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撮影現場からかなり離れたところまで走って。息が、苦しくて、咳き込んで。ようやく足を止めた。後ろ、振り向いたけど当然ながら追いかけてなんか来なかった。俺があそこから走り出したことさえ上条さんはまだ気がついてないかもしれないって思ったら、ケイタイが鳴った。……表示が、上条って。俺は迷わずケイタイの電源オフにした。ケイタイはそのままジーンズのポケットに突っ込んで、その存在ごと忘れた。滅茶苦茶に走ったから今俺がどこに居るのかすらわからなくて、だからテキトウにタクシー拾って最寄りの駅まで乗っていった。自分の家に帰る気もしなくて駅について適当に電車に乗ったら丁度環状ラインだったから、そのまま何時間も何時間も終電まで、その電車にひたすら乗っていた。病気のヒトみたいに蹲って寝たふりして。途中、一度だけケイタイの電源入れたら着信履歴がものすごいことになってたけど見ないことにした。留守録も、聞かないまま全部消した。羽鳥先輩にだけメールを送った。ごめんなさい。今日俺、駄目になりました。また次の機会に飲みにつれてって下さい。それだけ打って送信。また電源をオフにする。終電終わった後は漫画喫茶に行ってそこの深夜パック五時間コースとかで狭い小屋みたいなスペースで身体横にして丸くなって。……だけど、目が冴えて。頭の中にはさっきの仁科恭子の笑顔だけが繰り返し繰り返しリピートされて眠ることなんて出来なかった。
ムカついて、気持ち悪い。
キモチワルイキモチワルイキモチワルイってひたすら唱えてた。朝になって夜が明けて、それでようやく俺の気分もちょっとだけ落ち着いて。ようやく俺はタクシー拾って自分のマンションに帰って。そこでベッドにもぐりこんで寝た。幸い今日は何も仕事も入って無い。ライブも練習も何にもない。上条さんや羽鳥先輩と飲みの予定だったから。二日酔いになってもいいようにって今日は元々オフだったんだ。だから、大丈夫寝てしまえっ!ムカつきも苛立ちも、寝て忘れちゃえって俺は思って。そのまま意識を失って。で、何時間経ったのかわかんないけど身体のだるさからするとそんなに時間は経ってないんだろうなあってカンジの頃に、ドアのインターホンがピンポンピンポン煩く響いてたから目が覚めちまった。だけど、そんなの無視して寝ちゃえってまた思ってシーツに潜る。だけどピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン煩いのは鳴りやまない。ウルセエ。ドア、蹴っ飛ばしてやろうかって思ったら、その玄関のドアががったんって音がして、新聞受けの隙間から「そおおおおやああああああ」ってクマちゃんの声が、した。
え?なんでクマちゃん?俺はシーツ跳ねのけて玄関に走った。
「……クマ、ちゃん?」
「あ、やっぱりいたぁ。開けてよソーヤ」
声出したから、俺がいるってわかったんだよね。安心した声が聞こえてきて。
「なんで?」
「なんでじゃないよもうっ!心配してんに決まってんでしょーっ!昨日からずうううううううっとケイタイかけて、街中探しまくったんだよぷんぷんっ!」
怒ってるけど心配してる声。ああ、なんか知らないけどごめんね。
「……そこに、居るのクマちゃんだけ?」
「当たり前っ!」
他の誰かが居ても、俺はドア開ける気にならなかったんだと思う。クマちゃんだから、かな?ドア開けたら思いっきりクマちゃんに抱きつかれた。みぞおちにドスって思いっきりぶち当られた。それに……化粧、崩れてるし。ホント一晩中俺のこと心配して探してたんだ。
「ええと、ご、ごめんって言うべき?」
「何当然のこと言ってんのっ!何があったのか聞く権利あるよアタシにはっ!上条さんからいきなり居なくなったって連絡されて、すごおおおおおおおい探しまわったんだから謝れっ!」
ぺん、って、頬平手打ちされたけど痛くない。俺の頬叩いたポーズで、それで許してくれるんだろうなあ。
「ごめんね」
小さい身体をぎゅっと抱きしめる。柔らかい、感触。クマちゃんも俺の背中に手をまわしてぎゅうぎゅうに抱き返してきてくれた。
こんな時、いつも思う。俺のハハオヤみたいな女に魂乗っ取られないで、こういうクマちゃんみたいな優しい女、好きになれたらよかったのになあってさ。あー、でもクマちゃんもホントのところは俺のハハオヤと大同小異だからな。だから、最期の一線、越えられなかったのかもしれないなあ。クマちゃんも、俺のこと好きだけど、男として見られてるんじゃないってことくらいわかるし。アタシはソーヤの歌を愛してるの、だしね。カレシよりもギターを選ぶクマちゃん。多分、クマちゃんにとって俺はギターと同じ価値を持ってるんだ。音楽が、命、だから。多分、俺が歌ってなかったら俺なんかクマちゃんの視界に入らなかっただろうなあ。だけど俺はクマちゃん好きだよ。好きって言うか……そうだな、ハハオヤと似ているところのあるクマちゃんを純粋に好きだって思えることにどっか救われてる。安心して愛していい女。妹とか姉とかそういう感じ?……血縁なんてないけどさ。精神的に多分、俺はクマちゃんに甘えてるんだ。あ、と言っても別にハハオヤ恨んでるとかじゃないからね俺。どっちかって言うとハハオヤが俺に甘えてるんだろう、な……。不健全な親子関係。真っ当じゃないからね、はるかさんは。
「もっと謝れ!ちゃんと謝んなさいよアタシにっ!もおおおお、いきなりどうしたのよ。電話出ないし昨日何回もここに来たのにソーヤ帰ってきてないし。行きそうなところぜえええええんぶ探して回ったのにいないし。すっごい、心配、した」
あああ、ハハオヤのことなんか今考えてる場合じゃない。半分涙声のクマちゃん。ごめん。
「女の子が夜に外なんて危ないよ」
特にクマちゃんなんて下手すれば中学生……失礼、高校生くらいに見えちゃうから補導されちゃうかもしれないし、アブナイ人とかにどっかに連れ込まれるかもしれないし。
「その危ないことさせたのソーヤでしょおおおおおお」
「……うん、ごめん」
心配してくれてありがとうって言ったらそんなの当たり前でしょって怒鳴られた。
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