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(何故、こんな事態になっているんだ…?)
シャアを尋ねてセイラの努める病院へと来て見れば、目の前に広がる光景は、およそ想像もつかない程珍しいものだった。
緑溢れる敷地内には、公園を装って散歩コースやベンチ、噴水等の患者達が憩えるスペースが多く設けられている。
正面玄関向かいにある植え込みのロータリーで、アムロの視界を捉えて離さないのは、
………堂に入った仕草で腕に抱き、柔らかな表情で赤ん坊をあやすシャアの姿、だった。
暫し見蕩れて、いや目を疑って見つめ続けるアムロの視線に気付いたのか、シャアが伏せていた顔を上げてこちらを向いた。
赤ん坊に見せていた笑顔のままアムロに視線を移すシャアは、居る筈のない人物を認めて僅かに目を見開いた。
「アムロ?何故君がここにいるのだ?」
シャアが赤ん坊を抱いたままこちらに向ってくる。
その見慣れない姿にアムロは固まってしまい、どうにも足が動いてくれなかった。
「珍しいところに出没するのだな、君は」
口元に笑みを刷いたシャアに正面に立たれて、漸くアムロの口は動いてくれる始末だった。
「…貴方こそ。ナンでそんなコトしてるんだ?もしかして貴方の子供、じゃないよな……?はは、まさか」
「の、ワケがあるまい。君は私をどういう人間に見ているのだ?心外だぞ」
「いや、でもその、ナンか妙に似合ってるというか手馴れているというか…すまん、ちょっと驚いたんだ」
「ふむ。まぁいい、それよりも何故君がここにいるのか、そっちが知りたいものだ」
シャアの意識が離れたのが解ったのか、赤ん坊が不満げな声を上げて小さな手を延ばす。
「ああ、すまないな。よしよしいい子だ」
シャアが延ばされた手に指を伸ばすと、紅葉のような手がそれを握る。
まるで父親と子供のような遣り取りに、アムロは溜息がつきたくなってきた。
あの赤い彗星が、シャア・アズナブルが子守?
濃いサングラスをかけているにも関わらず、赤ん坊に警戒心はまるでない。
それどころか、シャアの意識が自分に向いていないと機嫌が悪くなるようだった。
小さな体を静かに揺すりながら、シャアは優しげな声で話しかけている。
(うわー、この人こういう特技もあったんだ…でもシャアの子供だったらさぞかし可愛いいだろうな…)
目に入る微笑ましい光景に魂を抜かれ、アムロは立ち尽くしたままだった。



「ああ…そういう訳。何事かと思ったよ、まさかいきなりあんな光景見るとは思わなかったから」
あの直後、赤ん坊の母親らしい人が駆けて来て、しきりに礼を言って子供を受け取っていた。
聞けば、足を怪我した上の子供を連れて来たところ、病院前で『痛くて歩けない!』と駄々を捏ねられ、子供二人を抱き上げて四苦八苦していた彼女を、
見かねたシャアが子守をかって出たという真相らしい。
そもそもシャアが病院に来たのも自分が受診する為ではなく、セイラの忘れ物を届けに来ての帰り道だったそうだ。
訳が解れば納得するものの、内心胸を撫で下ろしたい気持ちで一杯のアムロだった。
「で?君はまだ私の質問には答えていないようだが?」
丁度昼時でもあり、二人は病院内のティールームで軽食を摂っていた。
背凭れに背中を預けたシャアが、食後のコーヒーを飲みながら裸眼でアムロを見遣る。
青い瞳がじっとこちらを見つめ、逸らすことを許さないとアムロを捉えているようだ。
居た堪れないというか気恥ずかしいというか、どうにも居心地の悪さを感じてしまい、アムロは逃げ出したくなった。
(何でかなー、セイラさんと3人で居る時は何とも思わないのに…なんでシャアと二人だと気まずいんだろう。気まずい?いや違う、なんていうか…)
シャアが自分を見ていると思うと、心臓が飛び跳ねるのだ。
それに伴い心拍数は上昇し、血圧も体温も上昇の一途を辿る。恐らく脳内はアドレナリンが駆け回っていることだろう。
手や額に汗が浮かび、喉は渇き声は上ずり瞳孔が開く。声が裏返らないように落ち着かせるので精一杯だ。
(全く、初恋でもあるまいし…第一シャアは男だろう!しかもかなりハイレベルの、そんじょそこらの男じゃ太刀打ちできないくらいの…)
アムロもコーヒーを啜りながら見返すようにシャアを見つめる。
(でも幸せな家庭を築くタイプじゃないよな…嫁さんほったらかしで危ないことに真っ先に首つっこみそうだ)
(クールで二枚目で滅茶苦茶モテるクセに、硬派というか女性より自分の信念優先させるし…)
(どっちかっていうと早死にしたがる…ってストップ!今のナシ!シャアは死なせない!)
考え事をしている今は見つめ合ってもなんでもない。だが現実に意識が戻ったアムロはどうなるのか、それは。
「アムロ?どうかしたのか、先程から様子が可笑しいぞ。熱でもあるんじゃないだろうな?」
と不意に額に触れられて、一気に現実化した。
「え?え、ええ?!うわ、なに?なにやって、シ」
「落ち着けアムロ!その名は拙い」
そう小声で言って、大きな手に口を押さえられてどうにか沈静化した。
だが心臓は喧しいくらいに早鐘を打っており、触れられた肌からシャアの皮膚を伝わるのは確実だった。
「…」
「さっきから一体どうしたというのだ?どうやら少し熱もあるようだし、仕事が休みならば帰って休んだほうがいい」
静かに手を離したシャアが座りなおす。
(それは貴方の所為だろうが!)
とは口が裂けてもいえない。
「…はは、ちょっと疲れてんのかも知れないな…さっきの見慣れない光景で」
水とコーヒーを交互に喉に流し込み、どうにか話せるまで回復したアムロと怪訝な表情のシャア。
「私の所為だとでも?」
(そう、そうだよ!!貴方があんな姿見せるから!一瞬でも可愛いなんて、とんでもないこと考えちゃったんじゃないか!)
「全く、誰だって子守くらいするだろう?父親と母親になったらどうするんだ、慣れない出来ないなんて言ってはおられんし、第一子供は待ってはくれんのだぞ」
「そりゃあそうだけどさ…」
「昔、木馬にも子供達が乗っていたのだろう?カツ君やその弟妹達が。アーガマにもシンタとクムがいたし、子供達に接する機会はあったじゃないか」
「そりゃあその通りだけどさ…」
「煮え切らんな。では質問を変えよう。何がそんなに気に入らないんだ、アムロ」
シャアの言葉は、アムロの心の鍵を簡単に弾き飛ばしたようだった。
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