鋼鉄異聞 〜見えぬ日〜第二話


「ほんとだって!俺見たんだもんこの目でッ!!」
いささか興奮気味に話すのは、稚児髪も取れぬ幼い子供。
「お前嘘つくなよーッ!嘘吐きは土伯の角に刺されるんだぞッ!」
話題の中心が自分ではない事をほんの少しだけ羨んだ、少々年上の兄きぶった少年が大きな声を上げる。
「う、嘘じゃないもんッ!見たんだもんッ!」
その迫力に押されながらも、必死で自分の言葉の正当性を主張する子供。
「本当か?四弟。」
二人の間に割ったのは、幼い声ながらも一声で子供たちを黙らせるだけの覇気を備えた声だった。
その声に後押しされて、稚児髪の子供が威勢良く話す。
「本当だよ凌統大哥!!周瑜様のお屋敷から出てくるの見たもん。」
凌統大哥と呼ばれた子供が、いっぱしの大人びいて顎に手をやり思案していると、他の少年たちが次々と声を上げ疑問をぶつけた。
「出てきただけだろ?」
「その後またお屋敷に入って行ったんだよ!」
「新しく雇い入れた下男とか?」
「下男じゃないよ!だって着ていた服がすっごくいいもんだったよ!」
「下男じゃ無くてもお屋敷には士官の人とか、その人の子供とか出入りすることだってあるじゃないか。」
「でもッ!…でも、ずっとだよ。ずっとその子お屋敷を出入りしてたし、それに燕准様の態度とか……とにかくすっごく親しげだったもんッ!!」
「……じゃあやっぱり…」
「うんそうだよ。」
暫く押し問答が続いたが、どうやら子供らの結論が出たようだ。
「「「周瑜様には隠し子がいるッ!!」」」



ぶふーーーッと見事な放物線を描きながら、凌総の飲んでいたお茶の飛沫が飛んでいく。
「な、何をいきなり言うのだ?凌統……。」
「だーかーらー父上!!周喩様のお屋敷でえらく奇麗な子供を見たって奴がいるんだよ。色々調べたらどうも下男とかそういうんじゃなくてさ。だから周瑜様に隠し子がいるんじゃないかって、俺らは推測してるってわけさ。」
「……凌統。」
晴れやかな日差しが射しこむ朝の出来事である。
ここは呉国禁軍に籍を置く将軍が一人、凌操公訣の屋敷。
これから出仕する前の一時、凌総は一粒種の子息、凌統公績の突拍子も無い話を聞きお茶を噴き出してしまったのだ。
しかしれは何時もの事なのか、妙に慣れた女官たちが慌てず騒がず凌操の噴き出してしまった茶を綺麗に拭き清め、すかさず代わりの茶を淹れなおしそっと主の前に差し出した。
「何を馬鹿な事を……」
いきなり部屋に入ってくるなりそんな事を言い出したわが子に、凌操は少し困惑気味に少々興奮気味になっているわが子の顔を眺めた。
一体どこでそんな話になったのか……
この年頃の子どもは本当に驚かされることばかりである。
とりあえず、何故そのような事を言い出すのかと訳を尋ねてみると……
「だって周瑜様って父上とお歳が近いんだろ?俺ぐらいの子供がいても不思議じゃ無いじゃん!」
それに、と凌統は続ける。
「下男にしてはえらく上等の服を着てたし、どこか別のお屋敷の子供か士官の子供かなと思ったんだけどどうも違うようだし…。奴ら…あ、俺の弟分達な、そいつらの話じゃあ周瑜様のお屋敷にいる燕准さん……あ、燕准殿の態度が違ったらしんだ。」
よくよく聞いてみるとそれなりに推論はしているらしい。
それにしてもこの歳でよくもまあ近所の子供らを纏め上げていることか。
何とも将来が楽しみだ。
などと卓の上に置いてあった雑巾ではらりと流れる涙を拭きながらも、親の威厳をみせねばと凌操はこほんと一つ咳払いをして凌統を諌めた。
「だからと言って、隠し子などとは、少し飛躍しすぎではないか?」
「だって父上も何も知らないんだろ?だったら隠し子じゃん。」
前言撤回。
何て短絡的な思考なのだろう。
いやいや、子供だからそれも仕方が無いといえようが、しかしもう少し短慮は控えるべきでは……
そもそも、隠し子の意味がこの子は分かってるのだろうか?
などと、先ほどとは打って変わりわが子の将来を心配し胸を痛める父に、凌統は無邪気な笑顔で自分たちが発見した秘密を嬉しそうに話す凌統。
「ねねねッ!周瑜様の子供って何て名前かな?俺と年近いかなッ?」
「……お前はその子供を見たことが無いのか?」
「無いよッ!」
力強く肯定するわが子に、とうとう頭痛がしてくる。
その父の態度を見た凌統は些か不満げにまくし立てた。
「俺だって確かめようと周瑜様のお屋敷を見張ってたんだよッ!なのにそういう時に限って全然姿を見せないんだよ。一週間張り込んだのに……」
どうりでここ最近帰宅が遅いと思った……。
「いやしかし、妾…いやいや、何にせよ子供が出来ることはめでたいことだ。周瑜殿の性格を考えれば隠し子にはせぬはずだよ。」
「……そうかなあ……」
凌操の言葉に見る見る消沈する凌統を見て、凌統がこれほど興奮しながら周瑜の隠し子の話をする訳を思う。
確かに、同じ将軍職に付いてる同僚にも子息はいるが、凌統ほど幼くはないのでまず一緒に遊ぶことはない。
自分の部下の子供には凌統と同じ年頃の子どもも居るには居るが、彼らは呉軍将軍である自分の立場を慮って凌統とは一線を画すように言い渡しているらしい。
近所の子供らとも遊んでいるようだが、彼らは軍人の子供ではない。
話の齟齬もあろうし、何より凌統は彼らの兄貴分になっているようだ。
だからだろう。
同じ軍人であり父親の地位に配慮する必要の無い、年の近い子供。
それが唐突に現れたのだから、気持ちが逸るのも頷ける。
そんな我が子の心情を思い、凌操は凌統の頭をくしゃくしゃと撫でながら微笑んだ。
「まあ、今度周瑜殿にお会いしたら、それとなく尋ねてみよう。」
「うんッ!!あ、父上、今日一緒に城へ行ってもいいですか?」
「城へか?」
「うん!久しぶりに孫権に…あ、その孫権様に会いたいから……。」
現国主である孫策の弟、孫権と凌統は幼馴染で良く遊んでいる。
「分かった。では早く支度をしろ。」
「はいッ!!」



一方、こちらは呉国大都督である周瑜公瑾の屋敷。
「え?私もお城へ行くのですか?」
「……うむ。」
朝餉を二人で食している時だった。
一通り食べ終わった後、朝鳥の囀りを聞きながら出された茶を静かに飲んでいると、周瑜が少し躊躇いながら重い口を開いたのだ。
「あの……どうして……?」
陸遜が躊躇うのも無理は無い。
周瑜の口から告げられた事とは、今日城へ陸遜も参内し孫策と面会するようにとの事だった。
あの日から数か月がたっている。
だが数カ月しかたっていないのだ。
少しずつではあるが、落ち付いて自分の気持ちの整理もようよう出来るようになっていたが、正直心穏やかに孫策と面会出来る自信など無かった。
その気持ちを察して、周瑜は出来るだけ穏やかに今回の面談の事情を説明する。
「お前の気持ちも分かる。だがこの国で生きていくのなら否が応でも孫策にいつかは会わねばなるまいて。それは避けては通れぬ道だ。そして、その機会が今日というだけのこと。」
そう陸孫に言い聞かせながらも、周瑜の脳裏には連日城で繰り返される孫策との攻防が蘇り自然と不機嫌になっていく。

(なあ周瑜よ、そろそろいいのではないか?)
(……何がだ?)
(何がとは…その、なあ……陸遜のことだよ。)
(心配せずともつつがなく暮らしておるよ。)
(そうでは無くて……)
(いい加減にしろ。あの夜からそう月日がたっておらぬのだ。それに陸家の事ではまだ城内でも揉めておるのだ。そんな時に城へなんか連れて来れぬ。)
(では秘密裏に……)
(しつこいッ!)

そんな攻防が、暇さえあれば孫策と周瑜の間で繰り広げられていた。
ようは孫策は陸遜に会いたいらしい。
最初は玉璽の事を問い質すつもりかと聞いてみたが、そうでは無いと言う。
陸家を滅ぼした当の本人が何の心境でそんな事を言っているのか分からないが、あまりにもしつこいのでとうとう周瑜の方が折れたのだ。
(ちッ、ガキだなあいつは……)
眉間に皺を寄せて心中で舌打ちをする周瑜。
しかし、いつかは孫策と面会せねばならないのもまた事実。
そう考え、さっさと面会させて陸遜だけでも屋敷に帰してしまえばいいと、周瑜自身の執務が比較的早く終わりそうな今日を選び陸遜に告げたのだ。
そしてこういった短い面談を少しずつ繰り返し、この国の現状や孫策の思い、そして何よりも陸遜自身を取り囲む現状を把握させて、心の傷を癒していければと周瑜は思っていたのだ。
だが、それでもあまりにも突然の事なので、陸遜は未だ不安を隠しきれぬ怯えた顔でいると、周瑜は陸遜の頬を軽く撫でながら優しく勇気づける。
「大丈夫だ。面談には私が付いているし、二言三言、言葉を交わすだけの短い面談だ。あ奴もお前を引き取った手前、お前の近況を知りたいだけだろう。」
その言葉に勇気づけられ、陸遜ははにかむように微笑み小さく頷いた。
そこへ、
「お待たせしました、ありましたよ。」
そう言いながら燕准が食堂に入ってきた。
手にしているのは、目の覚めるような深い青色の見事な着物。
「ああ、すまんな。早速だが頼む。陸遜、私のお古で悪いがその礼服に着替えてくれ。」
急な話だったので、陸遜の宮殿に上がる為の礼服をしつらえる時間が無く、周瑜の小さい時の礼服が用意されたのだ。
「しゅ、周瑜様の?!そんな立派なモノを…いいんですか?」
周瑜の礼服と聞いてたじろく陸遜に、答えたのは燕准だった。
「なあに、ただ箪笥の肥やしにするよりはよっぽどいいですよ。この礼服とて何着目の礼服か忘れるぐらいに周瑜様は駄目にされて……」
自分に都合の悪い方向へ話が逸れそうだと、周瑜は咳払いを一つし話を進めそうな燕准を制した。
「燕准、準備を。」
話を途中で遮られ、些か不満げではあるものの、燕准は素直に主の命に従った。
「承知いたしました。さあさあ陸遜様、御着替えを。」
そう言いながら、何故か少し嬉しそうに燕准は陸遜を衝立の後ろへと促し、側に控えていた女官と共に陸遜の着替えを手伝った。
暫くして、周瑜の礼服を身に纏った陸遜は恥ずかしそうに周瑜の前に姿を現した。
「ほう…良く似合ってるぞ陸遜。」
「あ、ありがとうございます……。」
周瑜の讃辞に照れながら礼を言う陸遜。
深い青で統一された周瑜の礼服は、陸遜の漆赤の両眼に映えて良く似合っていた。
そして周瑜の準備も整い、二人は宮殿へと向かい屋敷を後にした。

(ここが……)
白い輝石で統一された宮殿内は、高い天井から垂れ下がる呉国の国旗が静かに翻っていた。
大人しくしていなくては駄目だと分かっていても、好奇心には勝てずどうしてもきょろきょろと見まわしてしまう。
そんな陸遜の様子を微笑ましげに周瑜は見守っていたが、やがて手を引かれるままに連れてこられた一室に、陸遜は暫く居るよう言い渡される。
「今孫策を連れてくるから、暫く待っておるのだぞ。」
「は、はいッ!」
畏まって堅くなっている陸遜に、周瑜は心配するなと頭をくしゃくしゃと撫でる。
「そう堅くなるな。あ奴にそんな無体な事はせぬようにと言い含めている。」
「……はい。」
そう言って部屋を出ようとした周瑜だったが、何かを言い忘れたのか陸遜を振り返った。
「それと、この部屋には誰も来ぬようにと言ってはあるが、万が一にも誰かが来て名を聞かれても、答えぬようにな。」
「はい……。」
そう言われて、陸遜は改めて自分の立場がどれだけ危ういかという事に気付かされる。
そんな寂しげに微笑みながら返事をする陸遜に、周瑜は後ろ髪を引かれる思いで部屋を後にした。


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