▼11
「なんか飲むもん買ってくるな」
上条さんは俺の返事なんか待たずに自販機のほうにすたすたさっさと歩いて行っちゃった。駐車場からちょっと先はもう砂浜で、俺は上条さん待たずにそっちに行く。靴とか靴下とか適当脱いで砂浜に放り投げて、で、裸足になって海に足を浸す。……夏前だからか海の水はちょっとぬるい。でもね、足元の砂の感触とか気持ちがいいね。海に入ってから、そういえばジーンズのすそとかまくり上げたほうがよかったかなって思ったけどまあいいや。そのまま更にざぶざぶずぶずぶと進んでいく。波が、腰のあたりにまで来たところで俺はようやく足を止めた。俺の身体から酒の臭いよりも海の潮の匂いが強くなる。洗われる感じ?よくわからんけどとりあえず、うーん、って一つ伸びをする。日差しが、強くて眩しい。目が眩みそう。でも俺はそのまま空を見上げていた。
いつもは暗いライブハウスの箱の中で、スポットライトだけを浴びて。
耳が痛くなるくらいの大音響の中で負けないように声を出して。
でも今はぐてぐてだけど明るい日差しを浴びている。音も、静かな潮騒だけ。
熱中症になるほどでもない気温。あー、水着とか持ってきたらよかったかな?そうしたら泳げたかな?そうも思ったけど、今は泳ぐよりもこうやってただ波を感じながら浸ってるほうが気分に合うみたいだ。ずっと空見てたら流石に目も首も痛くなって視線を戻す。
振り向いて見れば上条さんは砂浜に足投げ出してそのまま座って、そんで煙草なんかふかしてボケっとしてた。……あれ?煙草なんか吸うんだ。ちょっと驚いた。今まで吸ったところなんて見たことない。夕べだって飲んでる時吸わなかったし。俺はざぶざぶって波かき分けながら砂浜に戻ってそれで上条さんをじっと見下ろした。あー、このアングルも新鮮だ。俺の視線に気がついて上条さんは「ああ……」なんてため息みたいな返事してから苦笑顔になった。
「ボーカリストの前ですまんな」
慌てて携帯灰皿に吸い途中の煙草を捨てた。そういうの持ってるってことは日常的に吸う人なのか。じゃあ昨夜吸ってなかったのは俺に気を使って、だね。外見に似合わず結構繊細?あーでもそうじゃなきゃ敏腕プロデューサー業なんて無理だよね。
「……タバコっておいしいの?」
咎めるつもりじゃなくて単なる疑問。
「吸ったことねえのか?」
「うん。喉に悪そうなこと、一切しないようにって、はるかさん……」
そこまで言って。俺は「あっ」て顔をしかめた。
喉に悪そうなこと、一切しないようにって、ハハオヤニ、シツケラレテ、キタカラ。
後半、言葉には出さなかったけど、俺の顔みて上条さんは察してくれたらしい。煙草一本口にくわえてそれに火を付けて、一呼吸だけしてからその火のついた煙草を俺に差し出してくれた。俺はそれ受け取って、上条さんのマネして煙草をふかす。
……途端に咳きこんだ。うげぇナニコレ不味いいいいっ!
「よく、こんな、もん、吸う、な……っ!」
ゲホゲホゲホゲホゴホゴホゴホ。咳き込み過ぎて涙が出た。上条さんはそんな俺の手から煙草取り戻してそのままその煙草を口にした。
「あー、身体には悪いけどな」
わかってるなら、吸うなよな。
「だけど、ため息誤魔化したい時とか便利なんだよな……」
あー……。ため息、ね。それは、わかりやすい回答かも。失敗したっていう顔するより煙草ふかしたほうがなんぼかいいね。誤魔化したい時なんかいくらでもあるし。昨夜のことだって俺はきっと誤魔化したい。
だけどそう思ったのに口に出したのはその正反対。
「上条さん、夕べ飲みながらしゃべったコトとか……覚える?」
馬鹿だなあ俺、なんで切り出しちゃってんだろう。誤魔化したいって思ったの今じゃん今っ!
……でも思うんだよね。上条さんが俺、海なんかに誘ったのとか。今こうやって煙草ふかしているのとか。
もう少し、俺とその話しとかしたかったのかなんて。違うかな?吐き出して、海に捨てちゃいたいのかな?俺の、ハハオヤへの感情とか。上条さんの、その女優さんへの気持ちとか。わかんないなあ。俺、自分の気持ちすらわからないのかもしれない。上条さんの気持ちなんて余計にわからん。
でも俺は今、自分のほうから昨夜のことなんて言っちゃたし。失敗したかな?でもさ。もし上条さんが昨日のこととか言いたくないっていうのなら俺も忘れたフリをする。
俺は上条さんを見下ろして、上条さんは俺を見上げてた。しばらくはお互いに無言で。波の音が耳に痛かった。視線も同じように痛いくらいに俺を突き刺す。
「……覚えて、いる」
上条さんは低い呻くみたいにそう答えた。
「そっか……」
俺は上条の隣にどさって腰を下ろして、そんでもって膝抱えて体育座り。海の波、見て。ため息吐き出す。上条さんは俺から取り返した煙草をそのままくわえて。
波が高くなって夕陽がその波照らして。寄せては返す波のオレンジのグラデーションを二人して見てる、だけ。そのうち、濡れてた俺のジーンズとか乾いてきた。砂まみれ、だけどさ。ぼけーっとしながら二人して黙る。沈黙が重いってほどじゃない。でもこの先なんて言ったらいいのかわからない。それ、誤魔化すみたいに俺は歌いだしていた。息を殺しながら考える、愛なんてよくわかんない、もう二十歳まで生きてきたのに、なーんてカンジの昔に流行った歌を。歌い終わったら上条さんが苦笑してた。
「二十歳どころかその倍近く生きてきてんのになあオレは」
情けねえなあ……ってそんな苦い笑み。
「俺も歌の通りにハタチなんてちょっと越しただけだけど情けなさ同じくらいだよね……」
疲れたみたいに言った。オンナノヒトはさ、俺のハハオヤもクマちゃんも女優のニシナっていう人も、未練なんて欠片も残さず選んで進む。切り捨てられたこっちは手も伸ばせないし忘れも出来ないまま。恨んで嫌ってしまえればまだマシだよね。まだ健全。なのに俺達は、俺達を捨てたその人に圧倒されて尊敬さえしちゃってそれで今でも女神みたいに思ってる。……あー、情けない。
「情けないがな。本当に恨みにも思えないまま、ただコダワリだけが残っちまってるっつうのがまた厄介だよな……」
上条さんがぼそっと吐き出した言葉は俺の気持ちでもあって。うん、て小さく頷いた。
「それでも愛さずにいられないっつうところが恐ろしいんだよオンナはな」
「……ホント、だよね」
顔見合せて苦笑い。あーあ、撃沈って俺は大の字になって寝転がった。ぱったり。
スポンサード リンク