▼心の年表 
亡父:保険会社勤務 50歳で栃木支店長になり、数年で本社に戻ることになっていた。
仕事人間 親分肌で面倒見もよく、会社では尊敬されていたが、家族に対しては無関心で、ピリピリしていて近づけなかった。51歳、仕事の帰り倒れ、心筋梗塞・膵臓壊死で急死。
母:専業主婦 優しいが自分のない人。躾も借り物。本来は奔放な人?現在弾けている。

父が仕事人間だったため、母子家庭のようで、全ての影響力が母にあったように思う。
物心ついた頃から、譲りなさい、我慢しなさいと育てられたが、頑張ったねとフォロー無し。それが出来て当たり前。犠牲的精神、命!
望んでも叶わないと、幼いながら希望を持たないよう心がける。
何が欲しい?と聞かれても、欲しいものを言ってはいけないと思っていたので、何でもいいとエヘラエヘラと笑って答えていた。欲がない子だねと言われたが、押さえ込んでいただけ。(今は押さえていた分、物欲との葛藤で、大変です)
とはいえ、元来ひょうきんで、人を笑わせるのが好き。
小学校で、面白いねーと先生に褒められ(ある意味、馬鹿にされたのかもしれないが)
自分を省みて貰えた喜びで、母に「お笑いに向いてると言われた!」と報告したら、
いやぁねぇと眉をひそめられた。親としては侮蔑的な言葉だったのだろうな。
私は、もう、本当に何をやってもいけないのだと感じた。母に嫌われるのが怖かった。

とにかく、目立たず、普通ならいいんだと、良い人であろうとする。
しかし、経済的にも「遊び」のない家の雰囲気で、ねだれない、どこにもはけ口が無く、鬱積したものが、歪んだ行動に走らせる。小学校高学年で、異性に目が向く。
誰かに特別視されたい、大切にされたい。振り向いて貰えないので、わざと困らせたり、消しゴムを盗んだりする。今思うと、父親的な存在を求めていた様に思う。
当時は、彼が出来たら、きっと幸せになれると思っていた。

中学当時、過食気味で、寂しさを食欲で紛らせていた様に思う。育ち盛りだから食べるのだと母は思っているようだったが、体型も醜くなっていった。ますます卑屈になる。
テレビが友達。幸い、仲の良い友達がいたが、独占したいが為、他の人と仲良くしないように画策したこともあった。それも虚しいと悟ってやめたが。
夢で、いつも親に置いてきぼりにされ、泣いて目が覚める。
疲れると蕁麻疹が出る。覇気もなく、運動も勉強も奮わず。
時々、これではいけない、頑張らなければと思うが、何をやったらいいのかさえ分からず、
結局、だらだら生きている気がしていた。まだ学生という甘えもあった。
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