帰去来-ききょらい- 1)

帰去来-ききょらい-




馬岱は足早に廊下を歩む。本心では駆け出したかったが、名家の子息として教育を受けた彼には、そうすることは出来かねた。
馬岱の歩みようはたとえ早足でも端正なもので、途中行き交う女官が袖を引き合い、口もとを隠して囁きあう。
異国的な容貌に加え、かの高名な従兄に劣らぬ武勇の冴えと、それに似合わぬ端正な立ち居振る舞いが魅力となり、西涼出身のこの若者は女官の間で人気が高い。
しかし彼女らの可憐な求愛は、穏やかな一笑で退けられるのが常だった。





「お帰りなさいませ、兄上」
「岱か。いま帰った」
馬超が遠征から戻ったと聞き、馬岱は城内にある馬超の室へ直行していた。
いくさの報告を終え室にもどった馬超は、ちょうど兜を脱いだところである。
「お怪我などは、しておりませんか」
「…さあ、な」
馬超はにやりと笑う。笑うと険しい印象のある目の端に艶が煌めくようで、見慣れている馬岱をすら感嘆させた。
「さあ、とはなんですか兄上。本当にお怪我はしておられないのですか」
半ば以上分かっていながら、馬岱はなおも重ねて問うた。馬超はますます笑みを深くし、馬岱の耳もとで囁いた。
「くどいな、岱。それほど案ずるなら、お前がその目で確かめてみては、どうだ?」
「…、」
「どうした、岱…?」
馬超の声は、腰にくる。諸葛亮さえ認める冷静な馬岱は、この声だけでいともたやすく乱されるのだ。
「では。お言葉に甘えて。確かめさせていただきます」


馬超の鎧は重厚で、胸、腹などの主要部分を守るものから始まり腕、腰、脚を守るための篭手や防具などを幾重にもかさねて着込んでいる。
馬超は自分一人ですべて装着することも出来るし、脱ぐことも出来る。いくさの最中には、鎧を着けたまま眠らなければならない激戦の場合を除いて、従者に手伝わせながらほとんど一人で着脱している。
しかし馬岱がいるときは、馬岱がする。
いくさの前に馬岱自身がひとつひとつ丁寧に着けさせて、いくさが終わればひとつひとつ脱がせてゆく。
それは、昔から続く儀式のようなものだった。

馬岱はまずもっとも表側の腰帯を解くことから始まり、下肢を覆う鉄板をはずし胸の大鎧をはずし肩当て、手甲などをつぎつぎに脱がせてゆく。その間馬超はすこしもじっとしていない。手を伸ばして馬岱の髪をまさぐり、馬岱の首裏を掴んで引き寄せては軽い口づけを繰り返す。
重量のある金属製の防具類をすべてはずし終えるやいなや、馬岱は壁に押し付けられ深い接吻を受けた。
怪我をしてないか確かめてみろということは、衣類をすべて脱がせてみろという挑発であり、馬超もはじめは面白半分にそうさせてみるつもりであったが、鎧を止める金具を外したり手甲を丁寧に取り外したりする馬岱の手つきを見るうちに、どうにも溜まらなくなった。
武官が着る堅苦しい武装束を無造作に乱し、久しぶりの肌を味わう。馬岱の肌の手ざわりは、いつでも馬超を高揚させた。
声もいい。平素はやや融通の利かぬほど堅苦しい馬岱があげる色を含んだ声は、雄の優越を煽るのだ。
馬岱は馬岱で馬超にいや増して昂ぶっている。
いくさから帰った直後の馬超の武袍にはぎらついた精気が沁み込んでおり、汗と砂埃の匂いがたやすく戦場を思い起こさせる。
戦場に立つ馬超のぎらついた殺気や、苛烈に振るわれる槍の冷たい煌めき、どの戦場にあっても無謀なまでの武を奮う馬超の勇姿を思い浮かべるだけで、馬岱は達しそうなほど興奮した。
武官装束を乱されながら、自らも手を伸ばして馬超の武袍を解いてゆく。金襴の錦袍からそれに勝る美しい馬超の素肌が現れ、馬岱はぞくりと肌が粟立たせる。
こくりと唾を飲みながら目を上げると、ちょうど馬超も情欲に喉を鳴らしたところだった。

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