酒を呑んで寝て目が覚めた。真っ暗だが、夜半というわけじゃない。 月が浮かんでいた。 猫の目のように細い三日月だった。 息をつくとすこしばかり酒臭い息が零れ出て、うんざりした。 灯りの皿はどこだったかと暗がりのなかやみくもに手で探ると、ごつんとなにかに当たった。 やわらかくもなければ堅くもない、無機質ではない感触のそれに、手の甲が腫れるほどぶつけてしまった。 「んん〜〜〜・・・痛いですよ馬超殿ぉ・・・」 「!?」 物体は、どうやら人間だったらしい。 額を押さえて痛い痛いとひとしきり文句を垂れたその物体はしかしへべれけに酔っているらしく、まだなにかつぶやきながらも寝入ってしまった。 俺はきっと珍妙なものを見る目でその物体を見ていたのだと思う。 あまりうまく回らぬ頭でしばらく考えて、物体は趙子龍とかいう猛将であったと思い出した。 日が暮れたころ、酒を持ってあらわれたのだ。 霞萌関で一騎打ちを果たした張飛と、新たな主君である劉備殿は別として、劉備軍の誰ともほとんど口をきいたことのなかったので、突然の訪問には驚いた。 驚きが去るのと同時にすっと心が醒め、俺は怒りさえ覚えてぶっきらぼうに言い放った。 「ご主君のさしがねだな」 「は?」 何を言われたのかさっぱり分かりませんと言いたげなまぬけな面に、ますます腹が立った。 「劉備殿に言われたのだろう。『馬超が我が軍になじもうとせぬので困っているのだ。子龍、おまえは馬超と年も近い、なにかきっかけでも作って親しくしてくれぬか』とな」 趙雲は絶句した。気の毒なほどだった。 なぜ俺にそんなことが言えたのかというと、そのままの台詞を劉備殿が言っているのを耳にしたからだ。 新兵の配備の報告を終えて退室したあとだったとおもう。劉備殿はいま俺が口にしたのとまったく同じことを、諸葛軍師に向かって言った。諸葛軍師は「そうですね、一度共に酒でも飲むのが良いでしょう」というようなことを返答した。 「主君から言われたのでなければ、諸葛軍師か」 「・・・・・」 趙子龍があまり眉尻を下げて困っている様子だったので、俺もすこしは語調を緩めた。 「で、結局のところどちらから言われたのだ」 「・・・どちらからも・・・」 「なんだと?」 「殿と、軍師殿。両方から、くりかえし」 「―――貴殿も苦労するな」 ため息しか出ない。 趙子龍といえば音に聞こえた勇将だが、忠心に篤い男ということでも有名だ。あの温厚そうでいていまひとつ腹の底が読めない主君と、腹の底など絶対に見たいと思わないあの軍師に両側をはさまれて勧められたのでは、断りようもなかろう。 馴染まぬよう見えようとも主君への忠義は尽くしているつもりだ。年の近い武将同士だからというだけで、余人と馴れ合う気などない。 しかしながら、端正な顔を赤らめまでしている困惑しきっている趙雲を見ていると、すげなく追い返すというのも後味の悪いような気になった。 それで俺は、戸口のところに立ちすくむこの猛将に室に入るように促し、従僕に杯を運ばせて、持参した酒とやらを呑みはじめたのだった。 ほどなく、主君と軍師のたくらみは人選ミスであったと思い知った。 趙子龍は、とんでもなく酒に弱い男だった。 おまけに絡み上戸であるらしかった。 「今夜馬超殿を訪なったのは、殿に命じられたからではありません」 2杯か3杯ほど空けたときだったろうか、趙雲が真顔でそんなことを言い出したのは。 酒は辛口で、旨かった。 「私も、貴殿と近づきになりたかったので」 「そうか」 社交辞令であろうと軽く流した。しかし趙雲は気にいらなかったらしく、口を尖らした(猛将のくせに)。 「私は本気です。本心から貴殿をお慕いしております」 「―――――」 俺はじろりと男を見た。 そして、悟った。この男は、完全に酔っているのだ。 無性に腹が立った。 何故俺が、こんなくだらぬ絡まれ方をせねばならん。 「帰れ。出て行け」 「・・・・私がお嫌いですか、馬超殿は」 「俺は酒は好きだが、酔っ払いは嫌いだ」 「嫌いだなんて。そんな――――」 ・・・趙子龍は絡み上戸である上に、泣き上戸であることが判明した。 こんなものを酒の相手にと寄越した主君と軍師に殺意さえ覚えた。 「は、初恋だったのに・・・・」 世にも情けない八の字眉でえぐえぐと趙雲は泣き、俺は叩き出したいのをぐっとこらえ、無視して酒をあおった。 酒は辛口で、旨かった。 「う〜〜・・・ん、馬超殿」 もそもそ蠢いた物体が声を発した。 「好きですよ・・・一目惚れだったんです・・・・」 酒乱だ、この男。寝言でここまで世迷いごとをほざくとは。 思わず、拳を握り締めた。 酔っ払って正体無く眠りこけている者を殴るなど、士道に反すると思う。 しかしこの男だけは、殴ってもよいような気がしたのだ。 50題―1.月夜...2007.10.25 (C)verdandi |