていましたが、老化進捗には勝てないのかも知れません。 これまでのメールアドレスを捨ててもいいのですが、数十年間の情報が蓄積されています。勿体ない気持ちにもなるのです。 この状況下でいくつかの疑問が湧いてきます。このまま、ログインできなければ、これまでの情報はどうなるのか、です。数十年か数百年後に突然出現するのかも知れません。 他方、ログインできた後の情報の取り扱いも心配にもなります。あれこれの思いの中、いつしか眠りにつきます。丁度、「ひつじが1匹、ひつじが2匹・・・」に似ています。 先般、優秀なプリンターを入手しました。パソコンからプリンターへの情報伝達は、無線で送る無線ラン(wirelessLAN)です。庭のPCから座敷のプリンターに、コードレスで命令ができます。不思議な世の中になってしまいました。時々、羽根のついた情報が空中を飛んでいる夢をみます。 老い先の心細い中のプリンター調達は、コンサートのプログラムづくりのためです。実は、これまでは、原稿は自分のPCでつくり、印刷製本だけ外注していました。それでも結構な支払い金額だったのです。100部で数万円も要したのです。それを、自宅でやろうとする企てです。 直近の「木工教室」が3週間後に迫りました。教材の準備は概ね終えました。現在、説明用のビデヲ収録を考えているところです。考えがまとまれば数分で終える作業です。悩む時間をもう少し楽しむつもりです。 |
余暇をみつけてあれこれやっています。その一つが演奏会のプログラムづくりです。尤も、このコロナの中です。実際には、ほぼ実現性の無い演奏会の準備です。いわば、机上のプログラムづくりです。 実は、音楽番組は毎日、各局が放送しています。しかし、その選曲が不満足なのです。番組づくりの担当者が世の中の趨勢をもとに選曲しているのでしょうが、老いた身にはもっと聞きたい曲がたくさんあります。それらはテレビでは取り上げられることはありません。 結果的に、今回編集している曲の多くは、普段、テレビに取り上げられることの少ないものばかりです。事実、身近な若い方に「ジャニギター」を知っていますか。と訊くと、何のことですか。と不思議がられました。 1. 名前のないロマンス(Romance Anónimo) 2. アストーリアス(伝説) 3. 夜が来る 4. 白鳥の歌 5. 夜霧のしのび逢い 6. トロイカ 7. 黒い瞳(DARK EYES) 8. ともしび 9. 北上夜曲 10. 月の沙漠 11. 百万本のバラ 12. さすらい 13. ジャニギター(Johnny Guitar) それぞれに解説をつけます。因みに、ジャニギターの曲目紹介は次のように考えているところです。 ジャニギター(Johnny Guitar)。映画「大砂塵」(昭和29年・1954年)の主題歌。作詞・唄:Peggy Lee(ペギー・リー)。作曲:Victor Young(ビクター・ヤング)。日本語訳:不詳。多くの西部劇主題歌の中で最も美しく詩情豊かな曲です。 はじめてこの映画を観たのは小学校低学年の頃です。ストーリーの意味がよく理解できなかった記憶があります。やがてテレビにも2度ほど放映されます。大人になってからです。その時も、何となく不快な想いをした記憶があります。魔女裁判のように、数と力だけが正義の理不尽さが強調されていたのです。 しかし、ペギー・リー自身による詩と歌、そしてビクター・ヤング(Victor Young)の曲による主題歌は、その不愉快さを詩情豊かな作品に変えて余りあるものがありました。音楽の持つ不思議な力を見せつける映画でした。作曲者のVictor Young(ビクター・ヤング)は、他にも多くの映画音楽を手がけました。その中には「シェーン」の「遙かなる山の呼び声」もあります。 ストーリー上、ジャニギター(Johnny Guitar)は、凄腕ガンマンの流れ者です。そしてギター弾きです。ジャニギターは、西部のレジェンド(伝説の人)として、人々の恐れと憧れによって名付けられた呼び名です。本名はジョニーローガンです。当初、ジャニギターとジョニーローガンは同一視されていませんでした。やがて、映画がすすむにつれて、あの伝説のジャニギターが実はジョニーローガンであることが解ってきます。 映画の設定は、アリゾナの敷設(ふせつ)工事を時代背景に、酒場の女主人ビエンナと大地主の娘エマの相克(そうこく)、それに用心棒のジョニーを絡(から)ませたものです。 主題歌「ジャニギター」は、ジョニーを想う酒場の女主人ビエンナの歌です。ビエンナとエマの決戦の前、この曲をピアノで演奏するシーンがあります。普段は男装束のビエンナが白いドレスに盛装して演奏します。事実、ビエンナは縛り首になる直前にジャニギターに助けられます。それほど切迫した中での演奏だったのです。圧巻でした。 高校の頃、この歌を同級生が歌っていました。簡単?な歌詞ですが、当時は、今のようなWEBは無く、正確な歌詞の入手の困難な時代でした。あれから60年近くを経て、この度、ようやくまとめようとしています。何となく、人生の卒業論文のようでもあります。 歌詞を、「原文」、「原文のカタカナ読み」、「原文の直訳?」そして、訳者不詳による「訳詞」の4バージョンにしてみました。 尤も、直訳は極めて自信の無いところです。特に「What if you go, what if you stay・・・」は習ったことのないフレーズです。困っています。 因みに、「Johnny」は「ジョニー」と発音するのが一般的なようです。しかし、「ネイティブ・native(その地に住む人々の発音)」では「ジャニー」なのだそうです。(少しくどい、かな?) Johnny Guitar Play the guitar, play it again, my Johnny Maybe you're cold but you're so warm inside I was always a fool for my Johnny For the one they call Johnny Guitar Play it again, Johnny Guitar What if you go, what if you stay, I love you But if you're cruel, you can be kind, I know There was never a man like my Johnny Like the one they call Johnny Guitar Play it again, Johnny Guitar 来月、木工教室があります。今回は、幼児対象です。作業の説明にビデオを使うことを考えています。BGMも考えているところです。 |