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「ソー……ヤ?」
ぼんやりと、上条さんを見る。
「おい、ソーヤっ!」
何か、叫んでる。
でもごめんね。もう何にもないんだ。俺の中には。
だから、響かない。
「……今までアリガトウゴザイマシタ。付き纏ってゴメンナサイ」
糸に切れたマリヲネットみたいに、崩れ落ちて平坦な声。空っぽ、だからさ。感情なんて何にもないみたい。
ああ、楽だ。
執着しなければ。最初から期待しなければ。
楽なんだよね。
何もないから痛みも無い。
「だけど一つだけ聞かせてくれる?」
「ちょっと待てソーヤ、オマエ……」
多分どうしたとかなんか、上条さん叫んでる。
でも俺には聞こえない。
肩、掴まれて。身体揺さぶられてるみたいだけど。
なんでそんなこと上条さんがするのかなあって不思議に思うけど、それももうどうでもいいや。
そうだよ、もう、どうでもいい。
あ、どうでもいいの一歩前、か。
たった一つだけ聞きたいことがある。
それ聞いたらもう後は何にも無くなってもいいや。
歌も、無くしても構わない。
だって、俺の心が死ぬからね。
カラカラに干からびて、何にも無い砂漠になるからね。
そこで渇きに乾いて横になれば。
もうそれでいーや。
「あのさ、なんで俺のコト抱いたの上条さん……ってああ、俺が半ば脅したからだってのはわかってるけど。元々俺らから離れる気でいたなら最初から俺の言うことなんて聞かなくてもよかったじゃん。俺がどっか他の会社からデビューしようと何だろうと関係ないじゃん。最初から、俺のちゃちな脅しになんて屈しないで、ぶん殴ってでも蹴飛ばしてでも俺のコト、受け入れなきゃよかったのに。そうしてくれたら俺、きっと諦めてるよ、上条さんのコト」
すごい卑怯なセリフ。
分かってる自分でも。
「一回だけ、抱いたら……それでもうごちゃごちゃ言わねえでオレのコト諦められるってオマエ言わなかったけ?」
うん、そんなこと言ったよね。あの時の俺。あーあ、ホント俺ってズルイコト言った。今更こんなこと言うのもすっごい卑怯だってわかってる。わかってるけどね。もうこれで終わりだから許してくれないかなあ。なんて、こんなのもズルイか。でももうどうでもいいや。
「俺、二度と上条さんには迫らないよ、とは言ったけど。諦めないなんてそんなつもりは無かったよ。言い訳っぽいけどさ。……でも上条さんに二度と迫ったりしなかっただろ?困らせることなんて、あれ一回限りでしなかったし。……なのになんで、離れるの?仕事、だなんて、そんな俺から離れるための言い訳にしか聞こえない。そんな言い訳なんかしないで言えばいいだろ。俺のことなんて好きでも何でもない、側に居られるだけでも鬱陶しいから近寄るなってさ。言わないで、表面だけ取り繕って、波風立てないようにフェードアウトなんてすげえ卑怯だと思わない?俺だって汚い手、使ったけど。上条さんだってずるいんだよっ!」
あーあ、言っちゃった。
これだけは言っちゃいけないと思ったのに。
「……オレは、ずるい、か?」
「うん。俺だってズルイけど上条さんだって同じ」
珍しく、力なくうなだれるみたいな上条さん。やっぱり言いすぎだよなって思ったけど。
「そう……か、ああ、そうだよな……」
「言ってくれればよかったんだ初めから。俺になんて欠片も興味無いって。必要なのは歌だけで、俺個人なんか、いらないって……切り捨ててくれれば俺だって……こんなに執着なんかしてないよっ!」
卑怯な、セリフ。
非は俺にだってある。なのに、全面的に上条さんが悪いんだと言わんばかりの言葉。
「歌に、魅かれたのは本当だ……だが、な……」
「だけど、何?」
上条さんは黙ってた。なんか葛藤しているみたい。俺も黙って上条さんが次に言ってくる言葉を待った。
「オレはな、才能ってもんに魅かれちまうんだよ。どうしようもなくな……」
前に、聞いたことがある。歌に魅かれて大学辞めてこの業界に入って。仁科恭子必死に売ってって……。
だからせめて。俺は上条さんが魅かれるくらいの才能が欲しかった。
歌で、惹きつけることが出来れば……って思ってしまった。
「恭子の、女優としての才能に惚れた。女としても惚れてると思った。だけどな……」
「だけど、何?」
仁科恭子って単語聞くだけで、条件反射でムカムカしてくる。空っぽになったと思ったのに、怒りなんてまだあるのか、俺の中に。
一字一句正確に覚えてるしさ、仁科恭子がどんなふうに上条さんをふったのか、なんて。
単なる女優なんか目指してない。何年何十年経っても誰もの記憶に残る大女優になるの。そのために上条さんの力とか人脈とかを使ったの。今までありがとう。ってさ、あっさり上条さんのこと、捨てたんだろう?いや、捨てられたって思ったのは上条さんだけで大女優様はそんな気なんかさらさらなかったんだろう?あの女にとっては上条さんてステップの一団目ってだけでさ。女優の卵から大女優になるために上条さん使った……って、あれ?それくらいばっさり切り捨てられたらいっそ未練なんてなくなるかも、だよな?普通、諦めて、別の道に邁進できるようになる……よな?
……あ、わかった。わかってしまった。逆のコト、されたからだきっと。
アッサリ上条さんのコト捨てたのは、それは仁科恭子の優しさだ。
多分、本当に好きだったんだ、あの女、上条さんのことを。
でも上条さんは選べなかった。
もしも上条さんが……、女優じゃない仁科恭子も好きだって言ってたら。
きっと今頃、ううん、今でも。二人はきっと恋人のままか、結婚とかして夫婦になっているんだろう。
そのくらい、好きだったんだ、彼女。
だから、上条さんが気持ち引きずらないようにって、ばっさり切り捨てるみたいに別れてあげたんだ。
ホント女って強い。男が弱いだけかもだけど。
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