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外に出ると、ちらほらと雪が舞いうっすらとアスファルトの無粋な灰色を白で染め上げていた。
「はい、コレ、ちゃんと渡すのよ。」
そう言って藤崎は小奇麗な紙袋を緋勇に渡した。その紙袋を複雑な表情で受け取ると、緋勇は恐る恐る藤崎に尋ねた。
「あの、藤崎さん、知って、たの?」
俯き加減に藤崎を見る緋勇に、藤崎はにっこりと微笑んで素早く緋勇の懐から定期入れを掠め取った。
「……わわわッ!」
その見事な技に感心しながらも、取られたものが定期入れと知った緋勇は慌てて藤崎から定期入れを取り戻そうとしたが、その前に定期入れの中を藤崎に見られてしまった。
「ふふふ、お姐さんは何でも知ってるのよvほら、こんなもの入れてるくらいだもの、違うっていうほうがどうかしてるわ。」
緋勇の定期入れの中には、皆で撮った写真をある人物だけ綺麗に切り取られたものが収まっていた。
益々身体を縮こませながら、街灯の明りの中目じりと頬を染め上げて困ったように俯く緋勇を見つめながら、藤崎は軽い嫉妬を込めて定期の中の写真を指先で軽く弾く。
「ううう、何で知ってるの?…知ってるの、藤崎さんだけだよね?」
「多分、ねv」
その言葉に安心していいのか分からないが、兎にも角にも藤崎は緋勇の代わりにチョコレートを買ってくれたのだ。その事実を踏まえて緋勇は藤崎に躊躇いがちに尋ねた。
「あの、変、とか気持ち悪いとか思わない?」
緋勇の言葉に、藤崎は少し考えるような仕草をすると、ゆっくりと言葉を吐いた。
「あのさ、やっぱ正直に言うと、変かな?とは思ったよ。でもさ、私昔とても仲の良かった女友達がいてさ、その子に彼氏が出来た時、何故か面白くなかったんだよね。何でかなあって思ってじっくり考えてみたんだ。そしたら私、彼氏が出来た事が面白くなかったんじゃなくて、彼女がその男に取られたみたいで面白くなかったんだよね。これって変でしょ?私その子に恋愛感情なんてこれっぽっちも持った事無かったのに。多分独占欲だと思うんだけど…人間って不思議よね。好きになる境界線なんて無いんだもの。それが友情にしろ恋愛にしろ…。だから龍麻の感情も変じゃないのよ、きっと。」
「藤崎さん……その、ありがとう……。」
緋勇の中で縮こまっていた気持ちが、藤崎の言葉に勇気付けられるようにゆっくりと膨らんでいった。藤崎の言葉を聞くまで、このチョコレートを如月に渡そうか思い悩んでいた。嫌われるくらいなら、やはり今までの「友達」の枠の中に納まっていたほうが、どれだけ楽かと思っていたのだが…。
「大丈夫よ、如月なら、どっちにしろ上手に龍麻の気持ちを受け止めてくれるはずだから。ほら、噂をすればってやつね。」
藤崎の言葉に心臓が跳ね上がった。そして恐る恐る藤崎が指差す方向を振り返れば、そこに定期入れの中の写真の人物が立っていた。
「……翡翠。」
その表情は、いつもの感情を押さえた物静かな面ではあるものの、どこか険の立った雰囲気が纏わり付いていた。
如月の表情を読み取った藤崎は、大きな溜息を一つ吐き緋勇の背中を強く叩いた。
「ほら、さっさと行くッ!」
「えッ?で、でも、バレンタインは明日……。」
「いいじゃない。ここで会ったのも縁ってやつよ。」
「う、うん…藤崎さん、本当にありがとう。」
「いいわよ。それよりも結果を聞かせてね…って、聞く前から分かってるけどね。」
「え?」
「じゃあね、龍麻!」
そう言って藤崎は足早にその場を去って行ってしまった。
緋勇はその後姿が見えなくなるまで見送り、そして感謝の言葉を繰り返した。そして振り返ると、いつの間にか如月が緋勇の背後に立っており、頭に降り積もった雪を丁寧に払いながら言葉をかけた。
「龍麻、いつまでもここに立っていたら風邪を引いてしまう。帰ろう。」
やはりどこか厳しい言葉に端に、緋勇は怯みそうになる気持ちを奮い立たせて立ち去ろうとする如月の腕を掴んだ。
「何?」
「あ、あのさ、コレ……」
そう言って緋勇は先程渡されたあの紙袋を如月に差し出した。その紙袋を受け取るでもなく、ただ厳しい目で見つめるばかりの如月に、緋勇は不安に襲われる。
やがて口を開いたのは如月だった。
「これは、さっき藤崎さんから貰った物だろう?何故僕に……。」
「え?うわそんな所から見てたんだ。ええと、コレは俺が藤崎さんに頼んで、俺が買ってきてもらった物で……」
「頼んだ?」
「う、うん。そこの、デパートの、ちょ、チョコ売り場で……あ、いや一日早いんだけど、あ、ああの、迷惑だとは思うんだけど、自分の気持ちに区切りを付けたいっていうか…でも…き、翡翠?」
ふいに、差し出した手の重みがなくなり、恐る恐る顔を上げる緋勇の眼に、紙袋を受け取った如月が、どこか複雑な、それでいて照れているような顔があった。
「…翡翠?」
訝しむ緋勇の視線を受けて、如月はふいと視線を逸らし、自分が持っていた紙袋を緋勇に差し出した。
「コレは?」
「……僕も、先程綾乃に頼んで買ってきてもらったものだ。コレが、その、返事と思ってくれると嬉しいんだが…」
渡された紙袋の中身を見れば、そこには白い小さなレースで飾られた小箱が納まっていた。そして僅かに鼻をくすぐる芳ばしい香り……
「チョコレート……」
「本当は、明日渡そうかと思ってたんだが……」
そう言って如月は柔らかな笑みを湛えて緋勇からもらった紙袋を掲げた。
「君から思わぬ告白を受けてしまったし、今渡すよ。僕の気持ちだ。」
「ひ、翡翠、って事は……」
「……そういう事だ。」
そうして如月は、滅多に見せない照れた笑いを浮かべ、「たまにはこういうイベントも悪くないね」と言った。
「さて、じゃあ晴れて恋人同士になった最初の一歩は……」
如月はゆっくりと緋勇に手を差し出した。
「手を繋いで、帰ろうか?」
「う、うん。」

そして二人はゆっくりと歩き出す。
家路へと
恋人同士へと……
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