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「あー、宇佐美先生。さっきその名刺の保険の人、契約の件で確認にっていらっしゃいましたよ?」
事務のおば、じゃなかった、おねーさんがそんなことを言ってくれて。
「え、ええええええっと契約の件?」
「はいー、お手すきの時に後ろの番号に電話くださいってことでした。営業所じゃなくてケイタイのほうって」
「あ、そう。そうですか……」
契約なんて知らないし、保険なんて入ってないけど。確かに名刺の裏見たら、手書きの文字で090から始まる数字が並んでいた。
この番号は知らない。でも久慈って名字には覚えがある。久慈朋樹って名前も知っている。『トモキ』がこういう漢字だっていうのは初めて知ったけど。
俺は息を吸って吐いて吸って吐いて。心臓の鼓動をちょっとだけ落ち着かせてから受話器を取った。震えそうになる指で、名刺の裏に書かれていたケイタイの番号を押していく。
コール音がちょっとだけ響いて、それですぐに「はい、久慈です」って声が聞こえた。
穏やかな、春の陽だまりみたいなあの男の声。
「もしもし?」
俺は声が出せなかった。
だって久慈さんだ。この声、確かにあの人だ。一年経っても鮮明に覚えてる。
電話で、無言のままじゃ駄目だ。いたずら電話だと思われて切られたらどうしようとか、思えば思うほど声が出なかった。そうしたら。
「宇佐美さんですか?宇佐美和史さんですよね?」
久慈さんが俺の名前を呼んだ。
うわあ、って俺はもうどうしようもなくて。
「そ、そうです、あの……」
それだけをなんとか俺は言葉にした。どもりながら、だったけど。
「ああ、よかった。……私のことを覚えていらっしゃいますか?」
ほっとしたみたいな久慈さんの声。
「わ、忘れるわけないじゃないですかっ!」
思わず大きい声出したら事務のお姉さんにもまだ残っていた数人の生徒にも注目浴びたけど。そんなの構っていられなかった。
「よかった。お仕事終わりましたら会えませんか?私は今、ええとですね、駅前の『α』という名前のコーヒーショップに居ますから」
「すぐに行きますっ」
俺は慌てて帰り支度した。教室長にも事務のおねーさんにも「保険の手続きで、担当の人待たせちゃってるから。今日はすみませんこのまま帰らせてください」って言って慌てて走った。さっき俺が「忘れるわけないじゃないですかっ!」って叫んだからおねーさんは俺が保険の手続きの書類かなんかを提出し忘れて、それで相手がここまで取りに来てくれたんでしょうとか何とか言って笑ってたから、テキトウに「そ、そうなんだ!明日中に手続きしないといけないらしくてこんなところまで来てくれてー」とかホント適当に話し合わせて俺はコーヒーショップまで猛ダッシュした。



続く



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