短編小説 未来型サバイバル
 この世で人間たちがどれだけあがいたとしても、いきなり世界が変わるなんてことはありえない。それが私の考える、明確なリアルだ。


 突然、視界がぐらりと揺れた。「ゆらり」と「くらり」が混じったような、激しい揺れだった。
 約一秒遅れてから、今まで寝ていて急に起きたために目眩がしたのだと分かった。勉強が苦手な普通の小学生にとって、五時間目の理科の授業は退屈で仕方ないものなのだ。
 しかし、目眩はおさまっても揺れは続いている。今までに体験したことの無いような大きい地震だ。机はガタガタと音をたて、窓ガラスはビリビリと震えていた。窓際に座っているからいつ粉々になったガラスの破片が降ってくるか分からない。既にガラスの端にはひびが入っている。
「机の下に入りなさい!」
 先生の声で私たちは一斉に机の下にもぐりこんだ。
 狭い空間でうずくまる中、ようやくこれが現実だということを理解した。日頃行われている避難訓練では味わうことの出来ない恐怖と不安が、感じることの出来ない揺れや音が、非日常に不慣れな私を追い詰めていく。


<戦うか。>


 このとき、みんなには地震の揺れの響きとみんなの叫び声しか聞こえていないはずだ。だからこれは幻聴だ。私にだけ聞こえる声なのだ。
<戦うか。>
 はっきりと聞こえた。天空の遥か彼方、あるいは空中のように広い所から。周りの音は消え、それに比例してささやきは大きくなる。
<戦えるか。>
 声は小さく、女性か男性かも分からない不思議な響きだった。声色は女性みたいなのに言葉遣いが男性のようだったから、そう思っただけかもしれない。
<答えなさい。戦うか。>
 戦うか。戦えるか。
 何に対して戦うのか分からないし、私が戦える相手なのかも分からない。声の主の言うことは矛盾していて、わたしのもつれた心をさらに混乱させた。
 とりあえず、私は心でつぶやいた。
<あなたは誰?>
<今はいえない。でも今あなたが戦わなければ、世界は助からない。>
 世界なんて、たった小学五年生の子供が戦っただけで助かるわけ無いのに。そう言い聞かせた。けれど、声はあせるように早口だった。
<これは地震じゃない。あと三分もすれば、世界は滅亡する。>
 今この瞬間を忘れたかった。世界から逃げたいと願った。けれど望みは、私の思う通りには行かなかった。
<あなたは戦うことが出来る。戦えない人のかわりに。>
 私の心は、ためらう意思を押し出すように一言を発していた。
<戦います。>


 気が付けば暗闇の中にいた。体の感覚が全てなくなり、あるのは思考のみだった。
<今、時は止まっている。ここは現実世界とは離れたところ。>
 私はうなずけないまま、黙って話を聞いていた。
<あなたは一人で戦うの。武器も、敵もないあなたの心の中で。>
 私は今、自分の心の中にいるのだ。いや、心が今、私の全ての姿なのだ。
<一人、犠牲者を決めなさい。>
<犠牲者?>
 私の問いに、声は答えないまま話した。
<世界を救うために差し出す犠牲者。その一人の名前を、その人物を頭に思い描きながら言う。それがあなたの戦い。>
 犠牲者を出せば、世界は助かる。でも、犠牲者を選ばなければ世界は滅亡する。その一人の犠牲者に対して一生負い目を感じなければいけないということになる。その人物に確認を取ることもできないし、謝ることもできない。一度戦うと言ったからには、もうここから逃れることは出来ないだろう。
<あなたが犠牲者の名前を口に出すまで、あなたはずっと時が止まった心の中で過ごすことになる。いつまでも。>
 それはなんとしても避けたいことだった。この暗闇と思考だけの世界にいるのは嫌だった。
 犠牲者――犯罪者ならいいだろうか。自分の嫌いな人ならいいだろうか。
 やがて私の考えていることは残酷だと思った。犠牲者を選ぶ権利なんて、私には無い。
 時は無限にあったが、暗闇の中では時は過ぎなかった。
<犠牲者は……>
 声の主が聞いている気配がした。選び出すのは苦しかったが、それでも言わないと世界は助からないことを改めて思い出したのだ。
<本宮流壱(りゅういち)……>
 それは、つい先日テレビで見た政治家だった。全世界から批判を浴び、現在は留置所の中にいる。政治家のくせに汚れた心を持った人物、本宮のような人間がいるからこそ世界は滅亡するのだ。
<本宮流壱(りゅういち)を犠牲者にしますか>
 はい。そういおうとした瞬間、私の体は解き放たれたような気がした。


<歴史は続いていく。そして、変わる。人間たちと、あなたがいれば。>
 そんな静かな声が、まぶしい光とともに私を出迎えた。


 人間たちが変われば、世界は変わる。これが今私の考える、正しい明確なリアルだ。
スポンサード リンク