▼第十六話 

羽の舞う軌跡

第十六話「追われるもの‏」
 


暗い雲の隙間、欠けた月が冷たい大地を照らしている。

その中に残りわずかな魔力で不器用に飛び続けている羽がいた。

「はぁ、はぁ……」

いや、飛んでいるとは言えないかもしれない。

羽は飛行魔法というものがあまりうまくない。

他の魔法と比べると魔力制御の段階でうまくいかず、いたずらに魔力を消費しているようなものだ。

だからこの極限状態で飛んでいるのは自殺行為としか言えない。

案の定、糸が切れた凧のようにふらふらと上下に行き来する。

「うぁっ!?」

林の中から一際突き出ている背の高い木が羽を絡めとるように打ち落とした。

落下する中、上昇しようとするが、もはや自分の重さすらも上がらない。

枝をつかもうにも握力が足らずに手ひどく弾かれる。

落ちる速度を申し訳程度にしか押さえることができず、背中から地面に叩きつけられることになりそうだった。

地上10メートル、ビル4階程度の高さからの飛び下りだ。

これには命の危険がさいなまれる。

「〜〜〜〜〜〜!」

目をつぶって地面へぶつかることを甘受していたが軽い衝撃を受けるにとどまった。

「(羽、あんま無理ばっかすんな)」

「(無理なんて、してない……)」

くぐもって羽は答える。

抱き止められたと言っても衝撃は少なからずあり、息をすることもままならず、歯をくいしばり耐える。

なぜこんなに辛い思いをしてまでも訓練室から飛び出したのか。

それはあのままでいれば嫌でも思い知らされてしまうから。

透き通った氷が攻撃の冷たさを、流れ出た赤い血が人の温かみを奪おうとしたのだと。

周りの視線もささやいていた。

そんなお前がなぜここにいていいんだ、消えてしまえと。

それは、前のパートナーが死んでしまったときに感じた周りの視線とよく似ていた。


だから、逃げた。


もう、そんな目には耐えられないから。

シュウガは抱いている羽を見下ろし、静かに圧力をかけている。

羽には見えない口が開いた。

「(俺が迷惑すんだからちっとは休め)」

「……」

無言で羽は腕から逃れようとしたが、頭と体が別々のもののように反応しない。

シュウガは手頃な木に柔らかく羽の背を預けさせた。

「(……あのさ、ありがとう)」

「(?……あぁ、受け止めたことか?)」

羽が話し始めるとシュウガは距離を取り、辺りを見回すついでといった風に疑問を口にする。

「(ちがうよ。シュウガ、僕の名前をさ、呼んでてくれてただろ? だから、なんとかできた……)」

「(ふぅ、そんなことで礼なんて言うなよ)」

シュウガが挙動不審気味に見回す速さを上げた。

それを見て羽は笑おうとした。

だが今の羽には笑うことができなかった。

自然とまぶたが落ちる。

シュウガも周囲に気を配り、話そうとしない。

羽との距離を保ち、辺りを警戒している。

いくらかの時間が過ぎた。

だがそれは嵐の前に訪れる束の間の静寂だったのかもしれない。

そして嵐は、唐突に姿を現した。

「おっと、こんなところにいたのか。探し回ってしまったぞ?」

真っ黒なマントに身を隠し、持っている大鎌は死神を彷彿とさせる。

闇の中に白銀の刃が妖しく光る。

「(な、てめえ、何しに来やがった!)」

シュウガが現れた死神に食って掛かる。

「(ふぅ、そんなことは決まってるだろう。羽を探しに来てやったんだ。それに傷つけるような気は今のところ少ししかないから安心しろ)」

「(はっ! 馬鹿言え、てめえの言葉なんて信じられるわけねえだろ!)」

やれやれとおどけた調子で話していたが、シュウガの言葉で雰囲気がガラリと変わる。

目は鋭く、持っている鎌にひけをとらない。

「(お前の判断はそれでいいんだな、あぁ?)」

語尾が荒々しく、鎌を肩に置いて遊んでいる辺り、苛立っているのがわかる。

だがそのうちの一瞬にして鎌は消え、脚に膝を覆うほどの白銀の脚甲が装着された。

対して、シュウガは無言の内に前傾姿勢になり戦闘の意思表示をする。

死神の口からため息がこぼされる。

それを合図とし、シュウガが駆ける。

小細工なし。まっすぐに最短の距離を走りぬく気である。

しかし、一歩目を出した途端に頭が揺れた。

それも一回ではない。そんなことは把握している。

しかし回数まで数えられる余裕が無い。ましてや反撃などを挟む暇も無い。ただ攻撃を受け続け、待ち遠しくも思える最後の一撃を受けたシュウガは塵か何かのように吹き飛び、木に叩きつけられた。

死神は脚甲を解除し、また鎌を持って言い放つ。

「(敵の言葉とは言え、判断を誤ればそれは死に繋がる。ここでお前が俺と戦ったところで勝ち負けは見えていた。それならお前は他にもやりかたがあったんじゃないのか?)」

「(そんなことは、やってみなけりゃ……)」

「(なにより!!)」

途切れ途切れのシュウガの答えなどに構わず死神は言葉を押し通す。

切った言葉のあとにまっすぐシュウガを指差した。

「(お前は、羽の何だ)」

「(……俺は、羽の)」

「ワタルさん」

弱々しくも、一つの声がシュウガの言葉を遮り、死神の名前を呼んだ。

ばつが悪そうに目だけを主へと向けるシュウガ。

死神はやや驚いた雰囲気を見せるが余裕を持って声を放つ。

「ほぅ、起きたのか」

今まで背を預けていた木に手をつくと、小刻みに震える足に力を入れて立ち上がり何かを望むようにその目をワタルに向けた。

「(羽、お前……何を!)」

「(シュウガ……)」

倒れ伏したシュウガに目で合図を送ると木から手を離し、おぼつかない足取りで歩き始める。

羽を止めようとシュウガも立ち上がろうとするが頭を強制的に揺すられたために動くことが出来ない。

そして羽は死神へと歩いていた。

「(お前、まさか!)」

「(なに?)」

「(ダメだ!)」

シュウガにはわかるようだ、たった一度目を合わせただけだけれど。

あんなにひどいことをしたのにまだ心をわかってくれている。

どれだけシュウガというやつはやさしいのだろうか。

だが、ケリは羽自信がつけなくてはいけない。

「(おい、バカ、やめろ、そいつは無理だ!)」

「(無理でいいんだ……)」

静かにうつむいて、何かに追われているような切迫した表情で顔をあげる。

「……構えて、もらえますか」

「ふん、そんなことか」

「エルスも頼む」

「もち、ろんです…マスター、羽」

フレームの歪みがついに人工知能に影響し始めたようだ。

もう、長くはあるまい。

いきなり壊れかけの刃を向けられたワタルは口を歪め、嘲るようだ。

脚甲が大鎌へと変わる。

「いいだろう」

答えた瞬間、その内容など知り得ない早さで羽の壊れそこないの刃が死神の鎌へと挑んだ。

「(羽、おい!)」

甲高くも鈍い音を立てて刃は弾かれる。

「(シュウガ……ごめんな)」

「(何謝ってんだ! 謝るのはあとでいいから、やめろ!)」

二度目の交錯。

羽の持つ刃の弾かれ方が大きくなった。

耐え切れずによろけるが追撃はない。

十分に勢いをつけて刃を振りぬく。

「(今のお前じゃ無理だ! ワタル、もう一回俺と戦え!)」

「(ダメだ……きっとシュウガが僕の代わりに戦ったらいい勝負をすると思うよ? だけどさ、もう…イヤなんだよ)」

悲しみを押し殺した声。

それは念話でも容易くシュウガに伝わった。

刃が悲鳴を上げてぶつかる。

「(話したことなかったと思うけど、僕は前にヒメの本当の持ち主とコンビを組んでたんだ)」

「(……本当の、持ち主)」

シュウガが歯噛みしながら言葉を繰り返す。

すでに体はぼろぼろ、魔力は空。手の握力も限界。

それでもエルスを握り続ける。

「(だけど、あいつは……)」

先の言葉を紡ぐことができない。

それを言葉にすれば心のどこかで信じたくないと思っている現実を受け入れることになるから。

死神の鎌は渾身の一撃を軽々と受け止め、弾き返す。

「(俺がそうなると思ってんのか!)」

この相手では簡単に思いなんて物は引き裂かれるはずだ。それだけの怖さがある。

だがそう言ってくれるシュウガの気持ちもわかる。自分もそうだから。

もはや当たらない。

見切られている。

「(そうじゃない、けど、けど僕は…そのとき死んでもいいと思ってた)」

いなくなってしまったその日、泣き出しそうだったのを耐えていた。いや、泣けなかった。

もはや意味がないことはわかっている。

でもだからこそ精一杯の力で振り続ける。

死神が構えた。

「(でもそんなときにはやてさんが立ち直らせてくれたんだ)」

本当に、うれしかった。

見ず知らずの人間に自分の過去を教えてくれた。

エルスの柄を握り直し、力を込める。

「(なのに僕は……)」

「(あれは、お前の本心じゃないだろ!)」

「(でも、時間は戻らないだろ……?)」

そう、刃を向けた。

自分を省みずに打算抜きで話してくれたはやてさんに向かって。

まるでそんな思いを汲み取ったのか否定したのか鎌が刃を絡めとった。

そして戦闘開始から初めての追撃が迫る。

「(羽、早く避けろ!)」

「影・滅」

魔法陣が光り、ワタルと目が合う。

降り下ろされる鎌がとても遅く見える。

あぁ、これは避けることはできない。死の淵というのはこんなものか。

鎌がゆっくりと肩口から突き刺さっていく。血が溢れて視界も赤く染まった。けどすぐに何も見えなくなった。

薄れゆく意識の中で最後にただひとつ、わがままだけど……

死にたくない

そう、願った。

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