短編小説 ずっと、ずっと、演じてきたもの 〜後編〜
 翌日、劇団の扉をあけると、もやもやした気分は吹き飛ぶ。
 ああ、またわたしは目をそむけた。背けているのか、開き直っているのか、もう自分でも判断がつかなかった。
「あ、未央先輩。おはようございます」
 八野が一番に声をかけてきた。
 明後日にはまた舞台が控えている。全5回の公演で、次が4回目だ。最終回が終われば、わたしの主役としての立場がなくなる。また次の劇まで、一からのスタート。
「おはよう」
 いつもより少し声のトーンが落ちているのに気づいた。
 案の定、八野もそれを察したようだった。
「先輩、悪酔いでもしたんすか」
 八野はそうやってからかってくる。劇団にとって姉さん役のわたしをこうやってフランクにからかうのは、おそらく八野だけだ。
 しかし、ふざけているようにしていても、彼はじゅうぶんに優秀だった。彼はなんでも柔軟に仕事をこなした。今回の初主演にしても、彼はわたしより自由に芝居をしているような気がする。
「してないよ」
 八野はその、わたしにしては短すぎてつまらない反応に、やはり少し違和感をおぼえたようだった。

「・・・先輩、劇団以外にバイトでもしたらどうっすか?」
「なに、急に。わたしお金に困って悩んでるんじゃなくて・・・」
 八野は少し困ったような顔をしていた。
「先輩、劇団以外になにもしてないでしょ。だから、ほら・・・疲れちゃうっていうか」
 八野は大学を卒業しても、パートなど仕事をかけもちしている。
 ひどく彼においてきぼりにされたような気になった。
 このままの気分では、彼と演じることなどできなさそうだった。ましてや、恋仲なんて。

「先輩」
 八野は気を利かせて、わたしが部屋のすみで休憩しているときに、もう一度声をかけてきた。ちょうど、お昼休みの前だった。
「先輩は、ほんとに一生懸命な人です。でも、一生懸命な人って、本当は、休み方がわからないだけっていうか」
 八野ははずかしそうにもごもごと話した。こんなことは珍しかった。
 いつもオープンで、さわやかな彼。
 だが、今日はなんだか違った。
「表裏一体なんですよ、たぶん」

 それからしばらくしゃべっているうちに気づいた。
 彼は、わたしの裏の気持ちに気づいていた。
 明るい自分。明るくみられる自分。明るく見られたい自分。
 そして、本当はネガティブで暗い――自分ではそう思っている、自分の姿。
 表裏一体。紙一重だ。本当はつながっている。
 わたしは、ただこれまで、自分を演じてきたのだ。
 わたしが演じてきたのは、なんの役でもなかった。ほかでもない自分自身だった。
 自分自身を演じながら、生きてきたのだ。

 ひとしきり、わたしとしゃべったあとだった。
「じゃっ、先輩――次の公演もよろしくお願いしますね」
 彼はそういって立ち去ろうとする。
 わたしは彼を呼び止めて、お昼ご飯を一緒に食べようと提案した。



 その数年後。
 わたしは病室のベットの上にいた。そのかたわらに、赤ちゃんがすやすや眠っている。

 生まれたての人間は、本当に小さい。
 小さいけれど、きっとそのうち自分という役を演じていくことになる。
 でもそれは決してたやすくも、そして難解なこともない。
 自分の心に素直になれば、きっと歩いて行ける道だ。

 八野浩介が、部屋に入ってきた。
 自分自身を演じながら、彼もまた生きてきた。
「浩介」
 もう、”はっちー”とは呼ばない仲になっていた。
 浩介は、スポーツマンのような両腕で、わが子を抱きあげた。
 どんなことを考えているのだろう。
 そして今度はどんな父親として、自分を演じていくのだろう。
 わたしは? わたしはどんな母親として、自分を演じていくのだろう。
 わたしたちの役者としての道は、果てしなく果てしなく続きそうである。


― fin ―

※短編小説のくせに長くなってしまい、前編後編にわけることになりました。
 ここまで読んでくださりありがとうございましたw
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