▼心の年表 
今、家族は、まあまあ上手くいっていて、子供からも「大好き!」と言われ大事に思われていることは分かってきた。やっと報われた気持ちになってきたが、なかなか感謝の念が湧かない、頑張っているのだから、見返りがあって当たり前と、傲った気持ちがあるのかもしれない。
井上さんがプロフィールで書かれていた「子供達は、トラウマを抱えた親から受けた、連鎖的な傷を持っているかも知れません。」
このことに関しては、完全に断ち切れていないこと、子供に何らか残してしまったと責任を感じている。でも、これが精一杯な気もして。もう頑張りたくない……。

結婚し、別居してからは、随分自分らしさを取り戻せてきたと思う。
絵本を描いたり、色々な仕事を体験した。エッセイを書いて、出版したり。
何でもいいから有名になり、世間、身内を見返してやるというマイナスのエネルギーをバネにしていた。子供の頃とは想像も出来ないくらい活発になったとは言われたが、実際、頑張った目的、それは虚しいことであった。
2004年頃から、自分の器の小ささを痛感し、小さな器なりに人生を全うすればいいと思うようになった。もう抗わず、心臓が止まるまで生きればいいと、半ひきこもり状態になった。受けた仕事と家事は何とかこなしていたが。この時、鬱の人の気持ちが少し分かった気がする。頑張ろうと思っても頑張れないことがあるのだ……という感覚が。
私も、中学の時のように、このままで良いのか?と、習い事をしてみたりしたが、気持ちは晴れず、ある時、アロマコーディネーターの奨学生募集のチラシを見て、日頃感じていたことを“書いてやれ!”とばかりに応募したら、最終審査まで残って、通ってしまった。
これが、どうやら転機だったらしい。
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