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「怒っているのではなくてよ?だって、とっても珍しいモノが見られてとっても面白かったから」

面白かった、を殊更強調してセイラは綺麗に微笑んだ。
その笑顔があまりにもシャアに似ていたので、嬉しくなって口走ったのは。

「ああ、綺麗な笑顔だねセイラさん。シャアとおんなじだ」

その途端、シャアの骨張った大きな手で、後頭部を思い切り叩かれた。
素直で率直な意見を言っただけなのになんで叩くんだ!とばかりに、

「痛ッてえなぁ、シャア!!」

痛む後ろ頭を擦りながら猛然と振り向くと、そこには鼻から下を片手で押さえ、真っ赤になったシャアがいた。

「………ああ、ホントだねセイラさん。物凄く珍しいというか、面白いモノが見られた…」
「でしょう?」

アムロに湯気の立つカップを差し出しつつ、セイラはくつくつと笑っている。
その隣で苦虫を噛み潰したようなシャア。
性格も容姿もよく似た兄妹の、正反対な様子が可笑しくて、アムロも一緒に笑い出していた。

「私をからかうのはそんなに楽しいかね、アルテイシア」

元々の低くて甘い声を更に低く、甘さの代わりに凄みを加えて、それはまるで地底の底から響いてくるような声で呟くシャア。
他の人間なら、というかここにネオジオンの人間がいたら、間違いなく直立不動で冷汗を流すだろう。
シャアにしては珍しく、声に絶対零度の感があった。
なのにセイラは微笑んだまま、全く動じていない。

「ええ、とっても楽しいわ兄さん。だって、こんな風に過ごしたことなんて、一度もなかったでしょう?子供時代のやり直しをしているみたいで、とっても楽しいわ…」

兄と同じアイスブルーの双眸に涙が浮かび、アムロもシャアも固まってしまった。
シャアは、セイラを捨て置いて自分がしてきたことへの後悔が、今更ながら胸に去来する。
アムロは、セイラだけでなくシャアも泣いているような気がして、無性に心がざわつく。

「泣くなアルテイシア…」
「泣かないでセイラさん…」

二人同時にセイラの頬に手を延ばすと、セイラが吃驚したように目を見開いて、それからふわりと微笑んだ。

「貴方達ったら…ありがとう、アムロ、兄さん」
「…すまなかったな、アルテイシア…どんなに詫びても私がしてきたことは…」
「シ、シャア!セイラさん!ほら、あの、折角天気もいいんだしさ、テラスの明るいとこでご飯食べようよ!俺作るからさ!」

一気呵成にしんみりしてしまった空気を吹き飛ばすように、アムロが明るく遮り、キッチンへ駆けて行く。
まだ心の傷の癒えきっていないシャアは、ほんの些細な切欠で、後悔と懺悔の階段を駆け下りてしまう。
そうすると自分の殻に閉じこもりがちになって、どんなに話しかけても碌に返事もせず、食事や睡眠、果ては自分の存在すらも否定し拒否するようになる。
真面目で誠実な性格が災いする、顕著な症状であった。
自分だけの人生を、三十路を越えて漸く手に入れたのにと思うと、自分が歯止めにならなくてはとアムロは考える。
その心遣いを思い遣って、セイラも立ち上がった。
シャアの腕を取って立ち上がらせると、その長く逞しい腕にするりと腕を絡ませた。
頭一つ高い兄を見上げて、

「ほら兄さんも行きましょう。そんな顔しないで?あの頃の兄さんは、お父様が残したものが重過ぎて、そうするしか道が無かったのでしょう?厭なら厭って言えばよかったのに、変にクソ真面目だから言えなかったんでしょう?もういいのよ…。しがらみが無くなって、やっと普通の兄妹になれたのだから。だからこれからは、自分の思うように生きていいの。好きなことして、偶にはアムロと飲んだくれて、私に叱られて。大切な人はもう傍にいるのだから、一緒に生きていけばいい。貴方は自由なのよ」
「アルテイシア…私を許してくれるのか…?」
「許すも許さないもないわ。やっと戻ってきてくれたんですものね。最初に言った言葉、覚えていて?お帰りなさいって、私は兄さんにそう言ったのよ。アムロに見せる笑顔が本物の笑顔で、私がどれほど嬉しいか解っているのかしら。お父様やお母様がいらした頃の、幸せだった頃のキャスバル兄さんの笑顔が戻って、私は嬉しいの。…ホントに、些細な事で泣けてしまうくらい、嬉しいのよ…。苦しかった事や辛かった事は忘れて、嬉しいことで上書きしてしまえばいい。後ろばかり見ていると後で後悔するものよ。折角アムロが暗闇から連れ出してくれたのだから、素直に受け取るべきだわ…そうではなくて、兄さん?」
「アルテイシア」

シャアは妹の、自分とは違ってクセの無い真直ぐな髪を撫でた。
柔らかい金糸が指に絡むことなく、すうっと滑り落ちていく。
アイスブルーの瞳の中に、似た容貌を持つ自分が映り込んでいた。

「ほら、アムロが食事を作ってくれているわ。顔洗って一緒に頂きましょう。お天気もいいし、食べたら二人でどこかに出掛けたら如何?」

ね?とにっこり笑う妹を見て、シャアもやっと微笑むことが出来たのだった。
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