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今朝から何だかシャアの機嫌が悪い。いや、悪いように感じると言ったほうが正しいか。
表立って不機嫌を顕しているのではないが、視線を動かした後や行動を起こした後に浮かぶ表情が、いつもの穏やかな表情じゃない。
アストライアもシャアの様子がおかしいことに気付いてる様子で、今日は尻尾を後足の間に挟んで神妙にしている。
それでも一瞬たりともシャアから意識を外さないところが、父親そっくりだと思う。
シャアになにかあれば即座に動くーーーそんな身構えがアストライアから感じられた。
こんな時にセイラさんがいてくれたら、シャアの不機嫌がどこから去来するものか、少しでも手がかりが掴めるだろうに。
生憎とセイラさんは日勤で、先刻出勤したばかりだ。
シャアならば相手が何故不機嫌なのか、当り触らずの会話で掌握してしまうのだろうが、俺にそんな高等技術が備わっている筈がない。
一番心配な奴のことさえ満足にフォローしてやれないもどかしさに、我乍ら幻滅する…が、どうにもできない。
ああ、なんてもどかしい。MSならこんな事で悩まなくて済むのに、つくづく生きている人相手ってのはやっかいなことだ。
朝食の片付けを済ませたシャアが、書斎で飲むための珈琲を片手にキッチンから出てきた。
傷跡の薄く残る額に、僅かに険が刻まれているのは、俺の錯覚じゃない筈だ。
普段のシャアにはそんなものは刻まれていない。

「シャア、どうかしたのか?」

俺は意を決して単刀直入に尋ねることにした。素直に答えるとは思わないが、何もせず手をこまねいているよりもマシだと思う。

「−−−うん?何が、だね」

反応が鈍い。あの赤い彗星が。
シャアの声にアストライアが首を上げる。そう、普段のシャアの反応はこういう感じなのに、妙な間が空く。
常なら、俺のいうコトなど予め予測していたかのような反応の速さを誇るくせに。おかしい。

「変だぞ。間違ってたらごめんな、何か機嫌が悪いように見えるからさ。どうかしたのかと思って」
「………ふむ。それは私を心配してくれている、ということかね?」
「それ以外どう聞こえんだよ」
「…それは失礼。しかし…よく気付いたな、アムロ」
「あのな…俺は貴方を心配して言ってんだぞ、喧嘩売ってんのか?」
「…いや、そうではないよアムロ。…すまない、ちょっと掛けてもいいかな」
「あ?ああ、どうぞ…」

益々変だ。俺よか余程体力のある34歳が、立ち話がきついから腰掛けていいか、なんて…って、アレ?
ソレってもしかして具合が悪いってことか…?
すかさずアストライアが足許に寄って来て、俺の隣で行儀良くお座りした。
シャアがその濃い金茶の頭を一撫ですると、嬉しそうに尻尾が振られたが…シャアの様子からじゃれつくには抵抗があるようだ。
側にいって遊びたいのを必死で堪えているような、動きたいのに動けないもどかしさを、同じ様にアストライアも味わっていた。
改めてシャアを窺うと、元々の白皙の肌が更に青みがかっている。憂鬱そうに顰められた眉の間には、くっきりと二本の皺が浮かぶ。
ダイニングの椅子に腰掛け、片手でこめかみを押さえる仕種から、俺はシャアの不機嫌は頭痛の所為と理解するに至った。

「大丈夫か、シャア。酷いなら無理に起きてないで横になってたらいい。後のことは俺がするよ」

さらりとした金糸を掻き分けて額に手を当てると、、想像していた熱さではなく、むしろひんやりとした冷たさが手の平に広がった。
俺の手が気持ちいいのか、シャアは狭まった眉間を少し寛がせて、ほっと息をついた。
その安心しきった顔に、何故かどくんと心臓が跳ねる。
こんな無防備なシャアなど、滅多に拝めるものじゃない。
いつだって余裕綽綽で俺の一歩も二歩も前を歩き、優しい笑顔で振り返り、手を差し伸べるのがシャアだから。
だから、ちょっとだけ弱気になったシャアに、俺が庇護欲を掻き立てられたのも仕方ないと思う。

「…暖かくて気持ちがいいな、君の手は。いつも冷たい私とは違って安心を与えてくれる手だ」
「馬鹿だな、貴方の手だって俺もアストライアも安心を得られるよ。冷たいけどちゃんと血が通ってるのを知ってる」
「ふふ、どうした?今日はやけに優しいな、アムロ」
「…っ馬鹿野郎。俺はいつだって優しいだろ!セイラさんに何て言われてるか知ってるのか」
「何と?」
「『アムロ、貴方は兄さんには激甘なのね…もっと厳しくしてもよくてよ?』ってさ。酷い言われようだぞ、兄さん」
「ふふ、まぁ過去が過去だからな、仕方あるまい。アルテイシアの言い分も尤もだと甘んじて受けよう」
「自覚あったか」
「私は自省もできんほど傲慢でも愚かでもないつもりだ。例外はあるがな」
「それが何かってのは敢えて聞かないことにする。ところでシャア。忙しくないのなら今日は1日大人しく寝てろ?」
「そうしたいが…」

シャアは俺の手を取って自分の頬に当てた。掌に口付けてそのまま目を閉じている。
ナンだよ、この甘え方は!俺にどうして欲しいんだよ!
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