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セイラを寝かしつけた後、シャアは買物へ行くと街に出かけて行った。
『すまんが頼まれてくれ。アルテイシアが目を覚ましたら、これを食べさせてやってほしい』
シャアが差し出したものは小振りの片手鍋。
中には薄い金色のとろりとしたものが入っている。
『シャア、これもしかして林檎の葛湯?』
日系のアムロには割と馴染のある食べ物が、コーカソイド系のシャアの手にあるのはいささか不思議な光景だった。
『そうだ。ああ、君は日系だったな。これは、義父の友人のご息女から教えて貰ったものでね、アルテイシアの風邪の供なのだよ。温め過ぎると固くなるから気をつけて』
そう言って、シャアは出て行った。
この林檎の葛湯を教えてくれたのが、あのヤシマ家令嬢、ホワイトベースの名操舵士でもあり敬愛するブライト・ノア夫人だということを、アムロはまだ知らなかった。
アムロは看病などしたことがなかったので、一抹の不安を覚えながらも了承し、シャアを送り出した。
それからもう二時間近く経っている。
一眠りしたセイラもそろそろ目を覚ます頃合だろう。
『二時間くらいすれば起きるから、覗いて見てくれ』
『なんでそんなことまで解るんだい?』
『兄を舐めてくれるな、言っただろう?彼女が熱を出す度に看病していたのは私だよ。何時間間隔で眠るか、何を欲しがるかくらいは覚えているさ』
そう言って爽やかに笑うシャアを、アムロは心の中で
(シスコン!)
と思っていたのは、シャアにはナイショである。
麗しい兄妹はどちらもシスコンでブラコンで…そんな二人から絶大な信頼を得ている自分は、最早他人と思われていないのだろう。
何の躊躇もなく受け入れて貰えるのはとても嬉しいが、意識されないのもほんの少し寂しい気がした。

そうっと覗いて見ると、セイラは音に気付いてかこちらに目を向けた。
熱が下がってはいないらしく、透き通る白い肌は薔薇色に染まっている。
「あ、目が覚めた?水分と、少しお腹に何か入れたほうがいいよ」
「ありがとう、アムロ」
「起き上がらなくていいよ、セイラさん。待ってて、今持ってくる」
アムロがキッチンから戻ってくると、手にしたトレイから懐かしい甘い香りが漂ってくるのが解った。
昔、義父と兄と一緒に暮していた少女の頃、よく兄が作ってくれた懐かしい香り。
「アムロ、それは林檎の葛湯ではなくて?」
「そうだよ、シャアが作ったんだ。昔もよく食べていた?」
「ええ…兄さんが作った初めての食べ物かもしれないわ。ふふ、これが原点なのよね」
ベッドの中で嬉しそうに微笑むセイラが少女のようで、アムロは鼓動が早くなるようだ。
出会った時から、セイラはアムロにとって憧れの女性で、少女のようなセイラはとても眩しく見えた。
厳しくもあったが、凛として優しくて、いつもアムロを気遣って声をかけてくれたことが思いだされてくる。
ホワイトベースで共に過ごした時間は、アムロにとってかけがえのない宝物だった。
そして、敵味方だった3人が同じ家で暮す現在も、かけがえのないものになっていた。
今までの紆余曲折は、こうなる為の試練だったのかもしれないと、シャアもアムロも思っていた。


椅子をベッドサイドに引き寄せたアムロが、林檎の入ったカフェオレボウルを手に持つ。
「はい、セイラさん。あーん、して」
「え、ええ?ちょっとアムロ、いいわ自分で」
「いいから。病気の時くらい俺達に甘えて?いつも面倒かけてるんだしさ、ね?」
にっこりと笑ってアムロはスプーンを持ち上げて見せる。
蜂蜜の入った林檎の葛湯は黄金色に輝いて、湯気と一緒に甘い香りを漂わせている。
発熱した身体にも優しい味のそれは、セイラの食欲をほんの少し甦らせてくれた。
「はい、セイラさん」
大分気恥ずかしい思いを抱くものの、アムロからは純粋な好意しか感じられないので、セイラは大人しく従うことにした。
「ありがとう、アムロ。頂くわね」
口元を開けると、差し出されたスプーンからゆっくりととろみのある林檎が滑り落ちてくる。
熱くもなく冷たくもなく、荒れた喉の粘膜に、刺激を与えない温度にほっとした。
ほんのりと甘い林檎には、シャアとアムロ、二人の愛情がぎゅっと凝縮されているようだった。
「美味しい?味解らないかな、喉は痛くない?」
「少し痛いけど、美味しいわ…。ふふ、兄さんたら覚えていたのね」
「うん、細かく指示して行ったよ。温度はこれくらい、熱しすぎるととろみが強くなるから気をつけろ、アルテイシアは喉から来る風邪に弱いから必ず冷ましてやってくれってね」
「過保護ね…」
「それだけセイラさんが大切なんだよね。シャアは優しいね…はいもう一口」
雛に餌を与える親鳥の如く、アムロは甲斐甲斐しくスプーンを運ぶ。
「熱が上がりきったら薬をって言われてる。食べたらもう少し寝んでそれから薬飲もうね」
「それも兄さんに教わった?」
「何で解るの?」
「貴方がそういうことに詳しいとは思えなかったからよ、アムロ」
「酷いなセイラさん!」
端から見れば恋人同士のような微笑ましい光景が、セイラの部屋で繰り広げられていた。


その頃、街で買出しに勤しんでいたシャアは。
「私には中々甘えてくれないからな、アムロならばと思ったが…巧くできただろうか。こういう時くらいは、私も兄としてお前を労わりたいのだよアルテイシア。お前もそう思うだろう?」
銀縁の眼鏡をかけたシャアが、車に寄りかかりながら愛犬に向って呟いていた。
後部座席にはアストライアと一緒に買い込んだ、セイラの好きなフルーツやドリンク、食材が積み込まれてある。
どれもこれも、幼い頃のセイラがねだったものばかりだった。
「家族の看病が出来るというのは嬉しいものだな…。ああ、勿論お前が病気になってもつきっきりで看病すると約束しよう、アストライア」
「ウワン!」
口元に笑みを浮かべたシャアはアストライアの柔らかな喉を一撫ですると、助手席に彼女を乗せ、二人の待つ我家へ帰るべく運転席に乗り込んだ。
「さあ帰ろうか」
シャアとアストライアの車が、森の中の我家へと向って走り出す。
帰宅する頃には薬も飲んで、幾分か楽になっているだろうと想像しながら、シャアはアクセルを踏み込んだ。
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