▼2
「それで、この子なんだけどさ…」
「誰かから貰い手を捜すよう頼まれたのかね」
「…先に言うなよ」
「君の行動理念はとっくに掌握済なのでね。長い付き合いじゃないか、アムロ」
ニヤリと人の悪い笑みを浮かべ、シャアは続けた。
「大方、飼えそうな人に心当たりがある、とでも言ったのではないのかな?」
「………」
図星、だった。
職場の同僚から、子犬の引き取り手を捜して欲しいと頼まれたのは昨日。
件の子犬を見て真っ先に浮かんだのがシャアだ。
子犬の毛並を見た途端、暖炉の火を受けて、黄金色に輝く金髪を思い浮かべていた。
真っ黒なつぶらな瞳が、シャアの、滅多に見られないきょとんとした目に見えた。
そう思ったら居ても立っても居られず、半ばひったくるようにして同僚から預かって来た昨夜のアムロ。
甲斐々しく面倒を見て同じベッドで眠って。今朝も、きちんと朝ご飯を食べさせて散歩もしてから連れて来たのだった。
(シャアは断らない)
何故か確信に満ちてそう思うのが、自分でも不思議だった。

「お嬢さん。私が飼主でもいいのかな?」
シャアが子犬に話しかけている。金の子犬は嬉しそうにシャアの鼻面を舐めている。
「ワン!」
子犬が、アムロの方を見て吼えた。
まるで、『私、この人が気に入ったからここに居る!』とでも言うように。
「ほほう、彼女はきちんと自己主張が出来るようだ。私の傍がいいそうだよ、決まったなアムロ」
アムロが何も口にしないうちに、全てが丸く収まってしまっていた。
シャア言うところの<お嬢さん>は、すっかりシャアの腕のなかで寛いでいる。
大きくて綺麗な手で毛並を梳かれ、気持ち良さそうに目を閉じている。
(…なんか…良かったんだけどあんまり嬉しくない、かも…)
子犬に対してそんな嫉妬をしてしまうくらいに、シャアと子犬は似合っていた。



「名前はどうしようか。美人になりそうだから、綺麗な名前がいいだろう?うん?」
(そんな、恋人に話すようにしゃべるなって!)
「と言って、私の知る女性で美人は…いたかな…」
(アンタの妹は滅茶苦茶美人だろうがッ!!)
「…美人…クラウレさんは美人だったな。ふむ」
(え?ちょ、それってもしかしてハモンさんか?!ランバ・ラル大尉のとこの!)
「いや、子犬の名前にしたと解ったらあの世でラルに怒られそうだな…」
(そういうことを言うのか、アンタがッ?!無神論者のくせに!)
「イセリナ…これはガルマ坊やにぶっ飛ばされるのは確実か。尤も、坊やに負ける私ではないが」
(坊やって、アンタの同期じゃないのか?!いくらお坊ちゃん育ちでも!)
「エマ…はヘンケンが怒るだろうし、ファ…もカミーユに間違いなく修正されるだろうな」
(他にいないのか?!このたらし!!アンタなら女性なんてよりどりみどりだろうがッ!!)
アムロの心の叫びも虚しく、シャアは口元に笑みを刷きながら、楽しげに真剣に話しかけている。
子犬も又、シャアをじいっと見つめてまるで恋人同士が見詰め合っているようだ(と、アムロの目には映っている)。
暫く考え込んでいたシャアが、思いついたように顔を上げてアムロを見つめた。
その嬉しそうな顔といったら。アムロは多少げんなりした。


「アムロ、アストライアという名はどうだろう?」
「アストライア?」
心なしかシャアの目が潤んでいるように見える。
そんなに大事な人の名前なのか、と醜い嫉妬の渦が湧き上って苦しくなる。
「そうーーー。私とアルテイシアの母の名前だ。アルテイシアはそっくりなのだよ、母に」
(え。つーことはアナタもそっくりということじゃないんですか、元総帥。いいんですか、犬っころに大事なお母さんの名前つけて)
「ああ、いいかもしれないな。テキサスコロニーにあった空っぽの墓石には、母の名前さえも刻んでやれなかったのだよ。私達は、母の遺骨がサイド3のどこに埋葬されているのかも解らないのだ、アムロ。ジオン・ダイクンの妻というだけで、私達の母というだけで、不憫な後半生を送るしかなかった母への、せめてもの供養に…」
シャアは独り言のように話していた。
その青い目は遥か彼方の宇宙を見つめている。
子犬を撫でる優しい手はそのままで、宇宙の彼方にある筈の、今は亡き母の墓標へ向って話しかけているようだった。

「馬鹿な息子の我儘を、母さんは許してくれるだろう、きっと…」
「シャア…」
何も言えなかった。
散々心の中でつっこんでいた言葉も、何時の間にか消えてなくなっていた。
シャアに浮かぶ儚げな笑みが、どれほど母親を愛していたかを物語っていて、アムロの胸も切なくなった。
アムロとて母との縁は薄い。シャアの母を慕う気持ちも、アムロには痛いほど理解できる。まして、預かり知らぬところで起きた謀略に嵌り、不幸な別れ方をしたのなら尚更に。
「…セイラさんと貴方はお母さん似なんだね。吃驚するくらい綺麗な人だったんだろうね」
「アルテイシアは生き写しのようだよ。尤も彼女の方が逞しいが、それは半分以上私の所為だろうし」
「ナンだ、解ってるんじゃない」
「………」
自覚はあるのだろう、シャアは無言で受け止めた。
「でもさ、貴方をポンポンと叱り付けるセイラさんが好きだよ、俺。一生頭上がらないと思うね、俺達」
「確かに…。だがアルテイシアがどう言おうと、この子はアストライアにする。…いいかなお嬢さん。今から君の名前はアストライアだよ、気に入ったかい?」
「ワン!!」
シャアの気持ちを感じてか、それまで大人しくしていた子犬が、ふさふさの尻尾を千切れんばかりに振って喜びを表している。
「でもさー…お母さんの名前つけるなんて、貴方ひょっとしてマザコン?おまけにシスコンもあったりして、って、え。
ナニそんな怖い顔して…あれ、自覚なかったとか…?」
形の良い眉を不機嫌にひそめて、シャアはアムロを睨んでいる。
(うわ、怒った顔も綺麗なんだけど、セイラさんそっくりだ…。ああ、これじゃマザコンにシスコンにもなるよなぁ。
大体ララァを母になれるかもしれなかった、って言うくらいだから…)
その時ふと過った疑問。
(もしかして…ザビ家に復讐を誓ったのも、お母さんのことがあったからなのか…?)
聞かずとも解るような気がした。
シャアは優しい人だから。純粋な人だから。
きっと幼い心に刻み付けたのだろう、ザビ家のやりようを。
父を奪い、愛する母と引き離される原因を作ったやり方を、この聡明すぎた少年は、心魂深く刻み付けたに違いなかった。
遠くに離れていても、母のことを思わない日はなかったのだろうと、アムロは理解した。
小さな頃から、母と妹を護ろうと孤独な戦いを続けてきた孤独な少年を、アムロは無性に抱き締めたくなった。



そして、気がついたら行動に移していた。
「アムロ…?」
「ゴメン、ちょっとだけこうしてて」
スポンサード リンク