▼篳篥
夢うつつの中で、彼は幼い頃の情景をみた。

自分はまだ五歳くらいで、山の中で迷子になっていた。絶対なくもんかと、こらえてズンズン歩いていると、美しい女の人に出会った。
(…あれは、姫神?)

ほころんだ花のように美しいその人は、深行に微笑んで、一方向を指さした。誘われるままに、そちらへ向かう。彼女の背後には、付き従うような密やかな人影があった。
(…あれは、雪政?)

さし示された方、草薮を掻き分けて進むと、小さな女の子がないていた。赤い眼鏡におさげ髪、年は自分とそうかわらない。
(……鈴原、泉水子)

自分の中で、感情が動くのを感じた。ゆっくり意識が覚醒していく。

目を覚ますと、深行は自室のベットの中にいた。夕方、保健室からなんとか寮まで戻り、そのまま再び眠ってしまったのだ。体の疲れは大分楽になっていた。傷もないようだ。

文化祭は無事終わり、後夜祭や打ち上げももうひいて、深夜の寮は静かなものだった。同室のやつのイビキが微かにきこえてくる。

深行は息をはくと、もう一度目を閉じた。本当にめまぐるしい一日だった。あいつに降りまわされまくった。あんなにズタボロになって、あんなに必至で願ったのは、いつぶりだっだろう。

…あいつ。鈴原。…泉水子。泣いていた。泣きじゃくっていた。自分が姫神だったと。素直に電話をかけ、電話を受けてくれた。来いと言った。

あたたかい体温、手触りのよい意外に癖っ毛な髪、むちゃくちゃな能力、やわらかそうな唇、露を含んだ花の瞳…

抱きしめ、何度も髪をなでた、自分の手をみやる。

「俺最近、鈴原に触りすぎじゃないか…?」

ぼそっとつぶやいた独り言に、意外にも返答があった。

「全くだね。われながら情けないよ、少年」

窓の外の黒いカラスだった。
スポンサード リンク