▼ ◇本編・1
ダメージは、受けない。伝わらなくても。
気持ちは曲げない。届かなくても。
ただ、俺は歌う。
この想いを歌に乗せて吐き出し続ける。


ライブハウスの狭い小屋の中は暑くて暑くて、いつもに増して気が狂いそうだった。熱と光と俺達の名を呼ぶオーディエンスの声、声、声。いや、音のカタマリ。ステージの上に居ると大げさなくらいのこの大音響と、それから光が暴力的に突き刺してくるから耳も目もすごく痛い。向かってくる熱。響いてくる歓声。それを押さえつけるように俺は歌う。ここが、俺の、居場所。
今日も俺はこのステージで叫んで歌う。俺の内側から溢れてくるものを、歌に乗せて全部吐き出す。心臓のリズム、血液の鼓動。跳ねる汗。衝動。全部をマイクに叩きつける。ギターの音が俺の声を打ち消すみたいに被さってくる。うるさいとばかりに俺は声をもっと張り上げて、そして同時にベースを掻き鳴らす。ドラムが爆発して、キーボードが落ちつけよとばかりに冷静に飾りの音を加えていく。
俺たちはインディーズのバンドで、この広くは無いライブハウスの箱の中、今日もパフォーマンスを繰り広げる。宴って言えるくらいの熱狂。観客席のお客さん達は今も俺達と一緒に声を張り上げて踊り狂ってる最中だ。熱気と汗と俺達の生み出す音が破裂し続けるこの空間。誰もが皆、俺達を見て、俺達と一緒に吹っ飛んで行く。そのまま絶頂を迎えて、そして満足して終わる。
いつもならそのはずだった。だけど。
一か所だけ、その熱とは無縁なエリアがあった。一か所、いやたった一人。俺達の曲に入り込むのでもなく、酷く冷静に俺を見ている目があった。
客席の、最前列。その一番端の席。頭一つ飛び出ている高い身長。だから端の席に案内されたのかな?そんなのんきな考えは、その高い身長の男と目があった途端に吹っ飛んだ。
見られるのは慣れている。そもそもステージの上でライブを繰り広げているバンドのボーカルなんて、このライブハウスの小屋の中に居る全員の視線集めてるのに等しいんだって。見られるのなんて当たり前。その視線を受け止めて、もっともっとと歌うのが俺だ。なのに、見られていることを意識してしまう。そのたった一人の男の視線から目が離せない。視線に強さに掴まって、雁字搦めにされそうなほど。強い強い双眸の光。それに見られている。見られている?いや違う。頭の上から足の先まで、俺の歌から魂まで。全部全部分析されてる。細かく切り刻んでまな板の上に乗っけてる。観察、みたいな感じで。そんな、視線。視線の中に熱は無い。極めて静かに、でもおっそろしいほどの強い光。無理矢理引きずり込まされるほどの引力がある。俺の意識はその強さに、その男の持つ目の引力に引きずられて行きそうになる。必死で抵抗しなけりゃ飲み込まれるほどだった。
――チクショっ!
振り切って、俺は次の曲を叫ぶ。
「新曲っ!」
べらべらと喋る余裕がないから、その一言だけ。出した途端に観客はわああと湧いた。
鋭い場所から高音で張りつめたギターが鳴る。空気を真っ二つに切り裂く音。ギターにドラムとキーボードの音が真正面からぶつかって。ダイナマイト級の炸裂音。電流みたいな痺れが俺の腹に直撃する。ボディーブロー。受けた重量級の痛みが全身に回る前に、俺は歌で応酬する。歌って吐き出して、空の彼方まで意識を飛ばす。スカイハイ。ライブは絶頂を迎えるっていうのにあの男だけが静かなまま。俺の声は届かない。歌に、その男だけがのめり込まない。
――チクショっ!聞けよ俺の歌をっ!
叫びたくなる。いや、既に叫んでいた。
――聞けよっ!
客だけが熱狂する。洪水みたいなリズムの海に、溺れることなく悠々と、一人、端で、俺を見てる。その男を一人置いて客は皆、身体ごと揺れて飛び跳ねて叫んでる。俺はそれが悔しくて悔しくて仕方がなかった。どれだけ他の客を俺達の曲に引きずり込めたところであの男一人だけが外側に立つ。
歌が、届かない。
外側から冷静に、観察をされてるだけで。
悔しくて悔しくて、それでも歌い続けるしかなくて。
声が枯れそうになるほどに、俺は叫び続けていた。


「どしたのソーヤ?今日すげえ走りすぎじゃね?」
ドラムの一之瀬が心配そうに俺を覗きこんできたのはライブが掃けたその後だった。俺は楽屋の床に転がって、もう立てないくらいに消耗してた。
歌っても歌っても歌っても、どれだけ客が熱狂しても、あの男だけは最後まで静かに俺を見ていただけだった。
「……ごめん」
「んー、でもお客さんすごい踊りまくってたじゃない?ちょっと走りすぎだったけど、アタシもギター弾いてて楽しかったよ?どっかに意識、吹っ飛びそうになるの必死で押さえてギター掻き鳴らしたもん。全力出し切って満足」
「……ありがとクマちゃん」
にこ、と熊谷ちゃんが俺に笑いかけてくれた。ああ、フォローさせちゃったなって俺は反省。
「ま、あれだ。客が満足でおれらが楽しく演奏出来りゃいいんじゃね?」
まとめたのはシンセ担当のヤスさんだった。
気遣いを感じて、俺は最後に一回だけみんなにごめんねと頭を下げた。
「なあ……最前列の一番端に居た男、気がついた?」
一人だけ冷静に俺達のステージを眺めていたヤツ。寝っ転がったまま、ソイツのことを聞こうとしたらその途端に楽屋のドアがガチャリと開いた。
「やあ、お疲れさん。今日もすごかったねぇみんな」
ほくほくとした顔で入ってきたのは俺達が世話になってるライブハウスのオーナーの住吉さんだった。でも独りじゃなかった。オーナーの後ろに、頭一つ分飛び出ている長身の男がいた。
さっきのヤツ。
俺は疲れなんかふっ飛ばして、一瞬で立ち上がった。
「君達のバンド紹介してほしいって、こちらの方が」
オーナーの言葉なんか聞こえなかった。俺はその男を睨むように見た。
「……初めまして。オレはこーゆープロダクションのモンで上条という」
その男が差し出してきた名刺には、俺でも知ってる有名どころの芸能事務所の名前と、エグゼクティブプロデューサー、上条アツシという名が記されていた。
「……もしかしてスカウトとかってやつですか。ええと、カミジョウ……さん?」
名刺を睨みながら、低い声で俺は言う。受け取った名刺を、俺の一番近くに居た一之瀬に渡した。一之瀬は「うひゃー、すげー!ここってば結構大手のプロダクションじゃん!!」って興奮してる。最大手なんかじゃないけど、今勢いのある事務所。まだ会社設立してから十年も経っていないのかな?業界事情なんてものに俺はそんなに詳しくないけどさ。勢いに乗ってるバンドとか俳優とか、けっこうはメンツが揃ってる。そんなプロダクションの人間にスカウトとかされたら普通だったら興奮するのかな?一之瀬みたいにさ。でも俺は……、さっきのライブ中のコトが無性に腹が立って、上条アツシという男を睨みあげた。だけど。
「いや……、スカウト一歩手前、かな?」
首を横に振って、眉間にしわ寄せながら告げてきた。何それ一歩手前ってなんだよ。わからなくて、俺は聞き返す。
「一歩手前?」


続く
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