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XVII 我が儘

人間は興味本位で平然と相手を傷つける場合が有る 傷つけられた当人の痛みを傷つけた本人は分からない場合が多いもので、確執となる事も有るのだ 宇宙から観れば地球に国境など無いのにね しかし、世界観の違いもお互いのスキルアップに繋がる筈である だから、自分は彼女を好きだから、好きに為ってしまったから、此れからもズゥーッと好きでいたいから、彼女に告白をするのである 日本は良い国である 何故なら資源が無いから自国で生産して、諸外国からの外貨を獲得しているが、本来は農業・漁業に恵まれた環境なのである 気候は温暖で暮らしやすく、過去の生活に戻る事は無理かも知れないが、無理な生活水準を望まなければ細々と暮らす事は出来る国なのだ イギリスに生まれていればイギリスの、ブラジルに生まれていればブラジルの各国で環境の違いは有るでしょうね 職業に貴賎は無くとも考え方は環境で異なると思います マリーアントアネットの「パンが無いならお菓子を食べれば良いのでは・・」と傲慢な言葉は、相手を知らないから出て来た言葉だからね
人と生まれたからには誰にも欲望が有る 知ってしまった水準を下げる事は難しいかも知れないが、人間は学習し変化に対応出来る能力も持ち合わせている 無理して生活困窮状況に落とす必要は無いが、今後の外交次第では日本国内に変化が生まれるかもしれない しかし日本人で有るが故に、戦いを極力避けてしまう風潮があるよね 諸外国にも日本国内にも優しい外交は、今後日本国が生き残る上では無理なのかもしれないし、生き残るとすれば、アメリカの笠の下でしか生き残る術は無いのかもしれないけどねぇ しかし彼女の半分の母国からすれば日本は、日本人の自分の価値観で見た場合は、アメリカに庇護されつつも日本国民全体が、相手を寛大に受け入れて、問題点が発生し不利益を生じても時として水に流す事が出来る民族は、他の諸外国には中々見つからないと思う 勿論其れで好しとするべき風潮は望ましくは無いが、大きく決断する時以外は殲滅論を如何なものかと思っている 中国の場合は諸子百家として、孔子・孟子の儒家、老子・荘子の道家、墨子の墨家、法家、陰陽家などの各家が在り、特に儒家による治国・平天下・修身・斉家は、東アジア全域にも大きな影響を与えたのにも関らずも、日本国内に於いては儒学の一派としての陽明学(知識と行動を一体とする事により、人間の本来有る良知力を完全に発揮し、最終的に正しい理が極められる)が、大塩平八郎や佐久間象山らに大きな影響を与えているのにね 時の流れが、環境が、時代背景が色濃く反映するのかもしれない 

我が身の保身が、自分の意見を正当化させるのだろうか
でも日本人の、心底染み付いた捻じれた卑屈心も中々払拭出来るものでは無いよ
日本独特の閉鎖的私的制裁の村八分行為もそうだよね 因みに慣習刑法の禁止で村八分は、刑法222条の脅迫罪になるんだよ 掟を破れば共同絶交されると知らせる事は、自由・名誉に対し害を加える告知にあたるからね
仮に本当の事を言っても、名誉毀損罪(刑法230条1項)に成り得るのだよね 誰しも社会生活を円滑に進める為に、多少の嘘や隠し事をするものだけど、そうした涙ぐましい努力によって築かれた社会的評価は守られるべき法益なのだそうである 公然性・事実の摘示・名誉の毀損の三つが揃った時に、名誉毀損罪になるのである 
侮辱罪(刑法231条)も同様だけど、社会的評価と名誉感情の重点の置き方で判断が異なるみたいだけどね
会社内での会議だって皆で成績の悪い者を晒し上げて、悉(ことごと)く虐めて罵倒して・・結果的には当人を潰してしまう 若いては会社の為には成らないと俺は思うよ 昔から失敗は成功の始めと言うではないか?
会社が求める全てが完成された物など有る訳無いじゃん! 失敗したら何故失敗したのか、仮説を立てて検証をして、数字と結果の上で更に仮設を立てて行動をして確認して・・ 当然の事だと思うよ
結果に対して周囲は好きな事が言えるけれど、提案・提議と一緒に妥協まで行かなくともチョッとユトリも必要だと思う 現代社会こそ結果が全てだと言いたい気持も解からないでも無いけれど、責任転嫁だけして責め殺してしまえば、当人の中に仮に光る答えが有ったとしても見付けられない侭になると思う 精神論で挫折させてもなぁ・・!?

お米だって野菜だってタイ産やアメリカ産よりも国産が良い でも衣服やバックは、イギリス産やフランス産が望ましい 船来品主義が有る中でも、食料品は国産を望む 安全性を問われると必ずも安心とは言い切れないが、海外の眼に見えない商品よりも安全だと思っているのだろうか? だったらアウタルキー(Autarkie=自給自足経済)で良いんでは? 国単位でも、作物単位でも、工業品でも、各企業・生産者に於いては考え方も違うし、商品としても一長一短が有る 例えば彼女の中国でビジネスを展開する上では、人と人との関係は長い時間を掛けて構築される 「老朋友(ローポンユー)」と呼ばれる「関係(グァンシー)」に成るまでは、ビジネスなら長期的視野に立った経営戦略であり、利害関係の調整であり、即断即決が望める経営体制なのである
それと中国では研修を日本企業で!?と思っているのか、スキルが付くと外資系企業に移る従業員が多いので従業員は紹介制とした方が望ましいと思ったよ お互いの関係を重んじるので紹介者の面目を潰せないのだ 日本人が日本人の為に中国の労働力を求める時代は終わりなのだ 共に苦労し、努力し労(ねぎら)う事が望ましい レッセフェール(laissez faire=無干渉主義)では困り者だが、時にはディマネジメント(demanagement)が必要なのかもね 安全と言う意味では、生命の安全を脅かされる場合も有る。アメリカの深夜のコンビ二は、シャッターを閉めて窓だけ開けておく 客は注文の紙を入れて、店員は商品と引き換えに、料金を受け取るのだが、銃社会のアメリカならではの方法である 日本では考えづらい事だが、猜疑心が前面に推し出さざるを得ないのが、力で相手を屈服させてきた国の実情なのかもしれない