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 私の友人はどうやら心を病んでいるようだ。
 何故そんな事が解るのかというと、聞いたからだ。「私、なんか精神病んでるかも……」と、病んでいない人間に限ってそんな事をいうものだが、友人の言う事なので信じる。
 実際、彼女のいう、病むという事がどういうことか、私にはさっぱり、全くもって、全然、少しも解らない。
 何故なら私は彼女では無いからだ。
 彼女の心は彼女だけのモノ。例えば、私が彼女になれるのだとしたら彼女の事を理解できるのだろうが、その代わり私の事が解らなくなる。それは、彼女というモノが私になるだけであって、病んでいるかどうかという認識には至らないのだ。だとすれば、病んでいると言う事を理解するためには複数人の心を理解する必要があって現実的に考えると不可能だと言う事になるのだ。
 人は自分一人の心しか解らないからだ。
 それをこの世に溢れかえる心理学者どもは解った気になって「それは、こう理由があって人はこう動きたくなる」とかなんとか偉そうに語っているのが実に滑稽でみていられないのである。この世に溢れる心は常に一つしか解らない。
 そう考えると人は常に正常であり、常に病んでいる事になるのではないだろうか?そもそも、人の心なんて解らないのだから。自分の心が正常だと思えば正常であり、自分の心が病んでいると思えば病んでいると言う事になる。それが、例え、人から指摘された内容であったとしても……だから、きっと私の友人は心を病んでいるのだ。
「ねぇ、聞いてる?」
 そう言って彼女は私の顔を覗き込む。
「えっ、あぁ、聞いてるよ。で、何の話だったっけ?」
「聞いて無いじゃん。」
「ごめんごめん。」
 そういって、私はポケットから出した薬を飲みほした。何故か昔から飲む様に言われているのだ。理由なんて知る必要も無いと思う。
 彼女は今運ばれてきたコーヒーを一口飲んで、再び語り出す。自分の心がいかに病んでいるのかを……
「……でさぁ、なんか将来の事とか考えるととても不安になるんだ。あと、何十年も自分のこの人生が続くのかと思うとネガティブになるし。なんか、生きているのが辛いって思う様になってきて……」
 どうやら、彼女は将来に不安を感じているらしい。この先、仕事を続けてダラダラと同じような毎日を繰り返す事に恐怖を覚えている様だ。単純計算、今、30歳の私達の人生があと50年間続くと考えると365かける50で18,250日もある訳だ。まぁ、確かに不安にもなる。そもそも、この不景気な世の中、今の仕事を定年までのあと30年間続ける事が出来るのかどうかも怪しい。そう考えると明日すら不安になるものだと思うが彼女はこれから何十年も先に目を向けている。私にはそれの方が考えられない。
 明日も今日の様に何不自由なく生きていけると考えていられる、その楽観的な思考回路を持ってして、何が不安なのか?何が怖いのか?何が病んでいるのか?私には解らないが彼女は病んでいる。それは、間違い無い。何故なら彼女がそう言っているからだ。
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