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ぽm | 返信 |
私は先日、映画「ローンレンジャー」を見た。この映画はマスクをした少年と老人が出会うところから始まり、この老人の昔語りによって構成されている。それゆえにビックフィッシュのような誇張表現や、説明を省くことによるストーリーの飛躍が垣間見られ、しばしばそれを少年に指摘されている。とは言ってもビッグフィッシュのように露骨ではなく、至って普通の物語となっている。その老人の話は法律化を目指す青年ジョンとインディアンのトントが協力して悪役ヴェンディチェとその仲間を倒すといういかにも王道なものである。しかしその随所に死人を蘇らせる儀式(これによってジョンが蘇りローンレンジャーとして活躍する)や物々交換を原則とする、風を読み目的地を当てる、白馬を大切に崇拝するといったトントのインディアンらしい伝統を大切にする振る舞いなどが散りばめられておりそれに加え、ところどころ良いところにその白馬が来ていたりとややご都合主義的ないかにも会話的な部分が垣間見られた。 この鑑賞体験では私はジョンの心理的変遷に注目した。彼は法律家を目指しており物事に対して常に冷静風に対応しており物語冒頭から、たとえ悪人であろうと法の正義の下に裁かねばならないと口癖のように言って私情に流されなかった。それはヴェンディチェに兄を目の前で殺された後も変わらなかった。相棒トントの暴走気味な行動に対してもやや困惑しながらも冷静に対応しておりいわゆるツッコミ役的な立場をとっている。 しかし、物語が進むにつれてこの態度にも変化が現れる。トントは、幼い時に結果だけ見るとトントの村に訪れた男の持っていた安物の銀時計と村人全員の命を取引した。それゆえその男を悪霊の意味を持つヴェンディチェと呼び数十年追い続けてきた。 |
ぽm | 返信 |
A. 1.私は数千人の命を守るためには、拷問を正当化できると考える。なぜなら、公共の福祉というものが存在するからである。 公共の福祉とは、ダムを建設する際の現地住民の立ち退きのように国や社会全体の利益を優先するために、国民の基本的人権を制限するもののことである。 この公共の福祉に則り、数千人の命を救うために拷問を正当化できると考える。 2.私は数千人の命を守るためであっても拷問を正当化できないと考える。なぜなら、 さらに、 B.たしかにaに書いているように雨の日のほうが事故件数は少ない。しかし、事故の発生率で考えてみると晴れの日より雨の日が高い割合であるはずだ。 交通事故は歩行者対自動車の事故が多くを占めている。〜によると、〜の歩行者の人数は晴れの日は〜人で、雨の日は〜人となっている。また、事故件数を見てみると〜である。これらのデータより、歩行者対自動車の事故発生率を計算すると、晴れの日は〜。また、晴れの日の日数は雨の日の日数よりも多い。天候に関係せず一日に一定の数の事故が起こ |
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T @.私はスポーツと芸術の違いはそれぞれの評価のされ方にあると考える。なぜならスポーツは客観性を重視するものであり、芸術は主観性を重視するものであるからである。 たとえば、1988年のソウルオリンピックの男子100mで世界記録を樹立して優勝したベン・ジョンソンが、筋肉増強剤の陽性反応が検出されて金メダルをはく奪された事件があった。 また、「LSD」というアスミック・エースエンタテインメントより発売されたプレイステーション用のゲームソフトがある。プレイヤーは明月荘(仮称)に暮らす「誰か」となり、明月荘をはじめとしたマップを自由に歩き回ることができる。いわゆる目指すべき目的やエンディングは特にない。明月荘の外は針のような太陽、京都を模したような風景、足音がおかしくなるような床など。異様な光景が広がっている。このゲームは京都出身のスタッフらが10年間の間に見た夢をもとにデザインしているため、このような異様な世界になっている。これらの風景は最初は正常なものの、日数が進むにつれてどんどんテクスチャが異常なものに差し替わっていき、やがて小説か何かのカットアップ文章が壁一面に貼られたテクスチャになる。また、所々に不気味なオブジェクトが置かれている。まさに夢を夢のように彷徨うという独特の雰囲気にはまる人も少なくない。 これらのことが意味していることは、 |