短編小説 わたしと赤と青と
大学生になって早9ヶ月。都会の生活ときれいなキャンパスに憧れて入学したこの大学も、今ではすっかりおなじみで、緊張感のかけらも無い。オープンキャンパスのときに、正門をくぐるだけで息が詰まるほどわくわくしたあの感触は、二度と戻ってはこない。
夏には暑い暑いといいながら半袖の服をパタパタしていた自分が、今はこうしてマフラーと手袋に包まれているなんて、毎年のことだけど信じられない。
春に始まった大学生活は刻々と時を刻んでゆき、わたしをクリスマスの前日まで見届けてくれた。
勉強もサークルもバイトも、がんばっているんだけどそこそこの結果。
大胆な人間になりたいけれど、小心者の自分。
それを隠そうとして必死な毎日。でもなぜか楽しかった。
同じ授業をとっている古西くんという人がいた。
わたしは彼のことを、予備校時代から知っていた。同じクラスだったのだ。
話を小耳に挟むと、とても面白い人みたい。
けれど、高校も違えば接点もないし、話すきっかけがない。
大胆になりたいのはそのせいだ。
古西くんの隣の席に自然と座って、写メを見せ合い笑い転げている女の子たちが、正直うらやましかったりもした。
あの当時、「自然に話しかけられるテクニック」という本があったら、買っていたと思う。
いつものように講義が始まる。心理学系の授業で、わたしは興味があってとっている。彼が友達と話すのを聞いていると、穴埋め程度に来ているというので、ちょっとがっかりしている。
それでも、最前列に座る彼。彼はとても愛おしく見えた。
わたしはいつも一人で前から5列目の席に座っている。
ここは黒板と古西くんが一目で見える、誰にも秘密の特等席なのだ。
今日の内容は説明が分かりやすくて、わりと面白かった。
講義が終わる。
古西くんはペンケースをしまうと、そそくさと出て行く。行き先はおそらく、時間的にサークルだ。
教室を出ようとすると、先生に呼び止められ、
「お前、古西のとこへ行ってこい」
「えっ。なんでですか?」
彼の名前が出て、心の中では焦りまくり。でも、わたしの声はあまりにも冷静。
「理由はあいつに聞けば分かる。ちゃんと説明してあるから、早く行け」
わたしはとりあえずおじぎをした。すぐに教室を飛び出した。
冷静だった心臓が、だんだん早くなり、わたしを駆け足にさせた。
なんで、気付かなかったんだろう。
どうして、もっと早くに彼に一言話さなかったんだろう。
わたしがときめいていた生活を、送らなかったんだ!
教室のある棟の出入り口を出たところに、古西くんが歩いていた。
何も言わずに古西くんのカバンをつかむと、当然だけど、彼は驚いてこちらを振り向いた。それでも、何も言い出さない。
「おれ、クラブあるんだけど」
確かにそうなのだ。でも、わたしは言った。
「ちょっと話さない?」
彼は、マフラーの中に顔をうずめて黙ってこちらを見てきた。
わたしは数秒後に、もう一度言った。
「ごめん。クラブ行かないとダメだしね」
彼はまた何も言わずに去ろうとしたけれど、わたしが手を振ると、
「また今度」と口を開いた。
嬉しいのと不思議なのとで、わたしはそのまま校門を出た。
息を吐くと、それは白く輝いた。
街灯に、電飾で飾られたクリスマスツリーが並んでいた。
おさえていた気持ちと、今までの気持ちが、わたしの中でようやくひとつになった。