束縛と自由で5つのお題 2)-風よりも軽やかに


束縛と自由で5のお題 2)-風よりも軽やかに



めざす家屋は、城外に在った。
濃く浅い緑の木々のどこまでも続く成都には珍しく天に向かって拓けた丘陵の半ば。
丈高い樹木もなく竹林も無い。
遮るもののない視界ははるかに天空を臨んでいる。

馬を降りて人けのない門をくぐり、寂々とした静けさに声を上げそびれたまま奥へと進む。
軒先までもが見渡せる位置に来て、いくらなんでもそろそろ声を駆けねば非礼千万というあたりにきたとき。
ふと前方に人の気配。
さやさやとしずやかな今宵の月にもまして煌煌と皓い気配・・・・・・

足が進まない。地に縫い付けられたように。
声が出せない。喉が縛られているように。

前に出ねば。声を上げねば。
彼の人はいまにも天に昇りそうなのに。
いや、ほんとうに人か?
人とおもえない。
月精ではないのか。

ただ腕を組んで天を仰いでいた佳麗が、ふとおもむろに剣を抜いた。
月光にさらされてうすあかい口が笑みを刷いたのが鮮明に見えた。

「我が邸に忍び入るとは。不逞にして、不運な輩だな」

彼が振り向く。すらりと剣が風を薙いで。

「・・・・・・趙雲―――?」

「・・ああ、そうだ」

呪縛が解けた。声が出た。

「・・・斬ってしまうところだったぞ」

「・・・俺も、斬られるかとおもったよ」

殺気はなかった。にもかかわらず白刃のあざやかな軌跡は、おそろしいほど正確に急所に向いていた。

「それで、何事で参られた?かような妙月の夜なれど、貴公のことだ、どうせ風流な用向きではあるまい」

声音は平坦で、感情がない。
曲者に向かうつもりで剣を抜いたときのほうがよほど楽しげな笑みを浮かべていたほどだ。
それに、反論のしようもない。
まこと風流の欠片もない用件だ。

「軍令書を預かってきた」

「戦か」

表情のおおきく動いた馬超を見て、あわてて続ける。

「いや、戦ではないし、緊急の軍令でもない。軍の編成に関する覚え書のようなものだとおもう。ただ、私は明日から新兵を連れて山野での調練に入るから、今夜のうちに渡すのが良いと思ったものだから」

「―――」

無言でうなづく。
もう、興味が失せたという顔だ。
趙雲にはよく分からない。馬超は戦を望んでいるのか。嫌がっているのか。

「剣を抜いてしまった。どうしてくれる?」

急に言われて面食らう。

「用が無ければ、鞘に納めればよいじゃないか」

「つまらぬな」

無表情な容貌が、一歩迫る。

「一手、相手を請う」

「いや、それは。槍は持っていないし」

「腰のあるのは剣にみえるが。それともそれは、飾りものか」

「飾りなわけはない。しかし、」

戦中ならともかく平時に馬に乗っての移動には不便この上ない。だから日常に持ち歩くのは剣だ。
しかし馬超とは槍ならば数え切れぬほど合わせたが、剣での立会いはしたことがない。
尋常でない戦闘能力の持ち主ゆえ剣でも並みの腕ではないとは思うが、いかほどのものなのか見当もつかない。


返答もしないうちに、びゅうと刃が夜風を薙いだ。
答えるよりも、知らぬうちに身体が動き、刃で応えていた。


馬超の槍は天を唸らすが如き豪放にして剛直、しかし剣は、煌然としてあざやかに空を裂く。
剣気の美しさに何故か、心が震えた。
月精かとおもった儚さなど欠片もあらぬ。
これは龍だ。
白金の燐光を発しながら疾く舞い昇り、月宮までも天駆ける。



始まりと同様、終わりも唐突に、剣は引かれる。

「・・・貴公は、龍のようだな」

「え?」

自らのほうこそ、いまそれをおもっていた・・・

「清冽にして、凛とした―――」

「ま、まさか」


いまのいままで火花を散らしていた刃に指先で触れて、しげしげ刀身を見遣る淡色の双眸が、月光に類似する。


「―――良夜だ。酒でも飲んでいけ」


踵を返すが、風よりもかろやかにあざやかに翻る。

・・・・・誘われた、とおもっても、よいのだろうか。


蕭蕭と風は渡り粛粛と虫は鳴き、月は清清と佇んで遙か澄む。




<了>



お題配布元:Ewig wiederkehren様



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