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「あ、あのお待ちくださいッ!犬神殿!!どうぞ褒美を受け取ってくださいッ!!」
緋勇が慌てるのも無理はない。
上からの褒美、ましてやそれがこの国の頂点に立つ天子からの下賜である。おいそれと断っては断罪されかねない。
そんな緋勇の心情を知ってか知らずか、犬神の歩みは止まらない。
「まだだ。」
詰所を出たところでようやく犬神は止まり、緋勇が追いつくのを待っていたかのようにその言葉を発した。
「まだ、とは一体どういうことでしょう?」
犬神の背に緋勇は疑問を投げかける。
「あの怪異はまだ終ってはいない。安心するのはまだ早いと言うのだ。」
振り向いた犬神の表情は影になって分からなかったが、弓のように曲がった口元が酷く恐ろしいと緋勇は感じた。
その何かしらの圧迫感に怯まぬように、緋勇は腹に力を入れて問いただす。
「で、では?」
「追い払ったに過ぎない。だからまたあの男の元に姿を現すぞ。」
その言葉に一瞬言葉を失いそうになるが、すぐに呼吸を整えてこれからの対策を考える。
「!!……ならば一刻も早く警備を厚くせねば……」
緋勇の気概を削ぐように犬神はそっけない言葉を返す。
「無理だな。お前等如きではあの女は倒せん。せいぜい追い払うが関の山だ。」
天子の側近くに仕えているという自負と誇りを傷つけられた緋勇は、一瞬にして頬を紅潮させ言葉に怒張を乗せ犬神を睨み付けた。
「それは、我々に無力だと?」
「そうだ。」
さも当たり前だろう、というような口調の犬神に緋勇は腹を立てたが、そのあまりにも飄々とした佇まいに漂う自信を緋勇は見て取り、怒りを納めた緋勇は静かに問うた。
「では、あなたにはその力があると?」
内裏の陰陽師たちでさえ、簡単にあしらわれた怪異である。
それをこの男は倒す自信があるというのだろうか?
犬神は緋勇の問いには答えず、代りに不遜な笑みを浮かべただけだった。
二人の間に沈黙が漂う。
その沈黙を破り犬神が緋勇に交渉を持ち出した。
「俺とあの女には多少の縁があってな。それでこんな所に潜り込んだんだが……いかんせん身動きが取れん。そこでだ。」
ようやく、その場になって犬神が緋勇の鼻先が付く程に距離を縮めていたことを理解した。
「あなたは一体……?」
離れようと緋勇は後ろに足を引いた。
だが意に反して足がまったく動かない。
淡々と犬神は言葉を続ける。
「お前の随身として、せめて大内裏の中に自由に出入りできるよう便宜を取り計らってもらいたい。」
眩暈がする。
緋勇は必死に意識を保とうと足掻いたが、まるで崖淵に追いやられるようにじりじりと意識が遠のいていく。
それでも何とか言葉を紡がなければ……と何かに縋るように犬神の二の腕を掴んだ。
「で、では、あなたが、彼の怪異を、治めると?」
「だが勘違いはするな。あの下らぬ男の為ではない。あの女の為だ。」
あの下らぬ男とは、もしや主上のことだろうか?であれば何と不遜な……そう思いながらも緋勇はもう言葉を紡ぐ事ができない。
「契約、成立だな。」
ああ、弓月の目が嗤う。
犬神の陰が緋勇を覆い、唇が塞がれぴりッとした痛みが走り鉄錆びた味が緋勇の口に広がった。

そして緋勇は意識を手放し、その場に昏倒した。

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