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それで、表面上だけでもにこにことした笑顔をキープし続ける。色々とね、俺も葛藤とかあるんだよなあ。あー、ムズカシイね。へらへらと、逃げ続けていた時は楽だった。振り向いてくれなんて全然思わなかった。歴代の、彼女の顔なんてもう覚えてないよ。去るものなんて追いかけること、しなかった。3日も経てば不快な記憶なんてぽいって処理してサヨーナラ。そんな俺が初めて上条さんに執着してるんだもんな。振られても、諦めきれない。ハジメテのことだから、うまくいかなくても当然。……理性ではね、そう思える。上条さんのことを良い経験にして、次から上手く活かせればいい。なんて、さ。……でも、上条さんがいいんだけどな俺。上手くいかないね。あーあ。その上条さんは俺の葛藤なんか全然気がつかないで、届けられた衣装を恋人サンに手渡してる。
「まずはこれに着替えてくれるかな?」
……なんかすげえ凶悪な笑み、してますけど。
「は、い?」
オーガンジーを幾重にも重ねた、ふんわりとした手触りの、白のサマードレスだ。うわあ。この子に、似合うと思うけど。でも受け取って、茫然としてますけど恋人サン。上条さんはそんな恋人サンの様子なんて意にも解さずに、ドレスの上にウイッグも載せたし。恋人さんは更に目を白黒させてるけど、大丈夫、かな?普通の男の子がいきなり知らない大人に囲まれて、女装しろとか言われても……、ああ、女の子役だっていうのわかっていてもちょっとね、躊躇するよね。状況について行けないカンジ。戸惑ってますけど……上条さんはどんどん話を進めていく。問答無用ってカンジ。
「じゃ、さっそくよろしくな。えーっと更衣室なんてモンはねえから、楽屋で。おーい誰かナツ君を楽屋に案内してくれ」
あーあ、も、ホント容赦ない。心の準備の時間くらい上げたほうがよさそうなんだけどーって、そんなことに気を配るような上条さんじゃないか。じゃあ、俺かな?俺だよね。
「あ、はいはい。俺、行くよっ!えーっと羽鳥先輩のコイビトさん?楽屋こっちだから、来てくれる?」
はーい、って挙手。
上条さんのフォローっていうのもあるし、恋人さんの気持ちの整理っていうかそういうものもあるだろうし、何よりもちゃんとね、俺達がどういう覚悟でこのプロモ撮影に臨むのかとかそういう気持ちもちゃんと話したかったし。だから、楽屋に案内しながらそういう話出来たらいいなって思って。なのに上条さんは俺の頭、ぺしって叩いてきた。
「ソーヤ、オマエは歌の準備をしやがれ。案内なんて余裕じゃねえか」
余裕?そんなの無いよ。俺には心に余裕なんか無い。嫉妬するし身勝手だし、ホント心せまいよ俺。余裕なんて俺のどこ見てそんなセリフ出てくるのさ。
振り向かないまま、そのままで。俺はぴたりと足を止めた。
「……余裕、なんてないけど。俺はいつでもどこでも歌うよ」
笑顔、顔に張り付けてるのも忘れた。せめて嫉妬とか暗い感情とか表さないように無表情になる。感情、少しだけ、堰き止めて。
「歌うって言った。俺の歌、聞いてるクセに届いてないのは上条さんのほう……だろ?」
「ソーヤ……」
あーあ、マズイな。声に出したら止まらなくなる、かも。
「歌うよ。届いても届かなくても。だけど、」
「だけど……なんだ?」
でも今ここで、言うべき言葉じゃない。羽鳥先輩の恋人サンが訝しげに俺を見てる。
笑え、俺。
上条さんのことは今ここで吐きだす場面じゃない。俺は恋人サンのほうに視線を向けて、にっこりと笑った。人懐こい笑みに見えるように。
「あのさ、コイビトさん。きっと俺達の歌聞くの初めてだよね?」
「あ、はい。えっと、ごめんなさい」
聞いたことありませんと、恐縮して首をすくめる恋人サン。
「だから、まずはちゃんと俺の全力の曲、聞いてもらいたいんだ。それにどんな気持ちで俺が歌うのかとかそういうの、ちゃんと知って撮影に協力してもらいたいしさ。だから君が着替えている間、ちょっと俺と話しをしようよ。そんで着替え済んだら俺は歌うから。そうしたら聞いてくれる?……撮影それからってことでいいよね上条さん」
さっきの話、無理矢理遮断だよ、って、それでいいよね上条さんって目に意思を込める。
「……わーかった。みんなにも伝えとく。ナツ君の着替えと調整待ちな。ああ、じゃあこの隙に羽鳥も着替えしておいてくれ……」
こういう気持ちなら伝わるんだよね。上条さんには。
「はいはい。私は白衣羽織るだけでしたよね?筆とか絵の具とかはどこですか?」
「柿崎さんのところだ羽鳥。柿崎さーん、羽鳥の白衣、汚してありますか?」
客席の一角をどけて、白い布を床に敷き詰めてその上にイーゼルを設置していた柿崎さんが、上条さんのほうに怒鳴りながら返事をしてきた。
「あー二人ともこっち来てもらえますか羽鳥さんと上条さん。ええとですね、羽鳥さんの衣裳のほうはすでに油絵の具で汚してありますけど、もうちょい汚してみましょうか?カメラ通してチェックしますんで着てみてください。それから……」
羽鳥先輩が俺に向かって、ナツの着替えのほうはよろしくーとひらひら手を振ってきた。さっさと柿崎さんのほうに上条さんと一緒に歩いていくし。あー、先輩もう仕事モードだね。さすがプロ。俺も、意識切り替えなきゃ。
自分の掌で自分の頬をパシンと叩く。
よし、切り替え完了!
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