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XLI 躁鬱

自殺と云えども死に方は様々ですが、死ぬ時は自分がどの様な状態で、亡骸が処理供養されているのか考える事は無いでしょう 血肉がバラバラになるとか、見付からない侭何ヶ月も放置された侭だったら、家族は、親族は、友人は・・誰もが居た堪れないと思います 死んでからの事など知る由も無いかもしれませんが、亡くなってしまった当人へ思いもよらず期待を懸けている人が居るかも知れませんし、当人が亡くなって初めて当人の人柄を見直したり、当人の本当の評価がされる事は多いと思います 生前周囲との気持の隔絶が、結果的に自分追い込む事も有るでしょう 若しかしたら周囲は当人の事を、人格障害と思っているかもしれません だとすれば当人自身の性格に問題が有った事に、自ら気が付かなかった当人にも責任が有るかも知れないですし、社会生活や家庭の中でも対人関係に支障が有ったかも知れません 自分の問題を他人や社会の責任に摩り替えて、何時も回避しているのかもしれません しかし改めて考えてみれば、切迫感が強かったり、猜疑心が強かったりしたら自ら生命を絶つなんて考える筈など無いだろう 自己満足の渦中に居るのだから、外部を観る事など無いだろうし分からないよな 自分自身を追い込む人は、自分に正直な人なのかも知れませんね んで、外部を巻き込み条理を曲げられない悲しい人なのだよ 正しい事なんて自分自身の心の中にしか無いと思ってしまうと、チョッと寂しいんだよ
寂しい時に、心身ともに疲れちゃうから、死を見つめて逃避するのかもね 擡げた気持は抑えられなくなって、踏み込む場合も有るんだろうね でも心の奥底に誰でも持ち合わせているんだよな 海馬に刻まれているから
逃げたら一緒だ 自殺を一番卑怯な方法と思う人は居ると思います 自殺するくらいなら辞めるなり徹底抗戦するなりしたほうが、ってのは他人だから言える事 本当に自殺しちゃうまで追い詰められてる人はそんな事も考えられない状態になっているものです でも俺の場合は違います 京子が亡くなった原因は俺に有るのです 京子に病気を媒介したのは俺なのです 俺が中国に渡った時に家畜インフルエンザに感染していたのです 家畜インフルエンザウィルスが傷口から浸潤し癌細胞になるんだよ でも俺は発病しなかった 後になって聞いた事ですが、一緒に仕事をしたムツリも発症し亡くなっていたそうです 俺だけが生き残って、もっともっと大切な者達が生き延びる事が出来ないなんて変じゃないのか!? 発病も寿命も運命だと言うのか? 病気を媒介した俺が生きている 何故俺が生きているのか分からない 発病してもウィルスに対する免疫耐性が有ったからなのだろうが、もっと早く分かっていれば助かる方法も有ったのだろう 俺だけが助かってどうしろっうんだよ 一緒に歩む人が居なければ俺なんか生きている価値なんか無いんじゃないのかよ 結局ウィルス耐性を利用してワクチンの開発が進められました 人を助けた? 大切な人を失った今、人命救助とか人様の役に立ったとか、俺には如何でも良い事になっちゃった 偶々俺の身体が丈夫だっただけ、精神力と肉体は別なんだよ 肉体は精神力に勝てないんだよぅ

家庭環境も、社会環境も各々が異なる中で、自らの生命を絶つ事は、やはり育ってきた環境に左右されると思います 最後は当人の性格(人格)ですよね? 何も考えていない様な能天気の人が突然命を絶った時に、周囲の人々はどの様に考えるのでしょうか? まさか鉄面皮の姿に感心する訳など有るまいが、歩調を合わせるだけで深く介入しなかった当人や、周囲の人々は自らを責めるでしょうか? 考え方は人様々です その当人と、当人周囲の事は、それ以上に周囲の他人は見当も付きませんからね 答えは当人のみが知るのでしょうね!?
若しかしたら答えも見付からないかもしれません 思惑は、人生は、複雑に絡み合っているのですからね
アイデンティティークライシス(Identity crisis=自己同一性喪失の危機)かもしれませんね 自分の存在意義を自問自答するけれど答えが見つからない不安定な状態なんだよ 主観と客観性を冷静に見つめられない人格障害なんだよね 基本的な対人関係の技術を再構築するのが望ましいんだって!坑うつ剤も効果が有るよ! でも自分の殻から抜け出せないだよな 精神分裂で倒錯した自分を誰かが救い出して欲しいと願うけれど、そんな人は誰も居ないんだよね 家族だって、周囲だって「気の病」「怠け病」程度にしか捉えていないと思えるから