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  • 北條真規の『俺は見てしもた』

二級河川の蛍…僕が二年程前に作った曲のタイトルである。ライブでよくやる曲でもある。

久々のブログで何故こんな事を言い出したのかというと、先日、実家に帰り、この曲のモデルとなっている川を眺めた際、幼少期から思春期にかけての思い出が溢れ出し、ええ歳のオッサンがホロリと変な気持ちになってしまったので、この川での思い出を書いたりしようと思います。

僕の地元は大阪でもかなり南に位置していて、旧地区を囲うようにニュータウンがひろがり、中途半端な自然が残っているなんともいえないところである。そんな場所に、お世辞にもきれいとはいえない川が流れている。それでも魚はたくさんいて、鯉、鮒、ナマズ、ハス……いろんな魚が住んでいる。僕のプロフィールにも書いているように幼少期は、寒い時期以外は毎日のように釣りをして遊んでいた。

小学三年生くらいの頃だったろうか、川沿いの道を一本へだてた場所に三角土地と呼ばれていた広大な空き地があった。そこは三年後、広大な新興住宅地になる予定の場所で、多くの土木作業員のおっちゃん達が出入りしていた。僕の住む町は小さな町で知らない人というのは居ないに等しく、見知らぬ大人というのは何だか新鮮でドキドキした事を覚えている。学校や親は、知らない人と喋ったり、ついていってはいけないと口酸っぱく言っていたのであるが、僕は、毎日、川に居るので自然とおっちゃん達と仲良くなっていくのは仕方のない事だった。
おっちゃん達は僕が釣りをしているのを見て、自分達も仕事終わりに釣り糸を垂れるようになっていく。しかし、おっちゃん達の竿にはなかなか魚が掛からない。
そして僕の竿にはおもしろい程魚が掛かる。あたりまえである。ここは僕の地元、釣れるポイント、釣れる餌、釣れるタナ、全てを知り尽くしている。伊達に学業を犠牲にして遊んでいるわけではないのである。次第におっちゃん達は僕に釣りのレクチャーを頼むようになってきた。数日後、レクチャーのかいあって、おっちゃん達もそこそこ釣れるようにはなってきたものの、釣果は僕の十分の一程度だった。そんなある日、僕の竿に強烈なアタリがきた。10分程格闘しただろうか、上がってきたのは60センチ級の鯉だった。陸で跳ね回る鯉を見て、一人のおっちゃんが言った。
「なァ、ぼく この魚、おっちゃんにくれへんか?」

「ええけど、おっちゃんこんな魚どないするん?飼うん?」

「飼えへんよ、食べんねん」

僕は自分の耳を疑った。さすがにこの川の魚を食べるという選択肢は地元の人間にはない。生活排水、工業排水、いろんなものがだだ流しの川である。あるときも、川で遊んでいる僕の前に怪しげな車が停まり、「ぼくら、こっから下流にきたらアカンでェ!」と九分九厘まっとうではなさそうなオジサンが瓶に入った怪しげな液体を流していた事もあった。そんな環境でも強靭な順応能力を発揮した魚達が凄いだけで、この川はそんなに上品な川ではないのである。

僕は人助けの精神で、おっちゃんに言った。

「食べたらアカンで、こんなとこの魚!!腹痛たなって死んでまうで!!」

負けじとおっちゃんも言い返す。

「ただとは言わへんがな150円でどや?」

「アカンて、やめときて、ほんまに死ぬで!!」

「死ねへんて、魚生きてんのに、毒の水が流れてんやったら魚も死んでるて」

それからしばらく僕とおっちゃんの押し問答が続いた。僕が何度も魚が生きていられるのは川の水がきれいなわけではなく、魚達の涙ぐましい順応能力のたまものだと説得しても、おっちゃんはこの魚を喰らうと言ってきかなかった。

そして、押し問答しながらも僕の竿にはまたもや魚が掛かっていた。お次は少し小ぶりなナマズ。隣ではさっきにもまして目を輝かせているおっちゃんがいる。

「旨そなナマズやんけ」

「……アカンで」

なんやかんやと言い合いが続いたが、結局おっちゃんの強い意思に押され、百円玉を三枚、ポケットに押し込まれた。僕はとうとう魚を手渡してしまったのである。

そんな罪悪感めいたお金など使えないまま、数日が過ぎた。あれから、おっちゃんの姿を見ていない。
本当に死んだのではあるまいか……釈然としないままその日も僕はウキを眺めていた。そして、ふと向こう岸を見ると、見覚えのある作業着が目に入った。


「オーイ!あの鯉な、中華風にして食べたぞォ!
旨かったわァッ!!!」


……よかった、生きてる。
ホッとしたのは事実である。しかし、何故に僕がこんなに気をもまねばならないのか、次いで“このボケぇ、和風も中華風もあるかいッ!!”という気持ちになってきた。僕はおっちゃんの声を無視して竿をたたみ、家に帰った。
そして、次の日、その三百円を握り締め僕は玩具屋へ向かった。三百円ちょうどのプラモデルを買い、少しスッキリした事を思い出した。そして、これが30年も前の出来事だという事にも気づいてしまった。

久しぶりに眺めた川は曇り空のせいか青黒く、合成洗剤の臭いが鼻をつく。そして30年経った今も、相も変わらず大きな鯉が泳いでいる。

2012/11/27(Tue) 23:42
それにしても毎日蒸し暑い……7月に入って、カレンダーをめくると、「2012年7月」という文字が目に入る。
僕がバンドを脱退し、ひとりで活動するようになって、早いもので、もう3年も経っていた事に気づいた。
38歳の中年オジサンだけど、かたちはどうあれ、今も、なんとかかんとか、歌い続けれている。
それもこれも、まわりの人の支えがあって、やってこれたと本当に感謝している。
3年前は、自分が音楽をやめてしまうような気がして、本当に自分が音楽を好きなのかどうか、あれやこれやと考えた時もあった。でも、歌う事をやめられない自分もいて、自分の本心を理解できないまま日々を過ごしていたように思う。
でも、ある時から、いろいろ考えるのをやめた。
歌う事をやめれないなら、四の五の言わずに歌う。そう決めた。
こんな僕のために音楽をやめるなと言ってくれた人達、僕のライフスタイルを支え、見守ってくれる人達、自分のまわりにそんな人達がいて、本当に幸せものだといつしか思うようになっていた。
だから、より一生懸命、歌いたいと思うようにもなった。
そして、3年経った今、自分の本心を、いまだに理解できていない。それでもいいと、今は思っている。
中学生の頃に音楽からうけた初期衝動を、越えるなんてできないのかもしれない。でも、ひとつだけ気づいた事がある。中学生の僕は音楽にのめり込んでいった事は事実だけれど、その時は歌いたいという衝動ではなかった。歌いたいと思う衝動は、少なくとも今の方がはるかに大きいように思う。難しい事はわからないけれど、理由など、いらない事も結構あったりするんじゃないかと思うようになった。
そして、3年という節目の年に、かれこれ十数年遊び続けている町、梅田より、難波より大好きな町、阿倍野でライブができるということも感慨深い気持ちになっている。

何だかわけのわからないことを書き連ねましたが、活動4年目に入った今、新曲「ワイルドピッチ中学生」を筆頭に新曲3曲を引っ提げて、7月21日、阿倍野のロック食堂で、僕は思いっ切り歌います。
ヨロピク&ヨロピンコちゃんッ!!!

2012/7/4(Wed) 22:10
■明日もガンバッ!
またまた、お久しぶりです!!
いやいや、近畿地方も先週、梅雨入りしたみたいで、むしむしとしんどい日が続くきょうこのごろ。

今、僕は、久々に音楽鑑賞をしている。スピーカーからは「ドカベン」の主題歌が流れている。
そして、ドカベンの四巻だったか、全く野球をせず、柔道しかしていない、そんな巻があったなぁ〜と、幼い日の思い出に浸っている。
そうこうしているうちに、曲が変わってしまった。
「おれは鉄平」の主題歌が流れだした。
聴きながら、結構スゴイ歌詞だなと震えてしまった。
♪カエル カエル カエルのおへそに花いけて 花いけて ダイナマイト・ドン!!♪
震えが止まらぬまま、次の曲へ、

「あらいぐま ラスカル」なんという安定感、震えが止まり、五歳くらい若返った気さえする。幼少の頃、祖母に買ってもらったラスカルのぬいぐるみを肌身離さず持っていたことを思い出す。
今やビール腹で髭面の僕にも、そんな、可愛らしい時期があったのかと思うと、時間の残酷さに、再度、震えてしまう。

おっと、ディスク1が終わったらしい。

ディスク2を入れ、何を聴こうか考える。歌詞カードに目を通し、M-7に注目する。
「風船少女テンプルちゃん」???!!!
何、このアニメ、僕は全く見た記憶がない。歌詞カードの情報によると、昭和52年に放送されていた竜の子プロのアニメらしい。
テンプル………こめかみちゃん………あまり考えないでおこう。

M-24を押す。ささきいさおが吠える。
「銀河鉄道999」の主題歌。なんていい歌なんだろう。おいら、サビに到達するまでに泣いてしまっている。ダメだ、このままじゃ汗と涙でぐちゃぐちゃになってしまう。
ストップボタン プッシュ!!
今から僕は、泣きながらお風呂に入ります。
汗と涙を洗い流し、また明日もがんばります。
それではまた。

2012/6/11(Mon) 21:05
■春ですね
お久しぶりっす!
ブログを書き出すと、眠ってしまうという状態が続き、かなりのご無沙汰となっておりました。
今日は書きます!


「一億三千万人が選ぶアニメ特撮ヒーローヒロイン」というテレビ番組を見てたら、アラレちゃんが映っていた。懐かしいなぁと思ってみていると、二十歳の頃働いていた職場のパートさんが、ちょいちょい“アラレ語”を使っていた事を思い出して、面白くなってきた。
歳は40をゆうにこえていたと記憶している……

元気にしているんだろうか…名前も覚えていないけれど、嬉しそうに“アラレ語”を話していた笑顔が頭を過ぎる。

喋った記憶もないけれど、元気に「んちゃ!!」と挨拶をしてくれたパートさん。

何年前の話だろうか、元気にしているんだろうか。
僕は元気です。

「ほよよ」「キーン」「んちゃ」数々の語録を僕の記憶に植え付けたパートさん、あれはギャグですか?マジですか?
それとも、夜勤の疲れで、僕が夢をみていたのでしょうか。

つい最近の事だと思っていたのに、もう17年も経っているなんて…
あぁ、べっくらこいた。

17年前の事なんて、ほとんどの記憶が薄れているはずなのに、人間てインパクトが大事なんですね。

ありがとうパートさん。僕も記憶に残る歌を作っていけるよう、がんばります。

バイちゃ。








2012/4/5(Thu) 20:25
■もうすぐやで
もう、あと少しで新年を迎える。今年の大晦日もなんやかんやで忙しかった。
毎年、毎年、何をそんなにバタバタするんだろうかと考えてみると、なんのことはない、ギリギリまでなにもしないから、しんどいおもいをするのである。毎年、毎年同じ大晦日を過ごしている気がする。
朝から、掃除なり、買いだしなりで、一日を突っ走り、もう、この時間にはヨレヨレになってしまう。
そして、毛玉だらけのスエットのまま、年越蕎麦を食べることになる。それから日付が変わる頃、近所の神社に初詣に行く。若いヤンキーの群れを微笑ましい目で見ながら、お参りをする。
新年を迎え、三が日を、呑んで食っちゃ寝、呑んで食っちゃ寝を繰り返す。そして、正月気分が抜けてきた頃、かなりオーバーランしてしまった体重が鉛のように身体にぶら下がり、膝や腰を痛めつける………
なぜ、毎年、同じ事を繰り返してしまうのだろうか。
このアメとムチをやると老けるのが早い気がする。
でも今回もやっちまうんだろうなオイラ………

オッッ!もうすぐ初詣にいく支度をしないといけない。
何はともあれ、今年もいろんな人達のおかげで、歌う事ができて幸せな一年でした。
本当にありがとうございました!!
2012年はライブも音源制作もがんばりまっす!!
よいお年を〜!!


2011/12/31(Sat) 23:43
■大人の夏休み
昨日、大阪は梅雨あけしたらしいです。ここんとこ湿気でバテ気味だったので、一安心でございます。しかし、そんなジメジメのせいか十日ほど前から、台所にコバエが発生し、一網打尽にしてやろうと、薬局に“コバエ取り”というゴキブリホイホイのコバエ盤のような代物を買いに行った。箱には、“面白いほどよく入る!!”と売り文句が書いてある。中身を出してみると、円筒状の入れ物に、酸っぱい臭いのするゲル状の薬品が入っていて、その上からハエ入口となる円筒状の蓋を被せるだけの簡素な作り。こんなもんで本当にコバエを捕獲できるのだろうか。半信半疑のまま、僕は、書かれてあるとおり、水まわりにそれを設置して眠りについた。夜が明けて目覚めると、僕は真っ先に炊事場へ向かった。
………どうしよう、めちゃくちゃ捕獲できていたら……どうしよう、電気髭剃りのアタッチメントぐらい真っ黒になっていたら………

余計な期待を抱きながら、思い切って円筒を覗き込むと、なんのことはない、ハエどころか埃ひとつ入っていないではないか。
「面白いほど入れへんねんけど、どないしてくれまんの!!」
と製造元に電話しようかと思ったが、頭のおかしいクレーマーと思われたら嫌なのでやめる事にした。
少し考えてみると、効果のほどは一日やそこらでは出ないのかもしれない。僕は気長に待つ事にした。そして、次の日、そのまた次の日、そのまた次の日、捕獲数ゼロ。
面白いほど入らへんやんかいさ……
それからというもの、僕の日課は、目覚めてすぐに円筒を覗く事、帰宅後すぐに円筒を覗く事になっていた。まるで、ザリガニやシーモンキーが孵化するのを心待ちにしている小学生のように。

そして、本日、なんと、なんと、円筒の中に黒いものを発見!!! そう、待ちに待ったコバエちゃん、一匹捕獲である。
何だろうか、あれほど、うとましく思っていたコバエが、愛らしく思えてくるではないか。逃がしてあげようとさえ思えてきた。何なんだろう、この感じは……ザリガニ、シーモンキー……自分で植えたアサガオが初めて花開いた時のような……
そう、夏休みのあの感じである。この歳になって、大人の夏休みを味わわせてくれたコバエちゃん、コバエ取りを作った企業さん、どうも、おおきにありがとう。
コバエちゃんにはお墓を作り、製造元には「あなた達の会社は夢を創って売っているんですね!!」とわけのわからない電話をしてしまいそうだ。

ダメだオジサン、ちょっと酔っぱらっている。早く寝ないと何かしでかしそうなので、オイラもう寝る。おやすみさん。


2011/7/9(Sat) 22:32
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