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ああああああああもうこのハハオヤはっ!最後に会った日から全然変わってねえっ!
「いいですけどってよくないけど。そもそもよくこの家に入れましたね」
「ママは世界中のどこでお歌うたっててもこのお家の鍵だけは持ってるのよ?」
えらいでしょ、みたいに胸張られても……。
「まあ、この家はあなたの持ちモノですからね……」
俺はハハオヤとの二人暮らしだったんだずっとここで。チチオヤは知らないからこの部屋ははるかさんが自分で買ったのか数いるパトロンさんというか熱狂的ファンの皆様から貰ったのか、そんなのは知らないけど、とにかく、オペラだの何だのとの歌の仕事で海外に行っちまったハハオヤは、この家そのままにしていったから、引き続き俺が一人で住んでいたんだ。そこに、この人が帰ってきたってわけ。はあ、とため息ついて脱力したらすっげえ真剣な目で見られた。
「あのね、葵クン」
「なんですか?」
「ママ、お腹すいてるの」
「はい?」
「飛行機の機内食、美味しくなかったから残しちゃった。葵クンのご飯が食べたい」
「……わかりました。作ります」
がっくりと肩を落とした俺。
俺がメシ作ってる間、って言ってもチャーハンだけど、はるかさんは気分良く歌なんか歌って。あー、今度の公演の練習ですか?夜中なんだけどな。この家防音しっかりしててよかったよホント。
「歌、好きですねホントに」
「葵クンだってママのお歌好きでしょう?」
「なんですかそれ」
「だって葵クン、ママが歌うとにこーって天使みたいに笑ってるわよ」
「……はるかさん。それいつの話?」
「んーとねえ、葵クンがちっちゃかった頃。おむつも替えてミルクもあげてねえ、それでも泣くのよね。でもママがお歌歌うとすぐにこにこーってしてくれて可愛いからいつも歌ってあげてたじゃない」
「……そんな記憶ない頃の話されてもですね」
ミルクにおむつってそれ赤ん坊の頃だろ赤ん坊のっ!
「熱とか風邪とか具合悪い時でもお医者さんよりママの歌のほうが良いって葵くんが言ってくれたんだけどなあ。だからお歌歌ってあげたのよ?そしたらねえ、葵くん気持ちよさそうに寝ちゃうのよねいつも」
「………ぶん殴っていいですかお母様」
熱あるコドモがいくらそんなこと言ったからって医者にも連れて行かずに歌うのかよこのハハオヤはっ!寝たんじゃなくて気絶じゃないのか気絶だろっ!
……ズレてる。知ってたけどほんとーにズレまくってる。死ぬだろ?なあ、俺死ぬだろそんなふうに放置されてたらっ!っていうかよく俺無事に育ったな。よく生き延びたよなあ。動物みたいに寝て寝まくってそんで自己治癒してきたのか子供の時の俺ってすげえ。
「いやよ、なんで?」
なんでじゃねえだろなんでじゃ。……ま、でもよくわかりましたよ。ネグレクト、とかでもなく、俺より音楽取ってたんでもなく。……単純にはるかさんの基準がおかしいんだ。ズレてんだよこの人。あー……。俺は思いっきり天井仰いだ。ガキの頃の話だけどさ、結構それなりに長い期間、俺はこの人に無視されて育ってきたとか卑屈に思った時期とかもあったんだけど。あー……、ため息も、出ない。

メシ食って満足したのか、はるかさんはさっきよりご機嫌具合三割増しで歌いまくっている。ジュリエット、だってさっき言ってたな。恋する乙女に成りきって、というかそのもので。それ違和感がない俺のハハオヤ。ある意味すげえ。そういえばはるかさんて年幾つだ?四十……は超えてるよな?それでこれかよ。すげえなあ。四十越して乙女の役に違和感皆無の俺のハハオヤ。しかもやっぱり魂引きずられるくらい神々しいっていうかすごい、な。俺も自分で歌うから、わかる。俺の歌に熱狂してくれる客はいる。だけど、レベルが違う。ジュリエットなんて恋に狂って馬鹿な結末迎えた考え無しの女だなんて思うのに、死ぬことはねえだろって思うのに、はるかさんがそんな場面歌ってると本当に悲劇的な運命だって胸が苦しくなる。役に成りきって歌うなんてものじゃない。はるかさんは今ジュリエットそのもの。魂、引きつけられるくらいの才能。それが、ここに、ある。
「どうしたらはるかさんみたいに歌えるんだろうな?」
ぼそっと、俺は独り言みたいに呟いて。
どうしたら俺の歌が上条さんに届くんだろ。……ああ、いや。もう考えても意味無いか。上条さんには俺の気持ち、断られたんだしな。しかも告白とかする前に、さ。
はるかさんの歌はこんなにも簡単に俺の心に届くのに。
俺の歌は上条さんには届かない。
そしたらそれ聞こえたのかはるかさんがじーっと俺を見てた。
「大好きだって歌うのよ」
「え……?」
「気持ち、隠さないの。逃げないの。自分を守らないの。嘘歌わないの。愛しているの、ただそれだけ」
「はるか……さん?」
「ママはね、ずっとそう歌っていくの。大好きよ愛しているわって」
大好きで愛してる?それ、誰に向かって言ってんの?何に対して歌うんだ?
「はるかさん……、好きな人、いるの?それって、だれ?」
多分俺は初めて。こんなことを聞いた。心臓がバクバクする。
「ママが好きなのは葵クンとあともう一人だけ。一生それは変わらない」
「誰……?」
「豊さん。葵クンのパパよ」
見たことも会ったこともない俺のチチオヤ?
「その人、今どこに居るの?」
はるかさんは会ってたりするのかな?
「さあ?」
「さあって……ちょっとはるかさん?」
「だって知らないもの」
「知らないって……」
「葵クンのパパはね、葵クンが生まれる前に居なくなっちゃったの」
「居なくって……、別れたとかじゃなくて行方不明とか失踪とか?」
「ううん、わかんない。ある日帰ってこなくなっちゃったの」
「け、警察とかから連絡とかはっ!」
「うーん、豊さんのおとうさんとおかあさんのところには連絡あったのかしらねえ?でもママのところには来ないわよ連絡なんて」
「なんでっ!」
「だってママと豊さん。結婚とかしてないから、戸籍上は他人なのよね」
「へ?」
「それにねえ豊さんのおとうさんとおかあさんは……、ええとね。ママと豊さんの結婚に反対だったから、ママに連絡なんてしてくれないし、それにそろそろお亡くなりになってるでしょうしねえ……」
「なんで?」
「だって豊さん、ママより四十歳くらい年上だったから。豊さんのお父さんとお母さんはええとー百歳こえてるでしょうね生きてるのなら」
「えーーーーーーっ!」
はるかさんより四十以上年上?なら今……八十歳くらい?それってじーさんじゃねえかっ!チチオヤの名前も年齢もそんなこと初めて聞いたぞおいっ!
「とっても素敵なのよ豊さん。ママのことすごく愛してくれてるの」
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