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「え?気に入らない?」
「ああ。私には、君が拗ねているようにしか見えん」
(気に入らない?え、そうなのか?俺は…)
そう言われればそんな気もしてくるのが不思議だ。
確かに、自分の知らないシャアを見てちょっと苛ついたのは認める。誰との子供だ?!と嫉妬に似た感情が沸いたのも確かだ。
だが、自分が拗ねているとは考えもしなかった。
(ああ、なんだ。俺は…あの赤ん坊と同じで、シャアの意識が自分から逸れるのが厭だったのか…ってコレどういう感情だよ?!)
赤から青へ、見ている前で瞬く間に顔色を変えるアムロを、シャアは訝しげな表情で見守っていた。
やっと落ち着いたらしいアムロが、照れ臭そうに視線を外して俯いている。
珍しい光景もあるものだ、とアムロが聞いたら怒りそうなことを考えつつ、シャアはアムロの言葉を待っている。
「………ち、かもしれない…」
「ん?何と言った?」
聞き取れず再度促せば、真っ赤な顔で自分を睨むアムロ。ダンっとテーブルを叩き、
「だーかーらー!貴方が全然知らない人に見えて、でも何故か似合ってて可愛くて、無性に腹が立ったの!ヤキモチって言ったの!聞けよちゃんと!ニュータイプなんだから!」
顔から火が出る思いで正直に告げたのに、当の本人はどこまでも冷静沈着だった。この際回りは気にしない。そんなアムロに一つ溜息を零して、
「アムロ。確か君は一人っ子だったな?それではまるで弟妹が生まれて母親を取られた子供のようだぞ?それにこの場合ニュータイプは関係ない。それから」
「まだあるのかよ!」
言葉尻を奪い、心なしか僅かに潤んだ目のアムロに向って、シャアは優しく微笑んだ。
「君が小さな子供だったら、きっと同じようにしているさ。姿が変っても、忘れるなど金輪際有得んから心配は無用だ。安心したまえアムロ君」
そう宣言したシャアはまるで大天使ミカエルのようだった。
クワトロ大尉を名乗っていた時のような、少し長めの淡い金髪と透き通る様な青い目が余計にそう見せている。
総帥時代のオールバックよりも、アムロは今の髪型の方が好きだった。後ろに撫で付けた髪は、シャアを必要以上に老成させていたから。
一言で自分を舞い上がらせ、叩き伏せることもできるシャアは、時々大天使長で偶に堕天使の長。
ミカエルとルシファーを器用に使い分ける男に、ひとかどならぬ気持ちを持ってしまったらしい事実を、アムロは認めざるを得なかった。
(複雑な心境だけど…この人が居なければ今の俺は存在しないし、言い方変えれば一種の<運命の人>だよな…)
アンビバレンツなシャアは優雅にコーヒーを飲んでいる。
何をしていても様になるのは小憎たらしいが、一番心を許してくれているのは自分だという実感がある。
穏やかな雰囲気を纏いつつも、警戒心を解かないのがシャアだから。
赤ん坊に見せるような、無邪気な笑顔を無条件に見られるのは、彼の妹と自分だけだ。
そう思えば、もう些細な嫉妬を感じずに済みそうだった。


すっかり長居したティールームを出ると、日差しは大分弱くなっていた。
あと何時間もしないうちに夜の帳が落ちてくるだろう。
通りを行く人々も買い物帰りの主婦層が多く目につく。これから食事の支度をして、家族と一緒に団欒の時を持つのだろう。
昔から縁のなかった生活を今更欲しいとは思わない。
「アムロ。今日はこれから用事でも?」
「んー無いよ。連休だから酒でも買って帰ろうかと思ってる」
「では私に付き合わんか。アルテイシアは夜勤だし、一人で呑むより二人の方がいい。外で呑むかね?」
「じゃあウチに来る?此処からなら近いし」
「………」
「……何だよその無言は」
「無言で拒否したのだが」
「失礼だな、何が厭なんだ」
「呑む前に大掃除が必要だろう、君の家は」
「………」
図星だから反論出来なかった。
以前、忘れ物を届けに来たシャアが、あまりの散らかりように珍しく怒りながら、何時間もかけて片付けてくれたのだった。
以来シャアはアムロの家に行くのを躊躇するようになった。
だがアムロにしてみれば、あのシャアが、腕まくりをして埃まみれになりながら、掃除機をかける姿を気に入っていた。
もう一度あの姿を見られるかもと期待しただけに、ちょっと気落ちしたところに、
「では我家にご招待するとしようか。食事は私が作ろう、変りに酒代は君持ちでどうだ?」
と願ってもない提案が降って来て、正に天使と悪魔がそこに居るようだった。
セイラも交えての時は余り、といかほとんど羽目を外せない。
シャアに寄れば怖いお目付け役は夜勤でいない。
となれば、明日の朝、帰宅したセイラには叱られるだろうが、シャアも一緒に叱られるならどうってことはない。
というか、一度でいいから妹に叱られる兄を見てみたい、というささやかな欲求に勝てなかった。
「はい、異議なし」
「では、買い物して帰るとしよう」
「ああ、そうだね」
「そういえば、何故病院に居たのかまだ聞いていなかった」
「あ。忘れてた。昼間家に電話したら留守でさ、貴方にもかけたけど出なくてセイラさんに聞いたんだ。そしたら今こっちに向ってる筈だって言われて。で、追っかけて行ったんだよね。吃驚してすっかり忘れてたけど、晩飯の誘いに来たんだよ、俺」
「なんだ、では当初の目的は果たしたのだな?」
「そう、謀らずとも大天使ミカエルのお導きでね」
「大天使?珍しい単語を聞いたな、しかも君の口から」
「はは、何とでも。俺にはミカエルとルシファーの二人がついてるんでね、最強なんだよ」
「君が宗教的なことを言うとは思いもしなかったが…それでは天使と悪魔両方ではないか」
「うんそう。時々は天使が微笑んで偶に悪魔の囁きが聞こえるんだよ。楽しいだろう?」
いかにも楽しそうなアムロの表情に、シャアは無表情で答えた。
グラスの下に隠された目が、聞いてはいけなかったような色合いを浮かべていることに、アムロはまるっきり気付いていない。
「…パイロット時代に言わんでよかったな」
「なんで?」
僅かに低くなった声にも気づかない。アムロは上機嫌だった。
「危なくて乗せられないところだ」
「酷いね。でも当時は居なかったよ、そんな存在」
「ほう、ではいつから?」
「そうだな…最近かな気付いたのは」
「そうか。では、せいぜい悪魔に取り殺されないようにすることだ」
「大丈夫、死なば諸共だから。堕ちるトコまで一緒についていくから」
「…では私は、君が地獄に堕ちないよう見張っていよう。堕ちそうになったら引き摺り上げてやる」
「うん、そうしてくれ」
シャアは天使と悪魔が自分を指すとは夢にも思っていない。
日の暮れかかった通りを、車で走りながら他愛ない会話をする。
何でもない日常にシャアがいることが、とても嬉しく思えた。
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