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とにかく落ち着けってカンジで、自宅つうか賃貸マンションの狭い部屋にたどり着いて、速攻冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出してごっくごっく飲みまくる。
「うっはー、冷たくて美味い。あ、ユーレイさん。貴方も飲みますか?」
キンキンに冷えた水がおいしくてにっこりってカンジで俺はヒマワリ男を振り返る。
「あ、いえ、私はどうやら飲食は不必要のようでして……」
「あー、そうですか」
ならば遠慮なしにと、またもやごくごく水を飲む。うっわーホント生き返るカンジ。水、美味しっ!
「ええとですね。そのユーレイさんというのは私でしょうか?」
「あ、やっぱりこういう呼ばれかた嫌ですよね?」
でもどう呼んでいいかわからなかったから……すみません。
「……私の正体がホントにそういうモノならそう呼ばれても不都合ではないんですが、何せよくわからなくてですね……」
「あー、じゃあヒマワリさんてのはどうですか?」
「……その呼び名、可愛すぎないですかねえ」
そりゃあそうだ。ヒマワリって植物の名前ってだけじゃなくて最近は女の子の名前にもなっているしなぁ。ウチの塾の生徒でも居るんだよなあ。ヒマワリって名前の五年生。名前は可愛いがちっと生意気でさ。面白い子なんだけど。ま、でもこのサラリーマン風の男には似合わない、か。
「ええと、せめてお名前とか呼び名とかあだ名とか、そういうの覚えていないですか?」
「ええまったくもって。名前どころか何もかも、きれいさっぱり覚えてません」
「そーですか……。外見からするとサラリーマンとかかなって思うんですけど。今にも名刺入れから名刺取りだして『私、こういうモノですが』とか言いそうな風体ですしねぇ」
ぱっと見で思ったことをそのまま言ってみる。そうしたらヒマワリ男は胸ポケットから名刺入れ取りだすみたいな動作をして、それでもってうんうんと頷いた。
「ああ確かに。記憶はなくても何やら腕や手が覚えていますね。私、どうやらここの胸ポケットに名刺入れを常に入れておいてですね、それでこう取り出して相手に差し出すってコトしていたみたいです」
身体が覚えているってコト、あるだろう?多分そんな感じで。
「記憶って脳以外にも身体が覚えてるってこともありますよね確かに」
うんうんうん、って俺は頷いて。
「じゃー、さあ。色々やってみましょうよ俺の家で。玄関開けるとかリモコン操作とか冷蔵庫開ける動作とか」
「ああ、いいですねぇ。また何か思い出すかもしれませんしね」
二人でなんとなくにっこり笑って、部屋のあちこち巡って色々やってみた。
思い出して、そんでもって俺の傍から元の場所へ戻ってくれ。そんなこと、初めのうちはちょっとそう思ってたんだけどさ。すぐにそんなこと忘れて夢中になった。例えばトイレの便座に座るとか、テキスト開くとか。フライパンで料理のまねごととかさ。パソコンでいろんな場所の写真とか見てみてさ、記憶に引っ掛かりそうな風景ないかなとかもしてみた。試してる時にちょっとだけ子供の遊びみたいだなーって思っておかしくなった。そうしたらさ。
「まるで遊びみたいですねえ……」
ヒマワリさんもそんなこと言って笑って。
「俺も今、貴方と同じこと今考えてましたよ。ほんと遊んでるみたい」
本とか雑誌とか写真とか、見るのならともかく、玄関から入ってきて「ただいまー」とか言うとかさ。お茶碗持って「いただきます」とかさ。ちっさい子どもがするおままごとみたいだろう?そんなこと大の大人が真剣にやってんだもんな。俺達は二人で顔見合せてあはははって声をあげた。そしたら俺の腹がぐぐぐぐぐーって鳴った。
……ちょっと恥ずかしいな俺。でもさ、腹減ってるのに気がつかない夢中だったんだ。楽しかった……のかな、やっぱり。ちょっとびっくりしたっていうか気恥ずかしいな。それでなんとなく視線逸らしがてら外を見たら、なんかもう暗くなっていて。え、とか思って時計見たらもう八時なんてとっくに過ぎてた。そりゃあ腹減るはずだなあ。
「はらへったんで俺、なんか食ってもいいですか?」
「あ、すみません。どうぞ」
「そんじゃそちらで適当にゆっくり過ごしていてください」
俺はまず先にテレビのスイッチ入れてテキトウな番組とかつけてみた。ヒマワリ男はきちんと正座して、それ見てる。それから台所に行って冷蔵庫開けて中身を物色。んんーと、何が作れるかなあ。とかいっても大したもんができるわけじゃないんだけど。インスタントのラーメンとかにしようかなあ。あ、でも一人分しか出来ねえか。冷やし中華……。キュウリもトマトもないから具が足りねえ。あー、どうでもいいけど冷蔵庫開けっぱなしだと涼しいな。ぼけーってしてたら冷蔵庫がピピピと警告音とか出しやがったので一端閉める。冷蔵庫開けっぱなしにならないようにってそういう機能がついてんだよな最近の冷蔵庫は。いーけどね、とか思いながら今度は冷凍庫開ける。よっし、冷凍しておいたご飯がある。ラッキー。卵あるしネギあるしー、そんじゃ簡単にチャーハンでも作りますか!メニュー決定。これでいいや。それでまずはご飯をレンジで解凍する。卵取り出してそれ炒めて。いったん取り出して皿に乗っけておいて。あ、ネギ切るの忘れてた。みじん切り……は、苦手だから気をつけてゆっくりと切る。あとはご飯炒めてネギ入れてー鶏がらスープの素ちょっと入れて。そんでもう一回卵を戻す。味見てちょっと塩けを足す。あ、コショウもふらねば!って焦ったらヤバイコショウ振りすぎた……ってカンジにようやく完成。……なんとなく二人分。皿を二枚出して、コップに麦茶入れて。まあこっちも二人分。そんでテーブルの上にドンドンドンと置いてみた。
「おや?」
ヒマワリ男がテレビからテーブルの上に視線をやってそれから俺にこう言った。
「これ、私の分、ですか?」
「あー、貴方食べられないんですよ……ね?」
「ええ。食べようとしてもこうですから」
手をコップだのチャーハンだの辺りにひらひらと振る。見事にお約束通りに男の手はそれらにぶつかることなくスカスカとすり抜ける。やっぱりなぁ。ひらひら振るたびになんか赤いリボンも揺れるんだけど……ええい、見ないフリっ!
「いやわかっていたんですけど。自分の分だけ作って自分一人だけで食べるってなんかどーも気が引けるっていうか」
あはははは、と俺は笑う。うーん、やっぱりな。まあ、後で俺が食う羽目になるんじゃないかなとかちっと思ったんだよ。でもさ、ほら気が引けるだろなんとなく。
「……貴方、良い人ですねぇ」
男がしみじみと言った。


続く



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