▼1
クワトロとカラバの一行がアウドムラに戻り、艦内では作戦の無事成功を祝って、ささやかながら祝杯が挙げられていた。
手にしたグラスを掲げ、クワトロに労いの言葉を掛けるクルー達。
それらに笑みを浮かべ或は返事をしながらも、どこかクワトロの表情は冴えない。
だが、その様子に気付いたのはアムロ一人だった。
ウィスキーのグラスを持ったまま、クワトロは艦橋を後にした。
その背中には数々の重責が伸し掛かり、クワトロの気分を水底に押し止めているかのようだった。
何故クワトロの名に固執するのかーーーアムロは疑問に思う。
ジオン・ダイクンの息子である事実は曲げられない。シャア・アズナブルの名も然り。
シャアにはエゥーゴを背負って立てる才覚がある、とアムロには断言出来た。それほど、この男を知っていた。
ーーー好むと好まざるとに関わらず。
だがクワトロは、今のままでいたいという思いを捨てきれない。
一ーパイロットとして、宇宙を駆けたいーー
例え出自がどうであれ、自分はMSパイロットとして、天翔ける戦士でいたいーーー
それが誰にも明かさぬクワトロの、否シャアの望みだった。
だが現実は彼を政治の表舞台に駆り立てる。
その火蓋は、ダカールでの議事堂制圧及び、エゥーゴ代表として演説を行った時点で切って落とされた。
(もう私は思う存分MSを駆ることはできまい。あの宇宙で縦横無尽に翔けることは出来はしないのだ。重力に引かれる連邦や議会の人間のように、責任という重力に雁字搦めにされ、いずれは大衆の狂気に飲まれていくのだろう。父と同じ様に)
クワトロは一人、通路の窓から空を眺め物思いに沈んでいた。
どこまでも深く青い空。
クワトロの目と同じ色を写した空は、クワトロの心を癒してはくれなかった。



「クワトロ大尉」


クワトロはアムロの気配がこちらに向うのに気付いていた。
地球で7年ぶりの再会を果たした後、互いが互いの気配を常に感じ取れるようになっていた。
それはまるで、全方位感知システムを人体に備えたかのように。
クワトロの気配が近付くと、距離を取って逃れていたアムロだったが、ダカールまで自分を送ってくれたのもアムロだった。
地上用MS・ディジェに乗せて。
そこで言われた言葉がクワトロの胸から離れない。
『人は、変わっていくのだろう?』
そう、人の思いは一定ではない。
流れる水のように、雲のように、常に形を変えていく儚いものだ。
クワトロは自身の経験で知っていた。



「作戦成功おめでとう」
「ああ、ありがとう。君が送ってくれたからだ、私からも礼を言う」
「俺だけの力じゃない。護衛に出たパイロット、支援してくれた人、危険な任務を遂行してくれたカラバのメンバー。そして貴方の力もある」
「私が?」
「ああ。貴方の言葉だからこそ、議会の面々は話を聞いてくれたんだ。これが俺達なら即座に交戦だろう。違うか?」

確かにそうだろう。
アムロやハヤトのような、政治的基盤を何ら持たない軍人が武力介入したところで、ただのクーデターとしてしか扱われない。
あれはシャア・アズナブルの、ひいてはキャスバル・レム・ダイクンの言葉だったからこそ威力があったのだ。
だがクワトロは、自分の名前と過去が持つ力を疎ましいとしか感じていない。
ささやかな望みを絶つ元凶が、その出自と過去と名前であるからだった。
アムロの問いかけにクワトロは苦い笑みをかえす。
カラン、と涼しげな音がして、琥珀色の液体がグラスの中で揺れた。


「−−−だが、これで私は自由を失った」


ポツリと零された本音に、アムロは軽口で返した。


「人身御供の家系かもな」


父も母も私も。
大衆の前に差し出された供物なのか。
自由に生きることすら許されない、いずれは贄となる存在なのだろうか…
クワトロの胸に苦渋が満ちる。
音もなく押し寄せるそれが、クワトロを奈落の底に沈ませる。
地球の奥底、奈落の底に引きづられていくような感じがして、思わず肌が総毛だった。
(私の居場所は水底や地底ではない!)
肺から吐き出す空気が、気泡となって地上へと昇っていく。
手を延ばしても掴めるものではなく、虚しく空を掻くばかりだ。
一面が深い闇に閉ざされた世界でも、自分の居場所ではなかった。
どうせ窒息するならば、水底や地底よりも真空の闇の中がいい…
寸分の欠片も残さず、内部から破裂し蒸発して、欠片もなく吹き飛んでしまいたい…
己の姿と星の瞬く宇宙を思い出したとき、アムロが自分を呼んでいるのに気が付いた。
スポンサード リンク